言葉にならない大切な思いを、言葉に
松本 幸氏:

松本氏

コピーライターとしての仕事に開眼した第1フェーズ。子育て真っ最中に渡仏し、パリに暮らしながら現地の人々のライフスタイルに魅せられ、生き方を見つめなおした第2フェーズ。そして帰国後、新たなスタートを切りプランナーとしても活躍する松本幸さん。これまでの道のりと、現在進行形の第3フェーズについて伺った。

誰にもある「思い」を文字情報として発信する楽しさに目覚めて。


広告制作はヒアリングを重視。人と会って話を聞く中で「鍵穴」が見つかる。

有名企業から個人経営のショップの販促物やウエブサイトなど、さまざまなクライアントの広告制作を手がける松本さん。クライアントの“言葉にならない大切な思い”を丁寧にすくい取り、紡ぎ上げることをモットーに日々の仕事に取り組んでいる。そんな松本さんの原点は、映像制作会社の広報誌制作だったと言う。
「そもそも学生時代は広告の仕事にたずさわるつもりはなく、映像関係の仕事に就きたいと思っていました。バブル崩壊後の就職氷河期に突入した時代のことでしたが、卒業後は何とか映像制作会社に就職して意気揚々としていました」。
ところが、そこで担当したのが広報誌の制作。誌面づくりを任されて、取材で映画監督や映画館関係者の方々に話を聞く機会を得たことで、表現することの楽しさに開眼したそう。
「すべての人にある物語や思いを掘り下げて聞き、文字に置き換えて表現することのおもしろさを知りました」と松本さん。ときには誌面に反映できないような話もあったが、それらインタビュイーの思いを行間に織り交ぜながら、情報として発信することの楽しさにのめり込んでいったと言う。
しかしその後、バブル崩壊のあおりを受けて転職を余儀なくされる。
「さあ、何をやって生きていこうか。そう考えたときに偶然出会ったのが、コピーライター募集の求人広告でした」。
松本さんの人生の舵が、大きく切り替わった瞬間だ。

すべてが学ぶことだらけだった駆け出し時代。

就職したのは大阪のデザイン事務所。中堅の実力派デザイナーを擁して、メーカーなどのクライアントからカタログ制作や販促物の制作を直接請け負っている会社だった。とは言え、当初は商業コピーについての知識もほとんどなく、「宣伝会議」のコピーライター養成講座で学び、現場ではデザイナーのアシスタント業務もこなしながら仕事をおぼえるという、スローペースでのスタート。「できることは何でもやる。そんな毎日でした」と振り返る。
そんな環境にあって、松本さんは乾いたスポンジが水を吸い取るように、あらゆることを吸収したと言う。「デザイナーやディレクターのアシスタントとして撮影に同行することで、撮影現場での仕事の流れを覚えたり、打ち合わせではクライアントから直接お話を伺ったり。プロジェクトの立ち上げから完成まで、一連の流れにしっかりと関わらせてもらうこともできて。かなり貴重な経験を積むことができました」。
またデザイナーと同じ現場で仕事することで、気付いたこともある。
「全体のビジュアルのなかで、情報としてのみの文字の羅列でなく、デザインの一部を担う造形としての文字を考えるようになりました」。
デザインとコピーの関係性を熟慮し、相乗的にイメージを向上させる。デザイナー的視点も兼ね備えつつ、情報を発信する。パーツメーカーとしてのコピーライティングでなく、クリエイティブワークとしてのコピーライティング。そんな松本さんのスタイルが確立されたのは、デザイン事務所での仕事の経験があってこそ。
「ものづくりのイロハをみっちりと学ばせてもらったことで、提案やプレゼンテーションもさせてもらえるようになり。コピーライターとしては、濃厚で充実した8年間でした」。

出産、フランス移住を経て、“第2フェーズ”は削ぎ落とす時期。

2000年、松本さんはまたも人生の大きな転機を迎えることになる。
「長男を出産したことで、仕事のペースを落としたんです。会社に籍を置きながら、育児モードの在宅勤務をさせてもらい、ゆるやかに仕事にたずさわらせてもらうようになりました」。
さらにその後、ご主人がキャリアアップの修業のために渡仏することを決定。帯同する形でパリ移住を決めた。
「努力し、研鑚を重ねていた主人の修業の集大成。この機会を逃したら、仕事人としての主人が一生後悔することになる。そう思って反対はしませんでした」。
当時まだ2歳の子どもを抱え、ご主人と家族3人。身の回りのものだけをまとめての渡仏。
「主人は修業先では研修生という立場で、何の保障もない身分。簡素な倉庫のような場所に居を構えて、それまでの日本での生活からは想像もつかないほどの極貧生活でした」と振り返って笑う。
仕事どっぷりの生活から違う世界へ。子育て、ご主人の渡仏と外的因子によって、松本さん自身の生活を一変させるに至った。
「今、思い返せば必然性もあったかも知れませんね。何に縛られることもなく、仕事に、遊びに自由を謳歌していた20代とは、また違った色合いのことをたくさん学びました。出産することで孤独に育児する人の気持ちも分かったし、パリに暮らすことでミニマムな生活の楽しさを知り、日本を外から見直すきっかけにもなりました。渡仏前、身の回りのものほとんどを処分して身軽になったことで、心に染みついた垢がスッキリと落ちたような、自分の中の風通しが良くなったような。そんな清々しい気持ちになってました」。
そして、貧乏でお金がないことはツライことだけど、本当に必要な最小限のものがあって、一緒に笑い合える家族や友人がともにいれば、何とでもなると感じたとも。
「恐いものがなくなりました(笑)。今、この瞬間が幸せ、生きていることが素晴らしいと実感できた日々でした」と、小さくとも濃厚な幸せの積み重ねで、自分自身が変わったと語る。

