仕事も生き方も、その根底にあるのはひとさじの“遊び心”。
野井 成正氏:野井成正デザイン事務所

野井氏

大阪市北区の大川沿いにある事務所を訪ねて最初に見せてくださったのが、6年前に参加した鈴鹿サーキットでの走行会イベントの記事。実は野井氏、ライダー歴50年というバイク愛好家。ちなみに現在の愛車はBMW R90/6(900cc)とHarley-Davidson FXD1450と、バイク好きには垂涎の2台だ。その走行会では、当時の最新型バイクの試乗でなんと時速180㎞オーバーを体感!「“いちびり精神”で楽しんでます」と笑う野井氏に、お話を伺った。

大阪生まれ、大阪育ち。デザインへの興味は身近なところから。

道に蝋石で絵を描いたり、近所の大工さんにもらった木片で船を作って浮かべたり。小さな頃から物を作るのが好きだったという野井氏が最初にデザインに興味をもったのは、中学2年生の時。「近所のおっちゃんがタクシー会社を作ることになって、僕に『どんな車がええやろか』って聞いてきてね。当時『くろがね』(オート三輪トラックの代表的ブランド)がすごくカッコよくて、一番洗練されてたのがマツダ。そんなんがええんちゃう、なんて話をしてね」話はそれきりになったものの、この時のやりとりが、野井少年の心にはなんともいえないワクワク感として残る。その後、少年は空間デザインの大家へと成長し、そのおっちゃんはおっちゃんで、それから立ち上げた会社が関西屈指の大手タクシー会社の前身となった、という後日談も面白い。

車に興味をもった野井少年は、大阪市内の工業高等学校デザイン科に進む。卒業後、あるきっかけで東京モーターショーに出展するブースデザイン、いわゆる「コマ装飾」を手掛けることに。それが「空間デザイン」への第一歩だった。時は昭和40年前後。東京で投石事件が起こり、大阪からのディスプレイを載せた列車が品川で足止めされてしまう。やっとの思いで山積みの貨物の中を探していると、大阪から送った派手な紫色の梱包が見えた。「その瞬間、『やったー!』言うてね。やっぱり目立とうと思ったら派手にせなあかんね(笑)」そんなドタバタも当時ならではの思い出だ。
その仕事をきっかけに空間デザイナーとしての道を歩み始めた野井氏。その後就職した会社では、外部顧問だった建築家・安藤忠雄氏との出会いもあった。ともに若いエネルギーに満ち溢れた20代。「とにかく、すごいバイタリティの持ち主でした。それは今でもそうやね」と当時を懐かしく振り返る。

丁寧に仕事をすること、ほんの少し“いちびり”でいること。


プロダクトデザインも手掛ける野井氏。
こちらはお香立て。

いくつかの会社を経て、30歳で独立。「最初は尊敬する先生に頑張って食らいついていこう、という一心でした。それでもいつしか、本当に自分の思っていることを表現するには独立しかない、という時が来る。それは、自分にとってのチャンスだと思いました」
独立後は、専門雑誌に作品の資料を送り、取材を受け、そこから仕事につながるというケースも生まれた。「こちらから出向いて営業するような仕事ではない分、自分の技量を理解してもらえる状況を作ることが大事。個展をやったり、テレビやラジオなどのメディアを利用したりね。僕らの仕事は芸者さんみたいなもので、電話が鳴るのを三味線かまえて待ってる感じやね」と語る。一方で、飲みに行ったバーでの出会いから仕事につながることも。「ひとつひとつ正直に取り組んで、しかもちょっと“いちびり精神”をもって行動することも大事、ということかな」
確かな実績と数々の受賞歴をもつ野井氏も、多くの失敗やトラブルを経験して今がある。まだ20代の頃、ブリキで作ったフラミンゴの脚の形を間違えて、全国の支店のディスプレイがやり直しに、ということもあれば「現場に出かけてみたら、業者が近所の同姓同名の別のお宅を解体しかけてた、とかね(笑)」
どんなに注意していても、思いがけないところで思いがけないトラブルは起こる。「それを現場でどう判断し、対処していくかということも、デザイナーや設計者の大事な仕事。この仕事の面白さでもあると思っています」

後進たちへ「汗をかけ、ポケットにスケールを」。

野井氏

現在活躍するクリエイターの中にも、野井氏を師と仰ぐデザイナーは実に多く、これから目指す若者にとっても、大きな存在だろう。そんな彼らにメッセージを、とお願いすると、野井氏は「汗をかくことですかね」と一言。
「ようは、行動ですね。実際に自分で体験して、肌で感じる。だんだんそういうことがなくなっていってるような気がしてね。パソコンの前に座っていれば、情報は即座にキャッチできるかもしれないけど、でもそれだけではだめ。結局、アイデアっていうのは実体験からしか生まれてこないんじゃないかな」

「たとえば、出かける時は必ずポケットにスケールを入れといて、気になったらすぐ測る、とかね。それによって、距離感やバランスが読めるようになってくる。『これ、どないなってんの』とか、『なぜ、ここにこれがあんねん』とか、気になったらパッとスケッチして、体で覚えることやね」ちなみに、野井氏は常に7mのスケールを持ち歩いているそう。
実際、野井氏がデザインする時は、今も手描きで行う。「最初は6Bくらいの濃い鉛筆でわーっと描いていく。描いていく中でアイデアが出てくるんです」と野井氏。肌で、体で感じてこそ、アイデアが浮かぶ。これが野井氏の流儀だ。

これからは、地球全体が相手。僕の感覚を、世界の人にわかってほしい。

「大阪は大好きだけど、仕事としては、これからは『地球全体』が市場だと思っています。インターネットが普及した今は、世界中どの国でも同じ次元で情報を共有してるわけでしょう。僕はどちらかというとコミュニケーション下手でビールでも飲まないとうまく話せないけど、先さんは、できたらビールくらい飲める人であれば、もうどこ行ってもできると思うんですよね」実際に海外メディアからの取材も多く、インテリアデザインの本場・イタリアをはじめ、中国・韓国などアジアでも注目が高まっている。野井氏の言葉は、決して大げさではない。

雑誌

「いろんなことをやってきたけど、いつでも『焦らんでも、自分のペースさえ守っていればなんとかなるやろ』という気持ちで来ましたね」と野井氏。ここでちょっと、「あの、私、何かとすぐ焦るタイプなんですけど、どうしたらいいでしょう…」とさりげなく人生相談。野井氏の答えは「おいしいもの食べて、体を鍛えることですな」。高僧のような風格さえ感じる、ありがたい一言をいただきました。はい、まずはそこ(主に前者!?)から頑張ってみます。

問いかけに対して、野井氏が語る言葉はシンプルだ。だからこそ、そこに大きな力が宿っている。己を真に鍛えた者だけに備わる、やわらかさと、温かさ。真摯で丁寧な語り口の中に、野井氏一流の“いちびり精神”が見え隠れする。この人柄の魅力が、作品の魅力なんだ。野井氏がデザインした「風詩の教会」(万博公園 迎賓館/大阪府吹田市)に一歩足を踏み入れた時の、心が透き通るような気持ちと、どこかホッとする心地よさの謎が解けたような気がした。

公開日:2010年01月06日(水)
取材・文:藤野 亜紀子氏
取材班:株式会社ライフサイズ 杉山 貴伸氏 南 啓史氏