闇は光に打ち勝つことはない
凡 十郎氏:凡十郎オフィース

凡 十郎氏

「光る刀をLEDで作る予定なんです。僕が侍姿で出てきて、それをシャーンと抜く。僕の場合は凡十郎、十字架の十なんで、十字に斬ってね、闇がパーンと光に変わるみたいな、プロモーションビデオを作ろうと思ってるんですよ」天王寺区の静かな一角にあるマンションのオフィスで楽しそうに凡十郎さんは語ってくれた。頂いた名刺には、デザインコンセプター/プロデューサー、プロダクト・ウェブ・照明。一体この人はどういった経歴を持つ人なのだろうか。お話を伺うことにした。

大自然の闇の経験と照明との出会い

「弥生」のホイール

芸大のデザイン学科を出た凡十郎さんはモータースポーツ専門代理店を経て、1981年に独立してデザインオフィスを立ち上げる。自動車やバイク関連のプロダクトデザイン、グラフィックデザインなどを多数手がけ、大ヒットした「弥生」というアルミホイールをはじめ、その実績は数知れない。

BAJA1000というレースがある。メキシコ・バハカリフォルニア半島の荒野をバイクやバギーで走り抜ける、たいへん過酷なスプリントレースだ。1989年、凡十郎さんはBAJAにバイクでエントリーした。当時、バイク用のヘッドライトは巨大で重く、昼間は取り外して走っていた。ところが予想外に日没が早く、未開の荒野で「大自然の暗闇」の恐怖を体験してしまう。日本に戻って、この時の苦い経験を元に世界一軽いバイク用ダイクロハロゲンヘッドライトと、世界初のバイク用プロジェクター・ヘッドライトを開発する。それが「照明」との出会いだった。そのライトは高性能で、後に日本人選手がオーストラリアの有名なレースで使用した際も、転倒で縦に2回転しても割れずにクラス優勝した。そうして商品は一躍有名になる。

BAJAを走る凡十郎さん

その後も試行錯誤を繰り返し、常に新しいバイク用ヘッドライトを開発するが、とりまく様々な環境の変化もあり、軽量で明るいヘッドライトの開発をこれ以上継続するには色々と限界があると判断し、6年後にバイク用ヘッドライトの事業については権利を売却し、撤退することになる。

人生の闇と光

ヘッドライトの事業を始めて以降も自動車用ドレスアップパーツメーカーのブランディングやプロダクトデザインは本業として続けていた。しかし1980年代後半からブームが訪れていたドレスアップパーツも、その後不況が続き、1990年代終盤にはパーツが売れなくなる。ブランディングの仕事が途切れるのと時を同じくして、子供が非行に走ってしまい、凡十郎さんは暗い、苦しい、地獄のような人生の闇を体験する。その時、キリスト教に出会う。人生にも暗闇があれば光もある。「闇は光に打ち勝つ事はない」。聖書の言葉が、凡十郎さんを救う。状況は少しずつ好転していった。凡十郎さんの名前、「平凡な男が、キリスト教(十字)に出会って聖められた(郎・清い男)」はここに由来している。その後、教会で学校を立ち上げようという話が持ち上がり、協力を依頼される。思いがけず青少年更生の仕事に就くことになり、デザインの仕事を一時離れることに。それから数年、この仕事に専念するものの、あまりの大変さに精神的に余裕がない状況に陥っていた。

ウージ

その頃、沖縄にいる教会の指導者から、こちらへ来ないかと呼ばれ、思い切って学校の仕事を辞め、沖縄に赴くことに。そこで初めて沖縄の染め物や織物に出会う。特にウージ染めの美しい緑色に惹かれ、「この生地を生かした照明をデザインしたい」という思いを強く抱くようになる。実は着物の生地などをいかした照明を作りたいという思いは数年前から、思い描いていたテーマだった。

羽衣

すぐに企画書作りに没頭し、意を決して豊見城市にあるウージ染共同組合に売り込みに行くと、何とこれがほぼ即決で商品化される。ウージ染めは、伝統的な琉球びんがた染めとは違い、新しい染物であり、従来は産業廃棄物として捨てていたサトウキビの葉を何とか利用することで、沖縄で女性の新しい職業を創りたいと考えていた組合に凡十郎さんの提案が響いたのである。グラフィックデザイン、プロダクトデザインにプラスして照明も事業に組み込んだ「凡十郎オフィース」のスタートである。

湧き出る意欲

染め物を使った照明、という空想を現実に商品化した凡十郎さんは、これを「愛染し」(あいそめし)と名付け、「交」(まじわり)、「琴の音」「羽衣」といった作品を次々にデザインしていく。今後は海外に向けて展開していく予定とのこと。また、同時にスチールやアクリルを重ねた、全く新しい企画のLED照明にも取り組んでいる。事業としてはこれからではあるが、常に新しいものを作り出そうという凡十郎さんの意欲には頭が下がる思いである。

アルミの照明の印刷物

多岐にわたる活動をされている凡十郎さんだが、やはり中心になるのはデザインだ。2000年代にもオーストリアのバイクメーカーKTM社のロゴのリニューアルなどを手がけている。「正直言うとね、楽しくて仕方ないですよ。デザインやってるほど楽しいことはない。僕は一人っ子でね、小さい頃から一人遊びをすることが多くて、絵を描くとか、粘土細工とか。空想を巡らしながら遊ぶのが大好きでした。自分が考えているものが形になるのが何より楽しいですね。」と語る。何よりそう語っている凡十郎さんの表情は本当に楽しそうだ。

「遊びが仕事になり、仕事が遊びになると思っています。遊び心がないと良いデザインも出来ませんよね」

光は生きる源

光には特別な思いを抱く凡十郎さん、人間にとって「光は生きる源」、自身が体験した自然の体験と人生の体験を活かし、多くの街や家庭、人々の心を照らし、癒しや安らぎが得られる照明のデザインに関わっていきたいという。

今年末から“マスタード・シード(カラシ種)”という名のウェブデザインプロデュース会社も立ち上げる予定だ。そして「今後やりたいこと」を聞く中では冒頭のビデオの構想のような話もどんどん出てくる。50代後半、デザイナー人生に終わりはないという強い意思を感じさせる凡十郎さん。その好奇心とバイタリティに我々も元気をもらった取材であった。

公開日:2011年11月22日(火)
取材・文:おじま企画 小嶋 享氏
取材班:株式会社グライド 小久保 あきと氏