目指すところは、“喜んでもらってなんぼ”
緒方 修平氏:(株)マスターリンク

緒方氏

南船場に事務所を構える株式会社マスターリンクは、グラフィックデザインを通し、記憶に残る広告的技法で企業とユーザーの橋渡し役を展開してきた。
代表の緒方修平氏は、グラフィックデザイナー歴25年。
磨かれた感性で様々なクライアントのニーズに応えている。
今回は緒方氏に、グラフィックデザイナーになった経緯や今後の展望などをうかがった。

子供の頃は絵を描くことが好きでした

取材風景
作品

小学校時代、卒業の寄せ書きに“将来の夢はイラストレーター”と書いた。
特に絵を習っていたわけでもない。
独学で学んだというより、ただ絵が好きだった。
「勉強は全くでしたが、絵のコンクールで賞をもらって、初めて人様から評価をいただいたので、僕にはこの道しかない、と漠然と思っていました」
高校の時、美術の授業でポスター作りに興味を抱く。
「美術の時間、自由作品を作るという課題だったのですが、絵だけ…というのが描けないことに気づきました。どうしても文字が入ってはじめて完成する構図になってしまう」。
卒業後は別の仕事に就いたものの、ある日、新聞広告の求人欄で「Gデザイナー募集」の文字に目を止める。
「Gデザイナーってなんだろう?」
よくわからないまま応募するも、面接時にどこの美術系学校の出身かをたずねられ、専門学校に通うことを決意、夜間学校で2年間、グラフィックデザインを学ぶ。
「こんな内容でホンマに役に立つのかなぁ?」
疑念を抱きつつもなんとか卒業し、学校講師の紹介でプロダクションに就職、グラフィックデザイナーとして4年勤めた。
その後は別の会社で8年勤務し、1999年春には念願の独立を果たす。
「グラフィックのみの世界ではなく、もっといろんな仕事の幅を広げて展開していきたい。そんな思いから独立に至りました」。

プレゼントを選ぶことが好きですね

緒方氏

緒方氏は、プレゼントを選ぶことが好きだという。
相手が意識より深いところで求めているものを察知しては提供し、喜んでもらう瞬間が一番嬉しい。
仕事においても、「本当に求めているのはこれではないでしょうか?」と、企業側がオーダー用紙に書いていない“4番目”に提案したものに反応があると、この上なく喜びを感じる。
感動させたい、喜ばせたい―。
そんな彼の思いやりともいえる心配りが、斬新な作品を生み出す原動力となり、多くの仕事を呼ぶ結果につながってきたのだろう。
「もちろん大ハズレの時もありますが…(笑)」。

未来のビジョンへと向かって…

緒方氏

近年、インターネットの導入で広告・パンフレット等のコミュニケーションツールはニーズとして激減、これまでグラフィックデザイナー達がこだわってきた要的なものは情報伝達として最低限のコストで作るという風潮になってきている。
そういった中で現在、緒方氏は次なる展開として、情報社会において広義のデザインといえる事業計画を進めている。
具体的な内容はまだ公に発表されていないものの、まもなく現実化される。
「手前味噌ではありますが、今まで使ってきた脳筋肉をそのまま利用してできることがあると思います。まさに資源の有効活用といったところですね」。
思考の枠と間口を少し広げることで多角的な発想が生まれ、色々なものを作ることができる…と、緒方氏は熱く語る。
これまで企業とユーザーの橋渡しをしながら、ユーザーが何を求めているのかを感じ、その中で伝わるものを目指して作ってきたが、今度は“今の時代に求められていることそのもの”をカテゴライズし、ひとつのシステムとして形にしようとしている。
「僕らクリエイターの最大の特権は、“なんでもあり”な未来のビジョンを描けること。実現不可能に見えることでも描けてしまう自由さと、むこうみずな愚かさを持っています。同時に、頭のどこかで“実現の可能性”を理解しているところも持ち合わせているのではないかと。だからこそ、決して夢を自己満足で終わらせることはない」。

緒方氏が描く未来のビジョンは、“世界の人々が発展的思考で手をつなぐこと”。
「何事においてもそうですが、“そんなん無理や”と思ってしまった瞬間に、それは実現しなくなります。だけど、“できるかも”と追求していくことで、可能性というものは生まれるんです。『思考は実現化する』という有名な本にもあるように、まさにそういうことではないかと思うんです」。
この道25年―今なお、グラフィックデザイナーという職業に上書きをし、新たなる筋書きを描こうとしている。
『緒方修平物語』は第2章へとまだまだ続く…。

公開日:2011年08月29日(月)
取材・文:堀内優美 堀内 優美氏
取材班:情熱の学校 エサキ ヨシノリ氏