クライアントの活路を開く企画立案から販路開拓までをサポート。これからのデザイン会社のあり方とは。
島 直哉氏:(有)マーシーデザインズ


京セラドーム近くに構えたオフィスにて

見ているだけでほっとなごむ、暮らしに潤いを与えてくれるデザイン。そんな女性のためのインテリア生活雑貨開発や食品メーカーの店舗開発を得意とするマーシーデザインズ。こちらの代表である島直哉さんは、非常にバイタリティ溢れる人物だ。波乱万丈なライフストーリーによって培われた、独自の仕事への取り組み方、そしてデザイン会社のこれからのあるべき姿について語っていただいた。

旅して働いて旅して。経験値を積み重ねた20代。


島さんの描く絵は、そのデザインワーク同様に、見ているこちらまでハッピーな気持ちにさせてくれる。

「そもそも僕はグラフィックにしろ、インテリア、ファッション、どのデザインも正式に勉強してなくて。だからここに至るプロセスも無茶苦茶なんですよ」。そんな風に自身を振り返る島さん。学生時代は専門学校でテキスタイルの勉強をしながら、コサージュ職人を目指し高名な師匠のもとで修業をしていた。ある日、師匠から「インドへ行け」と告げられる。「わかりました」と旅券とパスポートだけを手に初めての海外に旅立つが、宿は予約していない、英語もしゃべれない状況。「無鉄砲ですね。それでも3カ月ほど旅をしながら、自力で染色工場を見つけて勉強をしました」。

帰国後は、本人曰く「なぜか大手メーカーのインハウスのデザイナーをすることになって」。しかも驚くことに就業後、夜行バスに乗って東京へ行き、スポーツメーカーのデザイナーもしていたという。「仕事は定時に終わるので労働時間は8時間ほど。単純にあと15時間は働けるなと思って(笑)」。聞けば、小学校の頃から新聞配達やコーラの瓶を回収しての換金で小遣いを得ていた。お金儲けというより働くことが好きなのだ。「生活=仕事なのかもしれない。なんか昔の人間ぽいですね」。学生時代も数え切れないほどアルバイトをした。そこで現在に繋がる処世術は磨かれていったという。

メーカーを退職後、再び旅に出る。インドの旅ですっかり猛者になったからか、まずはバンコクにたどり着き、絵を描きながらマレー半島を南下する。バリでは絵をギャラリーで展示してもらった。そこで島さんの絵を気に入ったのがジバンシーの元デザイナーで、気がつけばジュエリーデザイナーとして契約していた。自分の描いたデッサンが商品化され、日本にも逆輸入されたという。その後、再び旅に出て、たどり着いたヨーロッパではルポライターとして雑誌に記事を連載する。実にたくましい。「ただ帰りたくなかったんでしょうね」。

「自分がやりたいことは何か」が見えてきた。


コンセプトワークから、企画立案、商品デザインの開発、パッケージデザイン制作までてがけた、千趣会のルームフレグランス「ロゼデュエット」

そうした放浪の季節もやがて終わりが訪れる。しかし意を決して帰国してみたら、バブルははじけ、驚くほど仕事がなかった。とりあえず知り合いの会社に間借りする形でグラフィック系の仕事を始めた。マーシーデザインズの誕生だ。数ヶ月後、堺へ移転。「伯父が食堂をやっていた場所が空いていたので、そこにパソコンを置いて。グラフィックとインテリア、ペンキ塗りもよくしました。現場で建築の勉強もさせてもらったり」。なんでも吸収していった。「得た仕事をしっかりこなして、思った以上のものに仕上げることで次に繋がる、それの繰り返しですね」。おかげで仕事は順調に増えた。だが島さん、そこではたと気づく。「これはライフワークじゃない」と。自分は印刷屋なのか、DTP屋なのか、工務店なのか? 「ぼくがやりたいのは、食べていくための下請け、孫請けの仕事ではない。志のある企業さんとダイレクトに取り引きしたいと考えるようになったんです」。

こだわりを持った企業と仕事をするために、島さんは行政と関わることを選択する。大阪をはじめさまざまな地域で行政との親交を深めることで、そういった企業をサポートする機会も増えてきた。また「デザインプロデュース向上委員会」にも参画し、市場ニーズに合った商品を顧客に正しく届けていくためのプロデューサーとしても活動している。たとえば大阪であれば、老舗の昆布屋であったり、乾物屋、米問屋、お茶問屋、鍛冶屋など、いわゆる塩漬け状態になっている経営資源が数多く存在するという。「長い歴史がありながら、大阪の職人や産業の文化はいいところだけを、ドラスティックに東京に持っていかれてしまい、フレームだけが残された。そういった老舗の持っている原型をうまく活かして、マーケットに戻していくにはどうすべきか考えてやっています。そこにデザインをプロデュースする意味もあると思いますから。なかなか大変なんですけどね(笑)」。

旅から得た、島流マーケティングの極意。


商品ブランディングにおいては店舗開発計画にパッケージデザインや商品しおり制作、さらには包材受注管理まで請け負える強みを持つ

デザインをするうえで、島さんが一番大切にしていることは何だろう。「クライアントによって、機能性であったり、情緒性であったり、求められるものは違いますが、個人的には“暮らしを楽しくすることに特化した戦略と普段遣い”ですね」。日々の暮らしの中で必要とされるものは、実はとても繊細だったりする。それは価格だったり、産地だったりするが、絶対といえる法則はない。それを見いだすための引き出し=インプットは人の“チェイス”だという。クライアントがターゲットとする層を街でチェイスして、どういう嗜好かをトレースしていけば、生きたマーケティングができる。だから今も実際に街に出て、定点観測する。人を見ることで、情報を得る。それは見知らぬ土地を言葉もわからぬまま旅をしていく中で会得した、ロールプレイング式のマーケティング術だ。

カテゴリーを超えたトータルプランニングを。


製茶卸メーカーのアメリカでの展示会では、メイドインJAPANであることのブランディングと展示表現力を強化し、個性的なアピールをした

「うちの会社は何の会社かカテゴライズできない。店舗もやりますし、商品になったらパッケージもやる。試飲とか販売応援、いろいろなプロモーションもやっていますから」。現在、同社では企画からデザイン制作、時には物流まで担う。「企画、制作とは別に資材供給部門も設けていて。食料品のブランディングだと、特殊な形状のものをアソートするのに、普通のプロダクトコントロールではできないものもあるんで、倉庫を借りて生産のコントロールもするんです」。デザインを考え、資財を運び、設計も手伝う。それは一人で食堂を事務所にしていた頃から変わらない。自分たちが関わったサービスや製品に対して責任を持って世へ送り出す。そこまでが自分たちの仕事とも。

島 直哉氏

さらに、ここ2〜3年は海外へ挑戦する企業ヘのデザイン支援にも力を入れている。「切り込み隊長のような形で携わっています。販路開拓というのもデザインが担うべき役目と思っている」。そういった取り組みも含めて、デザイン会社というのは変わっていくのではないかとも。「もうこれまでのようなカテゴリーで仕事をする時代ではない。僕らみたいなところが増えて欲しいです。増えることで連携ができる。そうすればもっと面白いことができると思うんですよね」。

※(有)マーシーデザインズは2014年3月1日に株式会社化し、社名を(株)ロコールジャパンに変更されました。

公開日:2012年01月30日(月)
取材・文:町田佳子 町田 佳子氏
取材班:株式会社キョウツウデザイン 堀 智久氏