心について書くことで、心は誰かに届けられる。
井上 昌子氏:フランセ

井上氏

大阪で生まれ育った井上昌子さんは、マーケティングの仕事をする傍ら、師について文章修行に励み、同人誌に小説を発表。後に勤務したホテルでは、社命により12作もの小説を書き上げて出版した。「人をつたえる」をコンセプトに、この春からブランディングプランナーとして活動を開始した井上さんから、若き日の失敗談とともに小説や人、仕事に対する思いなどのお話を伺った。

働きながら、師について文章修行。

もともと社会科が好きで、大学では経済学を学んだ井上さん。卒業後は法律事務所を経て、経営コンサルティングのオフィスへ。マーケティング業務を手伝いながら、勤務時間を調整して文芸評論家に師事し、文章修行を始めた。同人誌を発行していたその先生からは「書く姿勢」や「ものの見方」について学んだという。修行の一環として、好きな小説家の作品を丸写しすることも行った。井上さんが選んだのは、同じ名字の作家井上ひさしだ。数年で先生は他界されたが、それまでの間に4、5編の小説を書いた。その中の1編は、新聞の同人誌評でも取り上げられた。「すでに辞書にある言葉は使うな!」「小説を書くということは、自分の痛みを直視すること」という先生の言葉は、いまも耳に残っているという。
その後、フリーとして独立。印刷会社の企画部門の外部スタッフとして、出版チームに加わり、効果的な広告作成のためのマーケティングの仕事に携わる。コンセプトに沿って原稿をリライトしたり、大学のアーカイブを整理するためのコンテンツを制作したりした。育児書の編集も手がけ、広告代理店の仕事では、百貨店が新しいライフスタイルを打ち出す際の新ブランド企画プロジェクトにも参画して、生活者目線でさまざまな提案を行った。


文章修行時代の思い出(掲載紙と同人誌)

若き日の失敗に学ぶ。

井上さんは駆け出し時代に大きな失敗をしたという。その失敗とは、ある工芸品のライティングを担当した際、自身の取材が甘く、そのことに自分で気づきながらも、そのまま原稿を書き、内容が薄いまま提出してしまったことだ。当然のことながら、編集長にこっぴどく叱られた。「書き上げた原稿がスカスカの内容だと自覚していたのなら、なぜ寝ずにでももっと調べて、厚みのあるものに仕上げてこなかったのか!」と。形としては出来上がっているものの、一番コアとなる資料が欠けていたので、ごく一般的な知識を披露しただけになってしまったのだ。
実は、業界の人だけが知っている専門的な事柄をまとめた資料が存在していたのだが、井上さんはそのことを聞かされていなかった。だから編集長から「あの資料を読んだのか?」と尋ねられても、当然知らなかったので「読んでいません」としか答えられなかった。無理もない話だが、井上さんとしては、編集長に叱られたことよりも、消化し切れていないとわかっていながら提出してしまった自分の甘さが許せなかった。
「落ち込みました。いまだったら、はっきりとどこが薄く何を調べたらいいか、わかるんですけどねぇ」
それ以来、井上さんは取材に行くまでの準備をとことんするようになったという。取材時にも「まだ、何か話のネタがあるのではないか?」との思いで、しつこく話を聴くようになった。そのお陰で、ある仕事のときには「この人(井上さん)が書いた資料をもらってきてくれないか」と、編集者が大学教授から頼まれるほどになったそうだ。
若き日の失敗には、後日談があった。井上さんを叱り飛ばした編集長が担当した別の案件では、仕事が完了した後に銀行で入金確認すると、最初に提示されていた金額の1.5倍が振り込まれていた。不思議に思って問い合わせたところ、「がんばったからやん!」といわれ、粋な計らいに感謝の気持ちでいっぱいになったという。

