個性は僕のたった一つの武器なんです。
上田 バロン氏:FR/LAME MONGER

上田氏

目が印象的なキャラクターイラストで、広告や出版を中心にゲーム、テレビなどの分野まで活動の幅を広げているのが、上田バロン氏だ。最近は、自転車のプロダクトデザインまで手掛けるバロン氏だが、イラストレーターとしての自分を確立するには、紆余曲折があったという。今回のインタビューではイラストレーターになるまでの話や、『上田バロン』というペンネーム誕生の逸話などをおうかがいした。

絵以外のことを数多く学んだ専門学校生時代。

子供の頃は、教科書の余白にびっしりと絵を描くほど絵が大好きだったという。
「当時だとガンダムのイラストを描くと、クラスの人気者になれたんですよ。絵を描くとクラスの友だちが集まってきて喜んでくれるのが、理屈抜きで嬉しかった」

そんなバロン氏は、絵を仕事にしたかったが、進学を希望する両親の反対により芸大進学で“妥協”することに。本人曰く「絵を描く試験なんて楽勝やん、と完全に芸大の実技試験をナメてました(笑)」との言葉通り、実技試験の準備不足で結果は不合格。結局、大学進学を諦めてデザイン系の専門学校に進んだ。
専門学校での3年間はとても充実していたという。最初はマンガコースで絵を勉強するつもりだったが、やりたいことを伝えて勧められたグラフィックデザインコースに進んだ。
「専門学校での3年間が今の自分のベース。絵を勉強するつもりが、グラフィックデザインもプレゼンテーションもコミュニケーションも勉強できました」

グラフィックデザイナーからイラストレーターへ。

専門学校ではイラストからグラフィックデザインに興味が移りつつあったため、デザイン会社に就職。退職するまでの3年半の間、グラフィックデザイナーとしてがむしゃらに働いて学んだ。グラフィックやイラストのみならず、POPやディスプレイ、パース、パッケージなど、あらゆる仕事を経験した。
バロン氏はこの会社で働く中で、一つの方向性が見えたという。
「コンピュータは道具。自分の個性をコンピュータという道具で表現していかないと、コンピュータに使われてしまうと感じたんです。そこで、コンピュータのソフトに頼らずに、シンプルな線とベタ塗りだけで僕の個性が表現できるぐらいじゃないと、いずれコンピュータに使われてしまうと感じたんです」

退職後もグラフィックデザイナーとして仕事をしていたが、イラストを仕事にしたいという思いがあったという。そこで、東京や大阪で個展や企画展を行って、自分のイラストを多くの人に見てもらう機会を自ら作ったり、グラフィックデザインの営業と一緒に、イラストも売り込みをしていたという。転機が訪れたのは大阪の某ラジオ局。最初グラフィックデザインの売り込みに行ったつもりが、イラストのポートフォリオを見せたところ、プロデューサーから「次のコンテストに出してみたら?」と勧められ、1年目、2年目とも入賞はできなかったが、プロデューサーがバロン氏の情熱を認めてくれたのか、とある番組のキャラクターデザインを担当することになった。これがイラストレーターとしてやっていく上で大きな自信になったという。

「相手に喜ばれることで、自分ももっと良いものを作っていこうと考える……単純にこの流れが楽しくて嬉しかったんです。小学生の時にガンダムのイラストを描いた時みたいで。こんな面白くてやりがいのある仕事はないと感じました。ラジオ局の仕事は、僕にイラストレーターとしてやっていく自信と、自分のスタイルを確立するチャンスを与えてくれました。同じ頃、徐々に東京からもイラストの仕事が来るようになりました。大阪にいても、きちんとコミュニケーションをすれば、距離を超えて東京の仕事ができる。専門学校時代に学んだことが役に立っています」


googleChromeのアーティストテーマイメージ

僕の個性を出したイラストで勝負したかった。

グラフィックデザイナーとしての上田バロンは、イラストレーターの自分とは全く異なるスタンスで仕事をしていたという。
「グラフィックデザイナーの仕事は、クライアントの要望をほとんど受け入れるスタイルで仕事をしていました。でも、独立してからのイラストの仕事に関しては、僕のイラストのテイストを受け入れてもらえる仕事だけ。個性やオリジナリティを大切にして、自分だけの表現で勝負することこそが、この世界で僕が生き残る方法だと思っています」

これは、ワガママでもないし、色々なテイストが描けるイラストレーターを否定するものでもない。万人が受け入れやすいイラストを描ける人も、バロン氏のような個性的なイラストを描ける人も、両方が必要なのだ。
「本当に求められる状況でプロジェクトに指名される方が、ブレのない表現が提供できます。それこそが最大の楽しみでもあり喜びになっていて、やりがいや可能性の追求にもつながります。やりたい思いにこだわって、自分の表現を発信し続けることで、表現そのものをブランド的に捉えてもらえるのではないかと考えるようになりました。僕が一人でイラストレーターとしてやっていくためには、このスタンスが必要なんです」


HondaMagazine掲載の特集ビジュアル

実は『上田バロン』じゃなくて『上田男爵』だった!?

上田氏

会う前から気になっていた『上田バロン』の由来について尋ねると、初展覧会の時に付けたペンネームをそのまま使っているという。
“上田”という名字はありきたりで個性的ではなかったので、冗談のようなインパクトのある名前が欲しいと考えていたそうだ。
「最初は“上田男爵”というペンネームを思いついたんです。かなり気に入ってこれに決まり、と。でも、会社に戻ってふと引き出しにある和英辞典が目に付きました。僕、辞書を引くのが好きで“男爵”を引いてみたら、“バロン”と出てきて『コッチの方がエエやん』って(笑)」

そして、目の前のMacで色々なフォントを使って“上田バロン”と打ち込んだりしたそうだ。
「カナのシンプルな感じがバランスもいいし、しっくりくる。なにより語呂がイイ!先輩に内線して『やっぱバロンにしますわ〜』って(笑)」
この名前に後押しされるように、独立当初の不慣れな営業活動では、つかみのネタとして絶大な効果を発揮したそうだ。

最後にこれからの目標をうかがった。
「機会があれば世界に飛び出したい。夢の夢と思っていたけど、今の世界はインターネットなどで結構近いと感じています。まだ能動的に動けていませんが、世界中の人に自分の作品を見てもらってコミュニケーションしたいですね」

公開日:2010年08月23日(月)
取材・文:株式会社ショートカプチーノ 中 直照氏
取材班:有限会社ガラモンド 帆前 好恵氏