店舗デザインから型破りな会社 そしてそれを後進にも伝えたい
上水流 考紀氏(本名 孝嘉):(株)デコ・タス

上水流氏

店舗・什器デザイン会社『(株)デコ・タス』のデザイナー兼社長、一級建築事務所『(株)スウィング』のプロデューサー、次世代を担う人材を育てる『(株)デ・クレア』の代表取締役兼プロジェクトリーダー。
今回ご紹介する上水流氏には様々な肩書きがある。中でも『デ・クレア』は大きな幹から『産学連携アートプロジェクト』の企画運営、『DESIGN PRISE ¥0 PROJECT』、『店舗設計塾』、情報発信と交流の空間としてのギャラリーやSHOP運営、さらにはお店づくりのコンサルティング事業と、何本もの枝が大きく伸びている。そんな多忙な日々を送る上水流氏に、『デ・クレア』事業の一環、自らが設計運営する『デ・クレアギャラリー』でお話を伺った。

野球少年 設計士を目指す

店舗内

「子どもの頃、父の経営する工務店の手伝いで建築現場について行った時、そこで働く職人さんがカッコ良く見えました。図面のないところから家を建てていく大工さんや、壁を塗る左官さんのしぐさに憧れて、大きくなったら家をつくる職人になりたいと思うようになりました」
中学の3年間、野球で汗を流した上水流少年に高校受験の時期がやってきた。
「父は姫路商業高校野球部のOBで、僕にもその高校に行って、野球をやれと言ったんです。何になるにしても商業を勉強しないと良い経営者にはなれないと。でも結局は飾磨高校普通科(通称、亀高)に行きました。父の敷いたレールには乗りたくなかったんです。父には、亀高に合格したら野球部に入るからって」お父様との約束どおり、高校の3年間は早朝6時からの朝練と放課後は夜の9時まで野球に打ち込んだ。
「本当は、東洋大姫路高校のゴルフ部に入りたかったんですけどね〜。本当に勉強が苦手でね(笑)。それでも大学受験のために、とにかく人と違う方法で大学に入る事を考えました。創作系学科、美術系は得意だったので。国語はダメなんですが、野球部の監督から毎日日記を書かされていたので、表現することや文章を書くことが得意になりました」この日記が大学受験に役立つことになる。建築家になる夢は揺るがなかった上水流氏は、大阪芸術大学建築科を受験した。その受験科目がデッサンと面接と論文だった。論文が苦手な受験生が多い中、難なくパスすることができたのだ。
「大学がダメなら専門学校でもいい。無知だった僕は、専門の学校に行けば誰でも建築家になれると思っていました。自分中心に地球が回ってるタイプ? しかし、やる気は世界一!知識0でしたが、見事志望校に合格しました」

大学在学中は真剣に建築の勉強に取り組んだ。しかし、「学科生は120人いたんですが、僕がやると1週間で出来るような作品を、他の学生は2週間も3週間もかかってしまう。周りから早い、スゴイと言われても、自分ではそう思わない。勉強するために大学に入ったのに、みんなやる気があるのかなと歯がゆくて、悔しくて。今年大リーグに行ったダルビッシュ投手ではないけれど、自分のライバルはココにはいないという感じでした」

卒業制作でつくった商業施設の模型は、建築科の学科賞を受賞した。
「その当時の学科長には、“これは○○という世界トップレベルの建築家に影響された、建築ではなく造形だ”と言われてしまいましたが、僕はその建築家も作品も知らず、オリジナルだったんです。でもこれでキッパリ建築科を目指す事もやめ、店舗関係の仕事に進む事ができました」

数字が実証する実績と経験

デコ・タス

96年、優秀な成績で大学を卒業した上水流氏は、店舗設計施工会社(株)英進に就職。入社1年後にしてジョイント/3coins/ルイスの設計施行管理を経験する。5年後には、設計企画部のチーフを任され、早くも頭角を表わす。現在の上水流氏があるとも言えるのが、(株)パルのセレクトショップ、ガリャルダガランテ/パピヨネ/ラシットのブランド立ち上げで、3年間で1ブランド30店舗の設計を見事に達成させた実績だ。その店舗にお客様も集まり、パルの売り上げが、年商30億円から600億円の企業に上場した。『導線のカミズル』と呼ばれようになったのもこの時期からだ。この経験が上水流氏の自信となり、誇りとなった。

経験を積んだ上水流氏は、04年に店舗デザイン事務所『(有)デザインルーツ』を立ち上げ独立。05年に『(資)volume6』を設立した。同年には、若き設計士育成のための『店舗設計塾』を開設し講師にもなった。07年、本格的に店舗什器備品を販売するために『volume6』を『デコ・タス』に社名変更した。一方で仕事の幅を広げるために『デザインルーツ』を基に、大学時代からの親友・小泉宙生氏、金山大氏と共同で一級建築事務所『スウィング』を立ち上げた。
「この二人が僕のことを一番知ってくれていると思います。でも二人は僕のことをどう思ってるかな?“運”だけで生きていて、負けず嫌い。人と同じことをするのがイヤな変な男。みたいな…?」

