過去の経験が、今の自分をつくる
荒田 利高氏:アージャック

荒田

ホテルでベルボーイをしたり、フレンチレストランのウエイター見習いをしたり、米軍基地で小型拳銃を携え軍の上層部を警護、及び航空内警備するSP(Security Police)のアシスタントをしたりと、さまざまな職業を経験してきた荒田利高さん。現在はグラフィックデザイナーとして、主に食料品のパッケージや飲食店などの広告デザインを手掛ける。
「これまで色々と経験してきて思うんですが、一見デザインの仕事とは何の関係もない経験が、デザイナーという職業に大いに役立っています。人生に無駄な経験なんて、ひとつもないとつくづく思いますね」。

とにかく会社に貢献したい

作品

大学卒業後、さまざまな職業を経て、現在の職業の礎を築くことになる色校正専門の印刷工場に就職したのが、28歳のとき。入社後、荒田さんに与えられた仕事は、刷り上った色校正用のゲラを発注先に届ける配達係だった。当時はバブルがはじけていたにもかかわらず、若手の色校正職人が印刷業界には少なく、小規模の色校正工場でさえ、初任給が30万円もあった。
「そりゃうれしかったですよ。でもそのうち、仕事内容に比べ給料をもらい過ぎではないかと思い始めたんです。お世話になっているんだから少しでも社長の役に立ちたいと思いました。でもそれは簡単な事ではありません。職人の世界だけに、印刷の技術を教えてくれる人は誰もいません。ただ勝手に見て覚えて習得するしか方法がありませんでした」。
荒田さんは、朝5時に出社し、誰もいない工場でひたすら印刷の特訓に打ち込んだ。
「最初はひどい出来でしたが、めげずにひたすら独りで特訓を続けました。とにかく、会社に貢献できるようになりたいという思いが強かったんです。そのうちに先輩が、『そこまで熱心にするんなら』と同じように早く出社し、特訓に付き合ってくれるようになりました。お陰で、色彩バランスや紙質の知識を身につけ、印刷に関してのノウハウを習得することができました」。
入社して二年が過ぎるころには、腕を認められ、難しい社長の仕事の一部を任せてもらえるまでになった。さらに、この努力が社長に買われ、事業拡大に伴って新設されたデザイン部へ配属されることになる。
「もともと絵を描くのが好きだったんで、以前からデザインの世界に憧れていました。しかし、まさか色校正専門の工場でデザインの仕事に就けるなんて夢にも思いませんでした」。先輩デザイナーの手伝いをしながら、この仕事の面白さにどんどんのめり込んでゆく。

広告デザインの視野を拡げてくれた“おじさん”

作品

その後、デザイナーとしてステップアップしてゆくために、複数の会社で経験を積んでゆくのだが、決して平坦な道ではなかった。デザイナーを辞めようと思ったことも一度や二度ではない。
「専門学校でデザインの基礎をしっかり学んでいるデザイナーさんと比べ、僕は実践で技術を身につけたので、どうしても論理的でなく感覚的な仕事になってしまうんです。学問としてデザインを学んでない分、相手に雑な印象を与えてしまうんです」。
自分のデザインに自信を喪失していた、そんな折に出合ったのが、これまで見たこともないスタイルの広告の仕事だった。
「広告の仕事といっても、三輪自転車の荷台に高さ約1m、幅と奥行きがともに約50cmの立体看板を乗せ、そこに割引クーポン付きの広告を20件×4面分貼り付けて、アフター5の街角で会社帰りのサラリーマンやOLに向けて宣伝するというもの。相手の要望に合ったお店を勧めて予約までお世話をするんです。今で言う『街角コンシェルジュ』というところでしょうか(笑)。それまで、デザイナーとして広告業界に身を置いていた自負はありましたが、この仕事を経験したお陰でアナログの大切さを思い知らされ、広告デザインの視野が一気に拓けました」。
この仕事の師匠である“おじさん”に付いて修業を積んでいくうちに、荒田さんは宣伝・広告のノウハウ、訴求するためのデザインのロジックを自分のものにしていった。
「クーポンは、おじさんが各店舗のチラシから適当な部分を“エエとこ取り”して作った代物に関わらず、それがまたいいんです。各店舗のセールスポントを押さえ、お客に訴えかけるデザインに仕上がっていました。僕もそれまで多くの飲食店のチラシを作ってきましたが、デザイン性ばかりを追い求めてお客さんの心理を無視していたことに気づかされました。ずっと後になって分かったんですが、このおじさん、某老舗日本料理店の広告部門を担当していた、かつての敏腕社員やったんです」。
市の条例によりこの広告スタイル自体が禁止されることになったが、この経験は、現在の荒田さんの広告デザインの考え方の基礎になっている。

無駄なことは一つもない

作品

「これまで好き勝手なことをしてきたにも関わらず、いつも周りの人たちに助けられてきました。だからその分、仕事を通じて世間に恩返しする義務が僕にはあるんです。幸い印刷工場にいたお陰で、僕には印刷の知識があります。例えば、あまりコストをかけられない場合でも、紙質やサイズを工夫したり、色の配色を考えたりすることで、4色のフルカラーを使わなくても、2色刷りでも相手の要望を充たしたデザインが提案できます。また、三輪自転車でのクーポン付き広告の仕事では、お客の心理を考慮したチラシづくりを徹底的に仕込んでもらったので、反響あるものを考えられます。これまで、無作為に好き勝手にやってきた経験が、今になって広告デザインという仕事に非常に役立っているんで、人生って不思議だなぁと思うと同時に、自分はなんて恵まれているんだろうって、感じずにはいられません」。
一見、何の役にも立ちそうでないことが、後々生きてゆくうえで智恵となり、財産になると実感する荒田さん。荒田さんのようにそれを実感できれば、誰もが今の苦労や虚無感さえも素直に受け入れられるかも知れない。

公開日:2010年10月19日(火)
取材・文:竹田亮子 竹田 亮子氏
取材班:有限会社ガラモンド 帆前 好恵氏