「半歩先」にあるもの
田上 博敏氏:BEGLAD TT.ZONE

田上氏

カタログ、パンフレット、チラシ等、商業写真を中心にクライアントの要望に合わせさまざまなシーンを撮影するフォトグラファー田上博敏(たのうえひろとし)氏。
「僕はね、いい意味でクライアントの期待を裏切れるものを撮りたい。剣道でいう『出小手』みたいに、相手がちょっと踏み出した瞬間、さらに大きく踏み出して技を仕掛ける、そんな『やられたーッ!』って言わせる仕事をしたいんです」。
周囲から「たのさん」と称され親しまれる氏は、そう言いながら屈託のない表情で笑った。

「100mを走りきれ!」

「たのさん」のカメラの師匠は「22歳年上のアニキ」だそう。学生卒業後、当時大阪市内・天満駅付近でカメラスタジオを構えていた兄・輝彦さんに誘われ生まれ育った九州から上阪、弟子入りした。しかし、「それまで写真と言えばピースして撮ってもらうことしか頭になかった」と話すたのさん。アシスタント生活を送りながら、フィルムの詰め方に始まり、カメラのイロハを一つずつ学んだ。
半年経ったある日の朝、師から木製の箱を渡され「去年のカタログ写真と同じように撮ってみろ」と、初めて「仕事」として商材写真の撮影を指示された。しかし当然のことながら、なかなか思うように撮れない。ハイライト、色のバランス、角度…試行錯誤を繰り返し、気づけば夜中の12時をまわっていた。しかし、撮ればとるほど画像のバランスが悪くなる。師からは「もっと心を入れて撮ってこい!」と再三叱られた。
「結局、OKをもらうまでに丸3日かかりました。兄は、僕の腕が未熟だからと言って決して妥協を許さなかった。『100mを10秒で走ることは出来なくても、100mを走りきることはできるだろう?』って。たとえ何日かかっても、プロのレベルに達するまで絶対に作業をやめさせませんでした」。
こうして兄・輝彦さんの指導の下、たのさんはフォトグラファーとして経験を積んだ。

+αをつけてこそ引き受けた甲斐がある

最近では写真業界もデジタル化され、納品データをメール上でやりとりするようになった。便利にはなったが、以前のように相手の反応を確認できず面白くないとたのさんは話す。
「写真を見た瞬間、予想以上の出来映えにクライアントが『おっ!』と息を飲む表情を見たいんです。逆に向こうが予想していた通りのものを出して『はい、これでイケます』なんて言われたら一番情けないですよ」。
たのさんにとって言われたことをするのは当たり前。そこに+αを加え、相手を驚かせてこそ自分が引きうけた甲斐があり、プロとしての仕事を果たせたと感じるのだ。
以前、カタログの表紙撮影を依頼された時のこと、フィルム写真を使って、まるでCG合成したような作品を撮影した。それは、人形とワイングラスをメインに置き、その背景に楽譜を浮かび上がらせるというもの。今ならパソコンを使って簡単に画像を合成できるが、十数年前はそんな技術もなく、後ろに幕を張って楽譜を映し出した。メインの被写体と背景の調和にはかなり苦戦を強いられたそう。「相手の予想を上回りたい」とのたのさんの苦心が伝わってくる。

作品

「半歩先」を測るコツ

取材風景

その一方でたのさんは、「だけど、あまり突飛なことをするとクライアントの求めているものとかけ離れてしまうから、その“半歩先”、ちょっと期待を上回るくらいのものを考えるんです」と付け加える。実はこの微妙な距離感を測るのはなかなか難しいこと。独りよがりな思い込みでは決して“半歩先”は成り立たない。
だがその点、たのさんはクライアントの要望を察知するのが格段に巧いと仕事仲間である、企業ブランディングプロデューサー・エサキ氏は言う。
「町工場の撮影の際、僕はコーディネーターとして同行するんですが、たのさんはクライアントと談笑しながらすぐに相手の思いを掴みます。こちらが皆まで言わなくても、工員のおじさんのいい表情を撮ってくれるんです」
このような仕事ぶりは、単にたのさんのコミュニケーション能力の良さだけではない。
「僕はどんな仕事の時も、予算内で良いものを仕上げる、と同時に逆にもっと自由な予算が組めるなら自分はどんな付加価値をつけてクライアントを満足させられるだろうって、毎回そこまで考えを張り巡らせています」。
クライアントを満足させるために自分は何ができるか、と常に自問自答を繰り返す。この姿勢こそ、クライアントの「半歩先」を生み出す秘訣だ。

餅は餅屋

「子どもの運動会に行くとね、プロ顔負けの高品質なデジカメを持っているお父さん方がたくさんおられるんです」とたのさんは笑う。確かに、10年ほど前からデジタルカメラが台頭し素人でも“それなり”の写真が撮れるようになった。お陰でプロへの依頼が減ったと嘆くカメラマンも少なくない。が、たのさんの考え方は逆だ。
「今までは『カメラマンは機材にお金をかけているからこそ、いい写真が撮れる』と思われていました。だけど、こうして皆がクオリティーの高いカメラを持って同じ土俵に立つと、腕の違いが歴然と表れるんです」。
それを物語る一つの例が、たのさんが昨年から手掛けている、個人向けの「コスプレイヤー写真」「マタニティー写真」だ。こういった類の写真は商業写真と違い、家族や友人同士で撮影されるケースが多い。
「写真でもプリクラでも皆、正面から写すから、自分の本当にいい表情に気づいていない人がたくさんいます。だけど人はそれぞれ最高にいいフォルムというものを持っていますから、それを見つけ写真に収めるんです」。
やはり餅は餅屋。たのさんが撮影した写真を見ると、素人では到底引き出せない新鮮な表情を捉えている。撮影された本人は、写真を見た瞬間、見たことのない自身の表情に、驚きと喜びを感じるだろう。たのさんにとって、相手の予想を上回る「半歩先」を叶えた瞬間だ。
たのさんが常に求める「半歩先」とは、写真を依頼するクライアントの満足。強いてはクライアントが最終的に写真を見せる相手、エンドユーザーの満足をも含む。商業写真であれ、個人向け写真であれ、「人を喜ばせたい」との情熱がたのさんのフォトグラファーとしての意欲を掻き立てるのだ。

「結局ね、僕は人の笑顔が見たいんですよ」と微笑むたのさん。この思いに突き動かされて、彼は今日もシャッターを切る。

作品

公開日:2011年07月29日(金)
取材・文:竹田亮子 竹田 亮子氏
取材班:情熱の学校 エサキ ヨシノリ氏、株式会社Meta-Design-Development 鷺本 晴香氏