とんでもない! 二人の同士は「会社の運営を車に例えるとアクセル、ハンドル、ブレーキに分かれると思いますが、上水流氏は完全にアクセルタイプの人間。アイデアの豊富さ、事業の推進力はピカイチです。何より社内の士気を高める一番のムードメーカーです」と絶大の信頼を寄せている。

その後もパルグループを中心に(株)ワールドのindexやサマンサタバサ、ユニクロのgu、などの有名ブランドの店舗をはじめ、この15年間で400軒以上の店舗設計を達成させるなど精力的に仕事をこなしている。「お金をかけられないお店で、よそなら嫌がる注文でも僕は低価格で引き受けます。図面が描けて現場のこともわかっているから、良いお店を早く安くつくる自信と実績があります。それに、“できないでしょ?”と言われたら、少々無理でも、“いや、できます!”って言ってしまいますから(笑)」

次なる使命 若手の育成に注力

さらに上を目指す上水流氏は、昨年、企画会社『デ・クレア』を立ち上げた。その事業内容は様々な分野があるが、若き設計士やクリエーターたちの育成もその一つだ。現在、『産学連携プロジェクト』が全国的に展開されているが、上水流氏もこれに賛同。またワールドからの依頼もあり、学生にショーウインドウのデザイン等の指導をしながらチャンスを与えることで、このプロジェクトに参加している。その延長線上にあるといえるのが『DESIGN PRICE ¥0 PROJECT』である。「設計や建築デザイナーを目指す人たちに、実際にご依頼いただいたお客様の店舗デザインをしてもらうという、実践的スクールです」なんとそのデザイン料、1店舗目はその名のとおり¥0。無料なのだ。依頼主に気に入ってもらえた場合、プロの設計施工会社によるバックアップ体制もとられている。「その店舗が気に入ってもらえて、2軒目、3軒目のご依頼の時には正規のデザイン料はいただきますが、ご依頼主、学生双方のメリットは十分にあると思います。これからのこの世界を担っていく次世代の人たちを一人でも多く生み増やしていきたい。“ニワトリが先か卵が先か”僕はニワトリに似てるので、『デ・クレア』のショップカードは卵の形にしたんです」熱く真剣な思いの中に遊び心も忘れない上水流氏である。

そのニワトリ、関西の実績を携え、翼を広げて東京へ。「昨年から堺にも『ギャラリー』を出すことを目標にして計画を進めていたんですが、顧客様の一言で東京に進出する事を決めました。関東と関西のクリエーターさんとの交流や発表の場に活用できたらと。又、設計やデザインの入り口として、『デコ・タス』のブランド什器である『デコラック』や、『店舗設計塾』の活動の場を広げるために東京方面にも力を入れることにしました」

年内の東京進出という企みは現在進行形で、かなりの段階まで具体化してきているという。あと一歩、楽しみである。進化を続ける『デ・クレア』に現在の自分の収入を極限まで減らしても投資し、成功させてみせるという上水流氏。「そのかわり、3年後にはウハウハの高収入を得られるよう頑張りますよ〜!」

初心忘れるべからず 好球必打は全てに通ずる

上水流氏

子どもの時に抱いた創作への情熱(設計)。それを着実に現実のものとし、次々と企業を展開。さらに後進の育成にも熱い思いを持つ上水流氏をここまでパワフルに動かす原動力はどこにあるのだろう。
「学生時代にはアルバイト経験が無いに等しく、大学4年生で初めて仕事を経験しました。本当に失敗ばかりで自信喪失、でも自分には物創りしかないと思って社会人になり、失敗もありましたが、この仕事が好きなので楽しく必死で働きました。目標とチャンスがあれば、自分流でも遠回りでもできるという絶対的自信は揺るぎません。チャンスはもらうものではなく気がつけるかどうかだと思います。僕は有言実行型。周りに言ってしまって自分を苦しめますが、決めたことは必ずやり遂げます。高校の監督から言われた“初心忘れるべからず 努力に勝る天才なし 好球必打”は僕の座右の銘です」

中学、高校と野球を通じて培った溢れんばかりのパワーと負けん気。天性のスイッチヒッターでもありアイデアマン、それをスピーディーにクリアーする運とセンス。現状にとどまらない向上心。後進を思いやるやさしさを誰よりもあわせ持つ。豪速球も変化球もクリーンヒットに打ち返す上水流氏は、今まさにアクセル全開なのだ。

公開日:2012年03月07日(水)
取材・文:片岡睦子 片岡 睦子氏
取材班:清水 敬二郎氏