現場に尽くすことが、わたしのおもてなし。

その後、井上さんはホテルの本社マーケティング部に籍を置くことになる。ホテルではクリエイターとして、クレドやパンフレット、プレス用のブローシャなどを手がけた。クレドとは、ラテン語で「信条」を意味する言葉。企業の信条や行動指針を簡潔に記したものを指す。井上さんが手がけたクレドは、名刺3枚分の大きさ。折り畳むと名刺の大きさになる。書かれているのは、ホテルスタッフとしての心構えであり、すべての行動の拠り所となるものだ。スタッフはこれを毎日朝礼で唱和し、勤務中は常に身につけていた。
料飲部門の仕事では、レストランのコンセプトづくりからメニューそのものの開発、表現のブラッシュアップ、販促ツールの制作に至るまでを担当した。関東に1か所、関西に2か所あったホテルの各レストランのコンセプトを明確にし、ストーリー仕立てにして、レストランスタッフがどのような料理を作り、どのような言葉がけでどう接客すればよいか、どんなツールでPRするかを企画。それを具現化するという「川上から川下まで」の一連の業務に携わったというわけだ。それぞれのホテルの特徴はもちろん、フレンチ、イタリアン、日本料理、中華料理など多彩な店の特徴、お客様のご利用用途(社用の接待、家族の記念日ユース)などをきちんと把握していなければできない大仕事だ。
「メニュー開発のときも、パンフレットやフライヤーづくりのときも、シェフやスタッフに顔を覚えてもらっていたのが役に立ちましたね。私の場合、自分から出向いて、現場を見たり、話を聞いたりしていました。お客様に尽くすのが現場の人だから、私は現場の人の声を聞いて、その人たちに尽くそう。それが“私のおもてなし”と考えていたからです。その点、私が勤めていたホテルは、好きなときに好きなだけ現場に足を運ぶことができたので、とてもありがたかったですね」
現場を大切にする井上さんを、現場の人たちは応援し、撮影などの際に多少無理を言っても聞いてくれるようになったという。井上さんは社内クリエイターとしてデザインやコピーを担当するとともに、発注者側のディレクターとして、デザイナーやカメラマン、印刷会社の人とともにポスターやパンフレット、フライヤーなどを制作した。
「いろいろと、かなり無理な注文をしたと思います。(笑) でも、本当にいいものを作ろうと考えて、熱意をもってお願いすると、皆さんはそれに応えてくれました。協力者に恵まれていたと思います」

実話をもとにした小説を12作執筆。

ホテル勤務時代に担当した仕事の中でも、特に思い出深いものに、ホテルが出した160ページ、A5変形サイズの小説集がある。執筆はもちろん井上さんだ。ひとつの話が400字詰め原稿用紙で23枚から25枚程度。ざっと1万字。小説は全部で12作あり、1作から6作までは1冊の本にまとめられ、出版された。この本は3つのホテルのフロントとオンラインショップで販売されていて、ホテルの公式ウェブサイトでは全作品を見ることができる。
この本は、2つの役割を担っていた。ひとつ目は、お客様に対して《お客様がご利用くださるホテルには、こんな感動的な話がある》ということを知っていただく役割。ふたつ目は、従業員に対して《自分たちはこんな風に物語になる仕事をしている》ということに気づいてもらい、誇りをもって働いてもらう役割だ。
執筆にあたって、会社サイドから小説を社員教育でも使えるよう、顧客目線で書いてほしいとの要請もあった。また、ホテルで働く大学生アルバイトが苦痛なく読めて、読み飽きないことも求められた。
小説は、1作を除いてすべてがホテルでの実話をもとにしたフィクションだ。お客様の具体的なことを書くと、差し障りがあるので、フィクションの形式を採っているが、心温まる実話に基づいたものだけに、12作どのストーリーにも人と人が織りなす感動が綴られている。


ホテルでの仕事(左上:クレド、左下:小説集、右:パンフレット)

“言葉”の力を信じている。


2002年ホノルルマラソン完走の証し

3年半のホテル勤務にピリオドを打ち、井上さんはこの春からフリーランスとして活動を再開した。屋号は、FRANCER(フランセ)。フランス語のPHRASE(フラーズ:文章)とPENSER(パンセ:考える)を組み合わせた造語だ。音を活かし、スペルを変え、ロゴタイプも自分で制作した。
これまでの経験を生かして、“人をつたえる”をコンセプトにプロジェクト管理を行い、外部だけではなく内部にも目を向けたブランディングを、現場密着のスタイルで実践していきたいと語る。
「心は、手に取れないし、とても曖昧なもの。でも、その心について書くことで、心は誰かに届けられるようになります。ものは朽ちるけれど、心は朽ちない。書くこと、つまり“言葉”にすることで、誰かを勇気づけたり、大切なことを気づかせたりできる。そんな“言葉”の力を信じています」

ホノルルマラソン完走の経験をもち、長年スポーツジムでヨガに親しんできた井上さん。格闘技観戦が好きで、男性アイドルグループのコンサートにも駆けつけ、お目当てのタレントの成長ぶりに目を細める。最近は、落語や歌舞伎にも興味が出てきたという。趣味の幅は広がるが、いずれも“人”が主役。やっぱり根っから“人”が好きなんだ。“人をつたえる”ことで、ブランドを確立していく井上さんらしいオフの過ごし方だと、取材を終えて思った。

公開日:2012年09月05日(水)
取材・文:有限会社中島事務所 中島 公次氏