一番好きな作品は一番新しい作品 観る人にも感じてほしい
中田 仙次郎氏:THE STARVING MONKEY

中田氏

中田氏のホームページ『THE STARVING MONKEY』にアクセスすると、不思議の世界の扉を開くことができる。そのイラストは浮世絵を彷彿させ、和的でありながら異界の景色が広がる。生意気な猿、威厳に満ちた亀、おどろおどろしい眼差しの蛙、美しくもエロチックな女性。確かなデッサン力で描かれた作品は怪しくもどこか懐かしい香りが漂う。一方、フジテレビサイト『少年タケシ』で連載されたフラッシュアニメ『ロバート9+』では、奇想天外なストーリーとキャラクターで好評を得ている。
それらの強烈な作品とはうらはらに、作者の素顔は穏やかで実にShy。そんな中田氏にお話をうかがった。

『神奈川沖浪裏』で絵心目覚める

作品

1979年、大阪市東淀川区で生まれ育った中田氏。物心がつきはじめた3才頃、ヤマハ音楽教室に通い始めた。「私はあまり覚えていませんが、母親に言わせると、音楽には全く興味を示さず、レッスンの一環のお絵かきの時間が楽しく、それで通っているようなものだったらしいです」
幼少の頃から絵を描くことは好きだったものの、「将来の夢はパイロット」と、個性とは無縁の性格、アニメや漫画よりも実写の戦隊モノが好きだったという。
中田少年の絵心にはっきりと火が点いたのは中学2年、美術の授業で『神奈川沖浪裏』を模写した時である。__逆巻く大波、その波に飲み込まれそうな船、それを遠くから見守る富士。希代の天才浮世絵師・葛飾北斎の名画中の名画である__。「その模写作品を美術の先生がいたく気に入ってくれて、その先生が担当の間は何をしていても成績は常に5でしたね。翌年に担当の先生が替わられて一気に成績は下がりましたけど」と中田氏は苦笑する。
それでも絵に対する思いが強くなったのは確か。大学の志望校を京都市立芸術大学デザイン科に決め、高校2年からアトリエに通い、実技試験のデッサンとデザインの勉強を始めた。そして、いざ受験! ところが、結局、実技試験を受ける前にセンター試験の足切りに遭い、桜散る……。「あの時は芸大受験のシステムに疑問をもちました」今でも悔しそうである。翌年、全く畑違いの同志社大学機械工学科に入学を果たすも2年で中退。「とにかく学校が合わなくて、逆に絵を描きたいという気持ちが強くなりましたね。今考えるとタダの現実逃避だったのかも知れませんが(笑)」

下積み7年、シナリオ力を武器に2008年に開花す

その後、高校時代に学んだデッサン、デザインのノウハウを基に独学で漫画を描き始める。「絵を描くのも好きなんですが、同じくらい映画を観るのも好きなんです。映画はまずシナリオがあって、そこに沿って映像が作られていく。漫画制作も方法は同じだと思ったんです。映画をたくさん観てきたので、シナリオ作りにはある程度自信がありました」と、中田氏。
コツコツと漫画を描き、大手出版社の漫画賞に参戦、投稿を続けた。最初に芽が出たのは2003年。講談社『アフタヌーン四季賞』の佳作に選ばれたのを皮切りに、2005年には講談社『モーニング・ちばてつや賞』で佳作、同年、同賞で準入選を果たした。しかし芽は出たもののなかなか開花に至らず。その後、7年近く泣かず飛ばずの日々を送る。「有名な漫画賞で佳作や準入選をもらったくらいで、すぐにデビューできるほど甘い世界でないことはよくわかっていました。でも、とにかく名前を売り込まないと。底辺の広い世界で自分のような人間はごまんといますから」ひたすら出版社にネームを送る生活、いわゆる下積み生活を重ねていた中田氏に転機が訪れたのは2008年のこと。フジテレビサイト『少年タケシ』の『PerfumeのMVを作ってくれんかねぇ?』に応募、確かなデッサン力に裏づけされた完成度の高い中田氏のMVは受賞こそ逸したものの、観た人の心を中田ワールドに引き入れた。
これをきっかけに、同じく『少年タケシ』で『ロバート9+』というフラッシュアニメの連載をスタートさせた。2008年から3年間で全73話、シナリオ、作画、音響に至るまで一人で作り上げ、隔週・月に約2本のペースでアップし続けた。ロバートというアパートの住人が織り成すコメディータッチの作品は、ストーリーもキャラクターもこぼれ落ちそうな個性に溢れている。「一応、最終回はこういう形にもっていこう、という構想はありましたが、その過程で時々ネタが尽きそうになりました」それでも完走できたのは、中田氏の底力、シナリオ力に他ならない。絵はもちろん、台詞の妙も味わえるが、一歩足を踏み入れると最後まで見ずにはいられなくなるので要注意!
2009年に入ると、さらに仕事の幅が広がっていく。『ロバート』と並行してフジテレビ番組内のジングルムービーや、人気ドラマ『ライアゲーム2』の番組内フラッシュアニメも手がけた。昨年から今年にかけてはイラストでもデザイン系コンペで入賞や入選が増えてきた。今年2月の『美人専門ストックフォトサイト・ビジンザイ』で優秀賞、7月には『ビジン×カフェ下北沢』では最優秀賞を手中に収めた。

遅咲き? 和的世界の確立

ところが、イラストの、中田氏独特の和的画風の確立は意外にも最近のこと。「ちょうどテレビ番組のジングルムービーを作り始めた頃、画風を模索している時期でもあったんです。そんな時、ネタに困って浮世絵風というか、和のテイストの作品を作ってみたんです。するとコレが思いの外、評判が良かった。じゃあ、これからこの画風でいこうかな? みたいなノリでした(笑)」そんな中田氏のところに今年の夏、アメリカ・ポートランドの『COMPOUNDギャラリー』から、イラストレーター浦正氏との二人展『JAPANISM』を10月に開かないかというオファーが舞いこんだ。二人展を引き受けたものの、そこから大変な日々を送ることに。「与えられた時間は3ヶ月。手描きでイラストを仕上げないといけないので焦りました。なにしろ絵の具を使ったのは10年ぶりでしたから。睡眠時間を削って、時には朦朧としながら描いてました」その甲斐あって二人展は好評を博す。アメリカでも、中田氏の作品は受け入れられたのだ。

作品

どこかで観た作品とは言われたくない 常に“新しく”ありたい

展覧会風景

現在『少年タケシ』のフラッシュアニメ第2弾、北海道を舞台にした『小岩井課長の憂鬱』を制作中の中田氏に今後の展望を訊ねた。「はっきりこうなりたいとか、これがしたいとかいう強い指針や夢はないんです。今の路線でいければいいし、その延長線上の作品を観る人に気に入ってもらえればそれでいいです。受ける仕事によって路線が少々変わってもそ
れでもいいかな…と」
欲のないコメントのようだが、そうではない。中田氏は続けて言う。「ただ、自分の作品が、どこかで観たような(ありふれた)作品とは言われたくないですね。常に新しいと感じてもらえる作品を発表していきたいです。なので、自分の作品の中で一番好きな作品はいつも一番新しい作品、もしくは制作中の作品です。私の作品に興味を持っていただいて、気軽にご連絡いただけたら嬉しいです」
静と動、和的とポップ、アナログとデジタル、そして懐かしさと新しさ、中田氏は二つの顔を持つ。それはこれからも対峙しながら共存していくのだろう。

公開日:2011年11月29日(火)
取材・文:片岡睦子 片岡 睦子氏
取材班:辻 美穂氏、株式会社キョウツウデザイン 堀 智久氏