“ギブ”から生まれるパートナーシップ
平沢 吉雄氏:(株)チアーズ(cheers)

平沢氏

起業は「たまたま知り合いに声をかけられて」。自社のこれまでの経緯に関しても、「とくに戦略とか、考えたわけじゃないけどなぁ……」と語る平沢氏。オフィス機器のディスプレイ、インターネット通販、WEBアプリケーション開発など、バブルが崩壊した不況の日本経済の中で、見事に成功させた事業さえも、「まぁ、時代がそういう方向に流れていったんやろうね」と、まったく自らを誇示することなく、まるで他人事のように話す。
自らについて多くを語らないだけに一見淡白な人柄を想像するが、そうではない。淡々と語る、思いやりあるフレーズからは、隠しても隠し切れない人間味が漂う。創業当時から徹底して貫く「cheers=パートナー」という考え方、それは平沢氏の真摯な人柄そのものだった。

発注内容にはこだわらないが、発注先との付き合い方にはこだわる。

平沢氏

英単語の「cheers」には、応援する。声援する。鼓舞する。などの意味がある。
「パートナーとして、クライアントに協力する。応援する。そんな会社にしたかったんです」と話す平沢氏は、30歳の頃、それまでのサラリーマン生活に別れを告げ、人材アウトソーシング会社を立ち上げる。その後、同社は時代の波に乗ってインターネットに着手。独学で勉強しながら徐々に拡大してゆき、今では企業のITソリューションパートナーとしてWebサービスを提供する会社になるまでに至った。
「別に仕事の内容は何でもよかったんです。cheersというスタンスで付き合っていければ、それでいいんです」。
パートナーとしてクライアントとともにベストな方法を作り上げていく姿勢を信条とする。例えばクライアント企業のホームページを制作する場合でも、「どういう効果を狙っているのか?」「今後の事業展開の上でいかに運用していくのか?」という根本的な部分を徹底的に話し合い、クライアントがめざす将来設計を把握し、クライアント企業に見合ったオリジナルのWEB戦略を提案する。
「単に注文通りのモノを作るのは簡単です。だけどうちは、パートナーとして、長く付き合える関係を築いていきたいと思っています。そのためには、将来のビジョンに向けて、今、何が必要かを一緒になって考えることが大事だと思うんです。そういうことが相談できる、頼りになる存在でありたいんです」。

人生を変えた“親方4人衆”との出逢い

起業から数ヵ月、平沢氏はある運命的な出逢いを果たす。
当時cheersは、大手オフィス家具メーカーの下請けの下請け。孫請けという立場で、受注が非常に不安定だった。仕事量の変動が大きく、一時はアルバイトを全員解雇し、自分一人になったこともあった。先行きの見えない将来に不安を募らせていた矢先のこと。
ある日、朝食をとるために入った喫茶店で、初老の4人グループに突然声をかけられた。「兄ちゃん、こんな時間帯に何してんねん? ええ若いモンが……」。これが、平沢氏のその後の人生に大きな影響を及ぼす。彼らは、それぞれが工務店を営んでおり、その日は仕事のミーティングをしていた。意気消沈していた平沢氏の姿を見て、“親方4人衆”は若き日の自分たちの姿と重なり、他人事とは思えなくなって声をかけたのだ。彼らは、出逢ったばかりの平沢氏に自社の仕事を回すように手はずを整えてくれた。彼らからの仕事が基軸となって各方面から発注が入り出し、cheersの事業は徐々に好転していった。まさに“命の恩人たち”である。
「ガムシャラになって働きました。昔気質な人たちで、普段は温厚なんですけど仕事には非常に厳しかったでね。現場に行ったら人格が変わってしまうというか、僕もしょっちゅう怒鳴られてました。技術だけでなく、仕事に対する姿勢も仕込んでもらいました。見ず知らずの若者を信頼して仕事のチャンスを与え、その上仕込んでくれたんですから、本当にありがたいです。だから心に決めたんです、この人たちが元気なうちは、どんなことがあってもお手伝いをしよう、どんな仕事でもを請け負おうって」。お蔭で倒れて点滴を打つほど、忙しい日々が続いた。しかし、働くことが楽しくて仕方なかった。
1999年、cheersは事業の主軸をWEBに移行したが、その後も「親方4人衆」の仕事を手伝うためだけに、オフィス機器のディスプレイ担当部署「FP事業部」を設置し、彼らが現役を引退する、つい数年前まで仕事を請け負い続けた。

まずは、「ギブ」&「シェア」。その先に「テイク」がある

平沢氏

平沢氏は、インターネットショップ「cheers eshop」の展開を始めた頃から、「eコマース経営者戦略塾(現:一般社団法人イーコマース事業協会)」に参加し始めた。数年前まで会長を務め、現在は相談役として会を盛り立てている。この会は、インターネットで商業活動を行なう事業者が売上げ、技術の向上をめざして毎月情報交換・共有をしている。現在、西日本を中心に全国で約200名の登録会社がいる。
「儲けるノウハウは、誰でも黙っておきたいものです。だけど、自分のところだけ利益が出ればいいというのは単なる『商売』レベルの考え方。皆で知恵を出して、もっと先にある大きな成功を手にしようというのが、本当の意味での『ビジネス』です。この塾の考え方は、互いに情報、ノウハウを提供し合いシェアすることで、皆で儲けて幸せを共有しようというもの。僕は、まず自分から率先して情報を提供していきました。相手から与えてもらうのを待っていては、いつまでたってもいい人間関係は結べないと考えます」。
平沢氏の考え方は、あくまで「仲間で幸せを共有する」というスタンスだ。「cheers=パートナー」として、いかに自分と関わる人々に幸せを「ギブ」できるか。その先にこそ、自身の大きな夢や目標の「テイク」が待っていると確信している。
「昔、親方4人衆の一人に『お前は金儲け下手くそやなー!』と言われた言葉が、今も忘れられません。叱られたんではなく、褒めてもらったんだと思っています。昭和育ちの男は人情派でお金の資産を作るのは確かに下手くそだと思いますが、“人財”、人という資産はこれまでぼちぼち蓄えさせていただきました。これからは“人財”を活かして、皆で儲けて皆で楽しめる事を実現できればと考えています」。

公開日:2010年08月20日(金)
取材・文:竹田亮子 竹田 亮子氏
取材班:株式会社PRリンク 神崎 英徳氏