常に時代を先取りしながら、時代を裏切ることが必要。
間宮 吉彦氏:(株)インフィクス

間宮氏

地下鉄本町駅近くにもかかわらず、驚くほど静かな場所に、間宮吉彦氏率いるインフィクスのオフィスはある。間宮氏と言えば、全国で飲食店、複合商業施設、ブライダル施設からオフィスや住宅まで、様々な空間をトータルにデザインする空間デザイナーであり、すでに活躍の場は世界に広がっている。今回は、常に世の中にないモノや空間を生み出し続ける間宮氏に、その感性が紡がれた時代、そして“無から有を生み出す”原動力、さらには大阪の若手クリエイターに対するメッセージをお伺いした。

デザインは自己表現の方法だった。

間宮氏が生まれたのは1958年、ちょうど高度成長期が始まった頃。感性が豊かな10代をこの時代の中で過ごしたのは自分の中で大きかったという。
「ビルが建ち並び、街は発展し、新しいモノが海外から輸入されたり、生み出された時代でした。テレビや冷蔵庫、自動車をはじめとした『モノを持つこと』が価値観になってきた時代です。でも僕は、文化、音楽やアートといった『モノじゃないモノ』に興味があったんです。高校時代もずっとバンドを組んでいましたね。僕は、自分をモノじゃない何かで表現しようという気持ちがあったんだと思います。」

そんな時に出会ったのが『デザイン』だったという。
「現代の世界は、デザインは生活必需品の位置づけですが、当時は単なる自己表現の手法でした。つまり、当時はデザインは必要なものではない、そんな時代でした。」
そんな時代に間宮氏は、映画や音楽といったビジュアル的なカルチャーから、ガレージや倉庫を改装して出現した店が数多く並んだアメリカ村に象徴される、文化が集積する街や店の空間に興味が惹かれるようになったという。

“遊び場”アメリカ村で培った価値観が求められて仕事に変わる。


HYATTREGENCYOSAKA BANQUET

当時、間宮氏の遊び場だったアメリカ村も、そんな文化を発信する街だった。
「当時のアメリカ村は、みんな自分の価値観を表現する場として店を作っていました。僕はそれに刺激されて空間に興味を持ったんです。当時は空間デザインなんて言葉はありませんでした。でも、店のオーナーが自分の店を作る時に、手作りでは限界がある、でも大工に一生懸命説明しても思いが伝わらない……オーナーも空間表現としてのデザインを求めはじめたんですね。そんな時、アメリカ村が遊び場で建築の事もわかる僕に『ちょっとやってみてくれへん?』と声がかかったんです。やってみると『そうそう、そんな感じやねん!』ってオーナーも喜んでくれて。そこで遊んでたから、店のオーナーと価値観が一緒だった。それが今の仕事のきっかけになったんです。」

人の先を行くスピード感で、常にいい裏切り方をしていきたい。

取材風景

常に世の中にない、新しいデザインや空間を生み出し続ける間宮氏。世の中に全くないものを発想し、それを形にする源泉は何なのだろうか。
「性格かなぁ(笑)。飽き性だし負けん気があるし、人と同じことはやりたくないです。常にいい裏切り方をしていきたいと思っています。確かに自分のスタイルを確立してしまうと楽ですが、必ず飽きられる。そこから全く新しいスタイルを再び確立するのは、とても大変です。僕は、常に時代を先取りしながらも、いい意味で時代を裏切る仕掛けを継続し続けないとダメだと思います。」

実際に、大阪の飲食店などから企業や行政の仕事にスケールアップし、大学で教鞭を執ったり、日本を飛び出して中国へビジネスを展開……といった具合に、常に変化している。しかも、我々から見ると凄いスピードだ。
「違う分野に挑戦することで過去の実績を切り捨てていかないと面白くない。もう違うことやってるな、というスピード感は僕自身が意識しています。実際に東京も中国も、事務所を置いたのはかなり早い方でした。追いかける立場よりも、追いかけられる立場の方が楽しいでしょう。」

もっと“毒素のある”クリエイティブを。


中之島ダイビル 環境デザイン

大阪に事務所を構えて、全国の仕事をするスタイルについてたずねてみた。
「やはり生まれ育った大阪には、地元意識があります。僕たちの仕事は、そこで生活し暮らす人の場を生み出すこと。生活基盤のエリアですから愛着がありますし、それが大阪の仕事を楽しくやりがいがあるものにしてくれます。また、“大阪に事務所があること”は、東京から見ればそれだけで差別化されます。東京のクリエイターと話をすると、大阪に事務所があることが羨ましいと聞きます。」

最後に若手クリエイターに対するメッセージをお願いした。
「自分の生まれた環境は自分の個性に大きな影響を与えます。今の時代は個性が一番重要。自分の個性が形成された場所をベースにするのは、仕事をする上でよい環境だと思いますよ。」
さらに、最後にこんな話をしてくれた。
「僕たちの世代は、欲しい物を求めて海外まで行ったりするバイタリティというか“欲”がありました。欲がありすぎたために、時には行き過ぎることもあったり……。でも、今はそんな個性を凝縮したような“毒素”のないものが一般化しつつある。それは悪いことではありませんが、新しいものは生まれにくいんですね。今の若い人は中庸を作るのは上手ですが、両極端を作るのは苦手のようです。振れ幅が小さいというか……。もっと“毒素”のあるクリエイティブを目指して欲しいですね。」

公開日:2010年01月25日(月)
取材・文:株式会社ショートカプチーノ 中 直照氏
取材班:株式会社ライフサイズ 南 啓史氏