常に全力投球!の新人カメラマン
西村 優子氏:

ひとつひとつの仕事を大切につなげて

西村氏

「新人カメラマンです!」これっぽっちも見栄を張ることなく堂々と言う姿が清々しい。西村優子さんはスタジオで3年、カタログの物撮りやモデル撮影を中心に経験を積んだ後2007年に独立したフリーカメラマンだ。
「(スタジオの)外に出たらどんなことができるのかやってみたい。ダメならまた就職すればいい」。そんな気持ちで独立に踏み切ったという。とはいえ、西村さんは大阪で一人暮らし。生活がかかっている。
「本当にゼロからの出発だったので不安もありました。お金はないけど時間はあるので、まず1年目はどんどん外に出ていこうと。外に出ることが営業になると思ったんです。実際、大きなカメラの荷物を持ってぶらりと寄った洋服屋さんに『カメラされるんですか』と声をかけられ仕事をいただいたこともあります」。そうやって得た仕事は、どんなに小さな仕事でもかけがえのないものだった。「ひとつひとつの仕事すべてに全力投球です。撮影だけじゃなく、カメラマンのアシスタントの仕事は『お金を貰って勉強させていただける貴重な機会』と思って臨んでいます」。そんな努力の甲斐あって、徐々にクライアントや頼まれる仕事も増え、カメラマンの仕事に手ごたえを感じ始めているこの頃。カメラアシスタントのリピーター率は100%という。

スタイリスト志望からカメラマンへ

西村さんはもともとスタイリスト志望。服飾関係の母の仕事を見て育った影響で、子どものころから洋服やアクセサリーが好き。スタイリストを目指して美術系短大に進んだのは自然な流れだった。しかし、短大での写真の授業が人生を変えてしまう。「屋外で撮影したり現像したりする実践的な授業だったんですが、講師の先生に褒められたのがきっかけで将来はカメラマンになりたいと思うようになったんです」。より深く写真を学ぶため短大卒業後、さらに写真の専門学校に進んだ。そして、その後に就職したのは何と短大時代に写真を褒めてくれた恩師が所属するスタジオ。「10数件のスタジオを回ったのですが、やっぱり写真の楽しさを教えてくれた先生のところに行きたかった。好きなファッション関係の撮影ができることにも魅力を感じていました」。

「日々勉強」、の3年間

作品

念願叶っての就職となったが、約1年間、写真から少し離れてしまった時期もあったと言う。「印刷物の制作をする部署に異動になってしまって。企画編集から印刷までの行程をすべて学べて学べたことは今となってはいい勉強になったし、そのときの経験は今の仕事にも生きていると思うけれど、当時は“同期より遅れる”という焦りの方が大きかったですね。だから1年後にカメラアシスタントに戻ってからは‘遅れ’を取り戻そうと誰よりも勉強しました。カメラマンが撮影した後に自分も撮らせてもらったり、スタジオに残ってセッティングを再現したり。とても濃くて充実した毎日でした」。スタジオから独立した今でもお世話になることも多いそう。

当サイトを営業ツールに!?

ところで、西村さんがここに登場することになったのは、彼女流‘営業活動’がきっかけ。「ある日メビックのサイトを見付けて『これは使える!』と(笑)。掲載されているデザイン事務所の記事をかたっぱしから読んでは会ってくれそうな会社に売り込みの電話をかけたんです。最初に電話をかけるときってものすごくドキドキするんですよ。でもやっと仕事が徐々に増えてきて、フリーとしてきっちりやっていくにはもうひと頑張りなんです。再度、初心に戻って自分から積極的に動いて行こうと。そして、勇気を出して電話をかけてみると意外にもほとんどの方が会ってくださいました」。

真摯な姿勢の奥に可能性を秘めて

西村氏

取材の間ずっと、謙虚な物腰の奥に凛とした「自信」のようなものが見え隠れしていた。それはきっと写真の腕だけでなく、西村さんがどの時期においても「自分に納得できるまで全力で走ってきた」という自信の表れなのだと思う。それがあるからこそゼロからの独立を決意し、なれない「営業活動」に(ドキドキしながらも)飛び込める。今後、カメラマンとしてどんな方向に向かっていきたいか尋ねると、「女性目線の表現が得意です。でも、今の時点で決めてしまわず、いろんな可能性に挑戦したい」とのこと。「きっとどんな仕事でもこの人ならベストなものを出してくれるのだろう」と、不思議と周囲に安心感を与える新人らしからぬ雰囲気。「この新人カメラマンに任せてみよう」と新規のクライアントが思わず仕事を頼んでしまうのも分かる気がした。

公開日:2010年12月13日(月)
取材・文:わかはら 真理子氏
取材班:株式会社ジーグラフィックス 池田 敦氏