堰を切ってあふれだした創作意欲をカタチに。


パリ在住時の取材を集めた「パリ発キッチン物語 おしゃべりな台所」。

3年半にわたるパリの暮らしの日々で、たくさんの友人もできた。そして、友人たちの家を訪ねて、ゆったりと食事しながら会話を楽しむ時間を過ごした。そこで触れたのが、人種の坩堝たるパリらしい多様な食文化やライフスタイルだった。
「この素晴らしい出会いを形にしたい」。
知り合ったひとりひとりの暮らしの中心に、キッチンと食卓があり、それぞれに物語がある。その素敵なドラマを日本に紹介したい。それまで広告畑ひと筋で、雑誌での仕事の経験は一度もなかったが、とにかく自分が「おもしろい」と感じた、その思いを形にして発信したい。
そう思い立ったら行動は早かった。企画書を書き、日本の出版社に売り込みをかけた。
「収入もなく語学力も乏しく、子育てに追われて自分の時間も充分に取れない。他者とのコミュニケーションを濃密にするための語学を学びに行く資金も時間もない。でもそんなことを言い訳にしながら、なんとなく日々の時間が過ぎていくだけの生活に、苛立ちや歯痒さを募らせていたころです。地下水脈のように流れていた思いが弾けたんですね。“とにかく、何かをやりたい!”という衝動に突き動かされて、パソコンに向かいました」。
企画書は季刊発行するインテリア雑誌の編集者の目にとまり、連載することが決定。パリでの松本さんのインタビュアーとしての活動が始まった。パリで知り合った現地の友人宅のキッチンを訪ねて、その人の生き方やバックボーンを聞きながら、ライフスタイルをレポートするという内容で年4回。企画からコーディネート、取材、撮影ディレクション、執筆までトータルに担当。パリに暮らす人のこだわり、暮らしを楽しむ術と旺盛なDIY精神を紹介するその企画が好評を博して、連載は約2年間続いた。
「フランスの人はみんな、本当におしゃべりが大好き。私の乏しい語学力をものともせず、とにかくいろんなことを伝えようとコミュニケーションしてくれるんです。私のフランス語がおぼつかない時は、現地在住のカメラマンが助け舟を出してくれて、取材を滞りなく進めることができましたが、私自身も毎回、長時間にわたるおしゃべりが楽しくてしかたなかった」と満面の笑みで思い出を語ってくれた。
松本さんが体感した楽しさが誌面を通じて読者に伝わったのだろう。帰国後、編集部から書籍化の企画が打診された。そうして出版されたのが『パリ発キッチン物語 おしゃべりな台所』(主婦と生活社)だ。

ゆっくりと紡がれた物語、新たな時代に伝えるために。


丹波篠山のギャラリーショップのウェブで、さまざまなインタビューを発信。

自分のやりたいことを発信して、形にするおもしろさを思い出した松本さん。帰国してからはコピーライターとしての仕事も再開、フリーランスとして活動を始めた。ひとつひとつの案件に丁寧に対応する姿勢が評価され、プランナーとして新規ブランドの立ち上げやブランドリニューアルなど、他のクリエイターらとタッグを組んでの活動も増えつつある。
また、広告制作の枠に留まらず、「次世代に残したいものづくり」にたずさわる人々の思いを伝える、インタビューの仕事も増やしていきたいと意気込む。たとえば2012年3月にオープンした丹波篠山・今田の古い旧郵便局舎をリノベーションしたカフェ&ギャラリー「コリシモ」。ここでは、サポートメンバーとしてウェブ読み物を担当。「かつて、村にたったひとつの郵便局として、地域住民のコミュニティの役割も果たしていた空間。ハイテクの波に飲み込まれて大切な“もの”や“こと”も消えていこうとする時代だからこそ、人の手から手へと伝えることの大切さを多くの人に伝えられたら」。
フランスでの暮らしの中で知った、人と人とがふれあう大切な時間。「ものやお金は失っても取り戻せるかもしれないけど、時間だけは取り戻すことができないから」と松本さん。
ひとつひとつの出会いを大切に、新たに生まれるドラマを発信していく。

※記事内容は2012年3月時点のものです。
2013年10月1日より天満橋にて新事務所「QUILL(クイール)」を開設、現在に至る。

公開日:2012年03月30日(金)
取材・文:植田 唯起子氏
取材班:株式会社ジーグラフィックス 池田 敦氏