お客様と一緒に育ち、一緒に大きくなる。
茨木 繁氏:(株)スタジオ・ビーアンドエム

1983年創業の株式会社スタジオビーアンドエムは、映像、放送、CMの撮影後のビデオ編集、音楽製作、ナレーションやアフレコの録音作業やCGを駆使したVFX合成などの特殊効果処理などを行うポストプロダクション。現在、代表取締役社長を務める茨木繁さんはお父様からこの会社を引き継ぎ9年になる。
「創業時は、まだバブル期の余韻が残っていて、いまの時代に比べると高価格、高品質がもてはやされている時代でした。その頃に比べると単価は半分から1/3程度まで下がってはいますが、リニア編集からパソコンを使ったノンリニア編集へ移行し設備資金面での軽量化が可能になったことで辻褄を合わせているという感じですね。」

茨木氏

ビデオ映像をAとBのテープをからCというテープにA、Bそれぞれの欲しい部分を調整しながら頭から乗算して編集を行う方式のリニア編集。放送専用デッキは約一千万円、最低でも3台は必要となる。投資金額も大きいが、高価格・高品質をもっとうにスタジオビーアンドエムは成長してきた。しかし時代の技術の進化はポストプロダクションだけでなく、世の中全体に早さと簡単が求められるようになる、その象徴的な存在がパソコンだ。これまで専門家だけが持っていた技術が、パソコンによって一般に開放された。それを使った映像編集技術であるノンリニア編集は、ビデオ映像を一旦ハードディスクなどにデジタルデータで取り込み、コンピュータで編集を行うというもの。一般的なパソコンと専用のソフトを導入し、使いこなす技術さえ持ち合わせていれば(クリエイティブ部分・品質管理はさておき)ポストプロダクションに編集作業を委託しなくても制作会社などでもできる時代となってきた。

「5年前には編集専用のノンリニアではない、一般で購入可能なハード(Mac)とソフト(ファイナルカットプロ)を、社員規模が15人以上の在阪ポストプロダクションでは一番に導入。「導入することによりお客様との親和性や利便性を高めていきました。弊社も当初は社員の中から戸惑い(専用機ではない為機材トラブルや保守に対応出来るか?)の声もありましたが、機材は安価なり販売価格を抑えられるのでお客様にも支持される、クリエイティブがしっかりしており品質管理をきっちりと行なう事、専用編集機と連動する事でお客様のニーズは広がる、という理由で導入を決定しました。今ではお客様の幅も増えましたし、色々と便利に使っていただくこと、ノウハウが蓄積された事で乗り切っているという感じです。」

バイクレーサーで培った哲学と、CM会社で鍛えられたマネージメント力

取材風景

采配をまかされて9年、それまで会社を継ぐということは考えていなかったという茨木さん。
「はい、28才までヤマハ発動機の専属レーサーとして、市販のレース用マシンの開発をやっていました。」
元全日本チャンピオン。バイクが好きで好きで、それ以外の事は考えたこともない人間がバイクを降り、新たに始めた人生。それでも会社を継ぐのではなく茨木さんが選んだ道は東京で200名の社員を抱える、大手CM制作会社での勤務だった。
「父の友人の経営する会社でしたが、営業であろうとスポーツ選手であろうと優れたものを持っている人材ならOKというユニークな会社で、僕は28才で使い走りからスタートしました。最終的にはプロダクションマネージャー(制作進行)まで任されるようになっていました。」
飯は食えない、眠れない怒濤の日々を経験。しかし一つのプロジェクト予算が千万単位はあたり前という仕事。企画構成、予算の配分、スタッフへの連絡、クライアントとの時間調整、現場の全ての把握からコントロールまで。広告代理店の予算から利益率を確保し、外から見えない部分の経費を抑えつつ、どこにどうお金を配分するのかを考える。少し大きな予算になると小さな会社を経営しているのとなんら変わらない。
「肉体的には大変でしたが、バイクレースのように死ぬということはない。与えられたものに対して一生懸命やる!楽しくやる!というのが僕の基本
ですから。」

走り出ししてしまうと何事も自分の責任

茨木氏

CM制作会社で4年勤務した後、実父が亡くなったことで株式会社スタジオビーアンドエムの社長となった茨木さん。
「こんなこと言うと怒られますが、社長になる気など全くなかったんです。しかし、これも与えられたものに対して一生懸命やる!走り出してしまうと何事も自分の責任。そういうところはバイクレーサーの頃に培った精神からきているのかもしれません。」

単純にレース勝つということだけでなく、市販レーサー用バイクの開発という一定の条件下のミッションを抱えながら、100%のパフォーマンスを出す精神力はレーサー時代に培ったもの。そしてそのレーサーを辞め、見知らぬCM制作の世界へ飛び込み、クライアントが持つイメージを咀嚼解釈し、現場に伝え、それをコントロールしながらクライアントにフィードバック、満足してもらえるものを創ることを目指してきた。

茨木氏

これら経験をベースに、茨木さんが現在の会社を引き継いでからは、テレビが70〜80%占めていた仕事に、CM制作をやってきたキャリアを生かし、広告系の仕事にも手を広げ、いまではテレビと広告系が50%ずつという配分になっている。
ポストプロダクションという仕事は放送局との距離の近さも重用視される商売。大阪なら放送局は北区に集中しているため、必然的にポストプロダクションも北区に集中する。ある意味、親密性を保たなければ成り立たないため
商圏としては狭い。
「口を開けて待っているしかないというポストプロダクションならではの受注産業体質からの脱出は、僕がプロデューサーとしてどれだけのブレーンを持ち、ネットワーク力を活かし、クライアントが100考えていることを101、102へと増やし、一緒に成長していくことが何よりも大切なことだと思います。」
今後はポストプロダクションとしてこれまで培ってきた映像分野でのスキルとネットワーク力を活かし、それを資産にあらゆる事業展開を考えながら海外市場の開拓も視点に入れて活動をしていきたいと茨木さんは語った。

公開日:2010年10月07日(木)
取材・文:株式会社ルセット 松本 希子氏