創作にのめり込み、活動の場も創造
中野 クニヒコ氏:イディアル・アート

中野氏

「創作活動が根っから好き」というイラストレーターの中野クニヒコ氏。平面イラストだけでなく、フィギュア、ジオラマといった立体作品まで幅広く制作している。イラストはエアブラシを使って写実性を極めた精緻な色遣いを、立体作品では写真やイラストなどの平面画をもとにして立体的に再現していくリアルな表現を得意とする。自分の作品を多くの人に見て欲しいという熱意から、個展を開催したり、公募展やアートフェアにも積極的に参加。さらには、自分が培ってきた技術を次の世代に広めていきたいという目標もあり、現在は専門学校の講師も兼務。多方面に活躍する中野氏に、イラストレーターになったきっかけや、仕事に対するこだわりについてお話をお伺いした。

レコードジャケットとの出会いが、イラストレーターへの道を拓いた

作品「ECHOES」

中野クニヒコ氏の出身地は兵庫県佐用町。山々に囲まれた盆地に田園風景が広がり、全国名水百選の清流・千種川や佐用川が流れるのどかな地域である。
自然に満ち溢れた里山で、少年時代を過ごした中野氏が、アートに目覚めたのは高校に入学して間もない頃。洋楽のレコードを手にしたことがきっかけだった。「米国で活躍するイラストレーターの長岡秀星さんが描かれた、レコードジャケットのイラストに魅せられたんです。自分の進むべき道はこれだと思いました」と、中野氏。

当時はインターネットもなく、地方では情報が入手しにくい時代。イラストレーターになるための進路を高校の先生に相談しても、前例がなく、答えてもらえない状況だったとか。「しかも、長岡さんと同じ描き方を試みたかったんですが、資料も集まらないですし、参考になるような情報がなくて困りました。NHK特集で、長岡さんがシンセサイザー奏者の喜多郎さんとともに取り上げられたときは、番組で紹介されたアトリエにあった道具を全てメモしましたよ」。画材を揃えるために小遣いを貯金し、念願かなってエアブラシや絵の具を入手。長岡さんの画集を教科書に、独学でイラスト制作に取り組んだ。「当時は恐いもの知らずで、完成した作品は複数の出版社に送ったんです。その中の一つがミステリー雑誌に採用されて。自信をつけた私はもっと専門的に取り組みたいと親に相談したんですが、絵描きに対してよい印象を持っておらず、反対されました。それで雑誌への投稿を繰り返して実績を作りました」。無事に親の了承を得て、大阪芸術大学へ進学。イラストレーションとグラフィックデザインを学んだ。
大学卒業後は、デザイン会社やイラストの制作会社で修行を積んだ中野氏。「サラリーマンであれば、就職した企業で実力を積み上げていくのが一般的です。ところが、われわれの業界では、制作に関する知恵の引き出しをたくさん持ち、広告制作会社などとのネットワークを築くことが大切です。そのため、3年をめどに動いた方がいいといわれているんです」。ようやく独立したのは30歳。「特に自信はなかった」というが、修行期間で培ったつながりから口コミでの受注も増え、イラストレーターとしては十分に認められた時期だった。

新しいことに取り組み、自らが動いて実現していく行動力

作品「Saxphone Player」
スカルプチャルプリシット

独立後、日本で活動する米国人ミュージシャンのCDジャケットデザインを手掛けるようになったことがきっかけで交流が深まり、米国で1カ月間のホームステイを経験。滞在先はジャズの発祥地として知られるルイジアナ州ニューオリンズだ。「そこで、玄関ポーチに設けたデッキに佇むおじいさんを見かけました。ハーモニカを吹いておられたのがとても絵になる風景で、このおじいさんを描きたいと思いました」。制作は帰国後に開始した。技法は平面イラストではなく、立体作品。「シワを再現しようと思ったのが始まりでした。刻まれたシワから、おじいさんの人生を表現したかったんです」。

当時、何か新しい表現にチャレンジしたいと思っていた中野氏は、広告関係の仕事の傍ら、ジャズをテーマにした立体作品の創作活動にも力を注いでいった。素材の知識や加工方法は全て独学で習得。そして1998年、ニューヨークで開催された立体イラストレーションの公募展「3-Dimensional Illustration Award」に参加することとなる。「多くの方々に見ていただきたい、というのが一番の理由です。日本にもフィギュアの公募展はありますが、私の作品を出すには場違いな感じがしたので、海外に目を向けました」。初めての「3-Dimensional Illustration Award」では、日本人がジャズをテーマに取り組んだアイデアが評価され、銅賞を受賞。授賞式のためにニューヨークに出向いたことで、新たなネットワークができたというメリットも。そこで別の公募展やアートフェアなどの紹介を受け、美術作家として活動の場を増やしていった。さらに、立体作品の専門誌「Sculptural Pursuit」に手紙を送って自らプロモーション。日本人のアーティストとして特集を組まれた実績もある。
こうした作家活動は、仕事にも活かされている。「人形が作れるなら別の物も作れるのでは」と、博物館・イベントで展示するフィギュアや、広告写真のメインビジュアルとして使う恐竜の骨格模型、撮影用の小道具としてオブジェや家具など、さまざまな立体作品の受注が増えていったという。

また創作活動においては、新たな取り組みに挑戦。現在、クリエイターとマテリアルアーティストによるコラボレーション「Kon-gara」でも活動している。メンバーはグラフィックデザイナーの牧野博泰氏、包装士の鈴木美奈子氏、和紙演出士の河手宏之氏と中野氏の4人。「耐久性とやさしい風合いを併せ持つ和紙に、立体的な要素を加えたり、光と影で表情をつけたりと、お互いで話しをした中から生まれたアイデアがどんどん発展していくんです。展示する場も増えてきているのがうれしいですね」と、さらなる創作意欲を燃やしている。

作家が活動しやすい環境をつくっていきたい

作業風景

現在は、専門学校で講師も務めている中野氏。指導しているのは、グラフィックの基礎と立体造形だが、エアブラシを専門的に教えて自分が学んだ技術を残していきたいという思いも。さらに「今はコンピューターグラフィックが盛んで、エアブラシで描いた絵画は忘れ去られた過去の技法のようにいわれています。その原因のひとつに日本で文化的な土壌が根付いていないことが挙げられます。そもそも日本における絵画の世界は、油絵、日本画、水彩画という限られた分野しか認められていないのが現実。だから作家さんたちが活動しやすい場を作っていけたら、と思います」。今後、中野氏自身の活躍の場も着実に広がっていくだろう。

公開日:2011年08月31日(水)
取材・文:清野礼子 清野 礼子氏
取材班:株式会社キョウツウデザイン 堀 智久氏