120%のこだわりと現実の狭間で
壽野 敬之氏:スタンダードワークス

壽野氏

柴島浄水場、水道記念館のすぐそば、柴島の住宅街の一角から心地よい木の匂いが香ってきた。ウッドワークの手作り家具にこだわり続けて11年を数えるスタンダードワークス。
顔半分を覆う髭、小さめの銀縁メガネに少しタレ目な風貌が、家具職人として生きてきた代表壽野敬之さんのトレードマークだ。
自身の作ったものはすべて「作品」と、壽野さんは呼ぶ。注文を受けてから作りはじめる作品は、すべて木を使ったオーダーメイド。
「自分の作品を一言で表すなら、不揃いです」屈託のない笑顔で腕を大きく動かしながら、自身の過去、現在、未来について話してくれた。

コミュニケーション好きの、理系脳

「中学生までレゴブロックを触るのが好きで、混ぜて飛行機や船などを作るのが大好きでした」現在の仕事をするようになった源泉は、幼少期にあるかもしれないと壽野さんは言う。
もともと人と話したり、コミュニケーションをとるのが好きな子供だったという。成績がよかったのは数学と理科など理系科目。大学は大阪工業大学経営工学科に進学する。
「大学時代コンピューターを触り、プログラムの勉強をしていましたが、例えばAの文字をBに変えたりするだけで全く動かなくなる。その融通の利かなさと、非人工的なコンピューターの性質が自分に合っていませんでした」就職難ではなかった80年代。人と関わる仕事を望んだ壽野さんは就職活動をせずに、友人に紹介された輸入雑貨の営業として社会人生活をスタートさせた。
入社後、自身の営業成績は年々伸びていたが、突然会社が倒産という憂き目にあう。生活のため、飲食店の皿洗いや友人の手伝い等を転々する。
その後友人から声を掛けられ、レディースのアパレルメーカーに営業職として勤務。営業力には絶対の自信を持っていたが、成績は思うように伸びない。本当に自分のしたい仕事と思えなかった壽野さんは、半年間の勤務後退職する。「あの時の経験が今の自分を作っています」経営者となった現在。関西だけに限らず、東京、静岡にも顧客を持つ営業力は、思うようにいかなかった半年間を、徹底的に見つめ直したことによる賜物でもある。

作品

見て覚えた、修行時代

もともとインテリアや家具への興味はあまりなかったという。営業職と違う仕事を望んだ壽野さんは、心斎橋を中心に店舗の外装、内装を作る知り合いの仕事を手伝い始める。
知識はゼロ。経験もない。そんな状態で店舗内装の現場監督という立場から、仕事をスタートする。
「仕事はとにかく見て覚えました」サラリーマン生活とは違い、上司もいないので1から仕事を教えてくれる人もいない。プロとして求められる、顧客側の厳しい要求。だが、その緊張感はサラリーマン時代に経験したことのない心地のよいもので、今までにない充実感を覚えた。
現場監督の立場だったが、施工に携わるうちに、大工さんや施工師さんの仕事を無理やり手伝うなどして、次第に製作のノウハウも覚えていく。
同時に「木」の魅力に惹かれていったのもこの頃からという。
「とにかくお金がなく、精神的にも体力的にも厳しい毎日でした。ただ性に合っていたんでしょうね。モノを作ることが。毎日木と向き合うという環境も、魅力的でした」2年半が過ぎる頃。壽野さんは1店舗の内装、外装、家具を1人で作りあげられるようになっていた。元々将来的に独立をしたい、という思いが強かった。自分が思い描くモノ作りをしたい、という思いは日増しに強くなり、家具職人としての独立を決意する。

作品

経営者として、クリエイターとして

携帯電話とトラック1台のみでスタートした独立当初。現在の奥さんになる理枝子さんと生活をし始めたのも、ちょうどこの頃から。製作の管理面での理枝子さんのサポートもあり、壽野さんは営業に力を割くこができ、仕事は徐々に増えていった。だが、同時に心の片隅にある不安は大きくなっていったという。
「独立当初は勢いだけでやっていたので見えてこなかった部分が、年を重ねて知識を重ねるごとに嫌でも見えてくるようになりました」
大阪の家具制作の予算の実情は厳しい。「お金のことだけを考えると、必ず仕事が空回りする」と壽野さんは言う。
多い時は、壽野さんと理恵子さんの他に、従業員を2人雇った時期もあった。仕方がない、と現在は割り切るが、仕事に対する考え方の違い、製作に対する技術など壽野さんの求める要求は高かった。1人、また1人と従業員は壽野さんの元を離れていき、いつしか会社には理枝子さんと2人にきりとなった。
「今一番欲しい人材は自分をマネージメントをしてくれる経営者です」と冗談めいた口調で話してくれたが、自身の経営者としての力量のなさを痛感したという。
「スタンダードワークス」という看板を掲げているので、会社として利益を求める必要がある。しかし、自分のモノ作りに対するこだわりは捨てられない。
「よい木や、よい部分を使って家具を作るのはある程度誰にでもできると思うんです。
僕は、木の下地の部分でも磨きあげれば光る、という思いで作品を作っています。」
「デザイナーは、頭と紙の中だけでモノを作る。ただ実際店舗や家具を作るのは、毎日お酒の飲みすぎで鼻が赤いような老人の大工さん達。失礼ですが、あまり注目をされることがない、下地のような存在といえると思うんです。ただ、その大工さんの指使い1つで作品が持つイメージやディテールが大きく変わってきます。僕が下地にこだわって「作品」を作るようになったのは、花形のデザイナーさんよりも、大工さんの職人芸をカッコイイと思ったからなんですよ」
クリエイターとして作品を作り始めてから、下地の対するこだわりは現在も変わっていない。

作品

思い描く自身と変化

壽野氏

「今は経営者としてのスキルを勉強中です」と話す壽野さんは、新たな事業として雑貨の通信販売を始めた。より総合的に仕事をするために、工務店的な役割を果たす必要性を感じているという。「スタンダードワークス」としての売り上げは少しずつ伸びている。
「経営者として成功することで仕事の受注も増え、クリエイターとして成功する機会も増えるんじゃないか、と今は思っています。どちらにしても、目の前の仕事を大切にしていくことが、自分にも周りにも還元できる、1番の近道という気がしますね」
クリエイターとしての生き方が正しいのか、経営者としての生き方が正しいのか。壽野さんの中で、答えはまだ出ていない。
インタビュー終了後、壽野さんの指を見せていただいた。少し短い、太めの指には所々傷があり、爪先は綺麗に整っていた。「少しでも伸びると気になる」という、爪を切る行為は、家具作りを始めた時から15年間、欠かすことのない習慣となった。
今年で独立から13年が経ち、44歳になる。10年後も課題と悩みを持ちつつも、手作り家具を作り続けている壽野さんの姿が頭の中を過った。「死ぬ時は笑っていたいです」と最後に笑いながら話してくれた。

公開日:2012年10月01日(月)
取材・文:栗田シメイ 栗田 シメイ氏
取材班:株式会社ライフサイズ 南 啓史氏、arbol 一級建築士事務所 堤 庸策氏