凸と凹とがあるから人はオモシロイ
濱野 一彦氏:美方システムデザイン(株)

濱野氏

「小学1年生のときに天文学にはまり、その後はテニス、リコーダー、サーフィン、昆虫、カメラ、バイオリン、自転車、スノーボード、ラジコン、ギター……子どもの頃から、興味を持ったことには必ず挑戦してきました」と語る濱野氏。あまりに多趣味なだけに、熱しやすく冷めやすいタイプなのかと思いきや、「それがね、冷めないんですよ。だから毎日が忙しくて忙しくて(笑)……」。
たしかに、オフィスの片隅には、ギターとバイオリンのケースが積まれ、その上にリコーダー。本棚にはラジコンとカメラ、壁際にはテニスラケットが整然と並べられている。
「これだけ趣味が多いと、仕事で顔を合わせる人との共通の話題に事欠かないんです。仕事以外の部分でコミュニケーションがとれると、商談がスムーズに進むんです」。

結局選んだのは、「人」でした

濱野氏

企業用会計ソフトをはじめとするコンピュータープログラムの開発、及びコンサルタント業務を行なう濱野氏。だが、社会人としてのスタートは、意外にも高級フトンを抱えて住宅団地を駆け回る訪問販売だった。持ち前の明るさを生かして営業成績も良く、トップセールスマンという目標に向かって意欲を燃やしていた。しかし、結果が全ての厳しい世界。営業成果が上がらず次々に解雇されていく同僚たちの姿を目の当たりにするのは決していい気分ではなかった。「人間」が使い捨てられる状況に他人事とは思えなくなり、新たな活路を見出すべく独学でパソコンを始め、一年後ソフトウェア関係の会社へ転職する。どんな仕事に対しても一所懸命に取り組んだことで、さまざまなジャンルのコンピュータープログラムを任せられるまでになった。そして2007年、自らの理想を具現化するために「美方システムデザイン株式会社」を設立する。
「コンピュータ業界への転職以来、大手ソフトウェアメーカーの商品を制作したり、大掛かりなプログラムを組んだり、それこそ、ジャンル、プロジェクトの大小を問わず、いろんな仕事に携わってきました。その中でも、起業に当たって僕が選んだのは業務システムの開発でした。これは、同じコンピュータープログラムでも、自分一人のイメージで作り上げる、ゲーム系、デザイン系などのクリエイティブに比べ、クライアントごとにカスタマイズするため、相手との綿密なやりとりを必要とします。結局僕は、人とのコミュニケーションが好きなんでしょうね」。

シャイだからこそ、積極的になれた

思い返せば子供の頃から、クラスの誰とでも仲良くなれるタイプだったという。
「サラリーマン時代から、クライアントに対しては、『仕事相手』としてではなく、『ひとりの人間』として付き合ってきました。『あの人はどんなことに関心があるんだろう?』『休日はどう過ごしているんだろう?』って、とにかく相手に興味が沸くんです。だから、趣味の話題で盛り上がることもしばしばあるんです」と楽しそうに話す。
「でもね、じつは結構上がり症で、恥しがり屋な面もあるんです。僕は昔から、自分を客観的に見てしまうところがあってね、学生時代も女の子に自分から声をかけることなど絶対にできませんでした。『ゴメンなさい』って軽くあしらわれたら……そんな自分を想像するだけで恥ずかしくて恥しくて(笑)。営業職に就いた当初も、見ず知らずのところへ飛び込み営業に行くなんて考えられなかったですよ」。
しかし、シャイな面を周囲に悟られるのが嫌だからこそ、元気に明るく振舞ったと自身を振り返る。
「消極的な部分を隠したい一心で、それが反って自分を積極的にしてくれた気がしますね」。

24時間365日、味方になりたい

「美方システムデザイン」の「美方」という言葉には、「味方」という意味が含まれている。
「理想は、24時間365日お客様の味方。そう思って仕事を請けています。お陰で、『うちの会社のために、こんなに踏み込んで関わってくれた人は初めてだ。君は準社員や』とよく言っていただきます。僕はね、純粋に仕事を通じて人の役に立ちたいんです。コンピュータープログラムの開発はもちろんのこと、コンサルタントの部分からも会社内が円滑に進むよう、お手伝いしたいと常に思っています」。社外の、第三者の立場だからこそ、クライアント企業にとっての最善の策が見つけ出せると濱野氏は語る。
「前職のサラリーマン時代から、担当させていただくお客様には早い段階で個人のケータイ番号を教えるようにしています。何か困ったことが起きた時、すぐに連絡をとれた方がいいでしょう。同業者からは、『そんなことをすれば、夜でも朝でも関係なく電話がかかってくる。会社だけの付き合いにして、プライベートの時間は仕事から逃げられる環境を作れ』と言われますが、僕はそうは思わない。連絡をつけたいときに連絡がつく。この安心感は何ものにも替えがたいはずです。こういった姿勢が、信頼に繋がるんだと信じています」。

それでもやっぱり、人がすき

濱野氏

独立から今日までの3年間、必ずしも順風満帆にきたわけではない。付き合いのある仕事関係者とのトラブルで、会社が倒産しかけたこともある。見込んでいたお金が入らず、活動資金が枯渇、一時は倒産寸前まで追い込まれた。
「金銭的な問題もですが、信頼していた相手だっただけに、精神的なショックが相当大きかったんです。誰を信じていいのか、何が正しいのか……当時は何もかも分からなくなって、人間不信に陥りました。だけど、周囲の人々のアドバイスや優しさに支えられ、徐々に現実を受け止め、前向きに捉えられるようになりました。おかしなもので、傷つけるのも人ですが、それを励ましてくれるのも、また人なんですよね。ひどい目には遭いましたが、お陰で人は誰もが凸と凹との両面を併せ持っていることに気づかされました。その上で僕は、『やっぱり、人を信じて生きていきたい』と強く思いました」。今後は今までとは違ったタイプ、分野の人との交友をさらに広げ、自身の新たな可能性を見出していくと意欲的だ。「人」との出会い、つながりを原動力に、濱野氏はさらなるステージへ突き進もうとしている。

公開日:2010年09月06日(月)
取材・文:竹田亮子 竹田 亮子氏
取材班:有限会社ガラモンド 帆前 好恵氏