創意工夫と試行錯誤で世界を拡げてきた、職人かたぎなカメラマン
海一 泰基(かいちひろき)氏:スタジオチーズ

スタジオチーズ・海一氏の取材をすることになり、さっそくHPを拝見した。トップページには写真、フォトレタッチ、CG、フラッシュムービーと様々な作品が並ぶ。この世界への入り口は何だったのだろう。いろいろな想像をめぐらせながら、海一氏と対面。メビック扇町の一室で、クリエイティブの世界に入ってから現在にいたるまでの経緯をお伺いした。

きっかけは「思いつき」。それが天職になった

海一氏

写真について、それともレタッチについて?多彩に活動されている海一氏に、何から訊こうかと考えたあげくに「この世界に入るきっかけは?」と月並みな質問から問いかけてみた。すると「きっかけは…思いつきみたいなものです」と意外な答え。もともと写真の世界に入ろうとは思っていなかったという。
「それまで塾の講師をしていたのですが、知人の薦めもあって写真スタジオのアシスタントの面接を受けたんです。それでそのまま入社しました」
入社したのは、当時の大阪ではかなり規模の大きい写真スタジオだった。そこに同時期に入社した海一氏を含む30名ものアシスタントの中には、写真の知識や経験のない人も多かったそうだ。
「ぼくは元塾講師でしたが、他に元トラック運転手やエレベーター技術士、探偵などもいました。それまで経験がなかった分、みんな真剣だった。どんなことでも吸収してやろうと思っていました。そんな仲間たちは今でも写真の世界で活躍していますよ。」
時には月に480時間に達することもあった労働時間の中、アシスタントを経て入社2年目に社内の認定試験に合格。それが海一氏のカメラマンとしての第一歩だ。

心がけるのは創意工夫。カメラマンも頭を使わなければ。

そのスタジオでは「ありとあらゆる通販カタログの商品を撮影した」と語る海一氏。先輩カメラマンに教えられながらも、一人前のカメラマンとして仕事をこなす日々。そんな過酷な労働の中でも、周りから学ぶ姿勢は忘れたことがなかった。
「周りの人を見ていると分かるんです。撮影のうまい人、へたな人。うまいけど仕事が遅い人、うまくて仕事も速い人…。その違いは何だろうと考えて、いいところをまねしようとしました。いかに効率よくいい仕事ができるか、周りの人を観察して自分なりに工夫したのです。撮影についても同じ。性能のいい機材を先輩が持って行ってしまう中、ぼくたち下っ端のカメラマンは、残された機材でいかにいい撮影ができるかが課題でした。そのためにはマニュアル通りに撮影するだけではいけない。撮影する商品や与えられた条件に合わせて、方法を変えないと。仕事のやり方にしても、撮影方法にしても、もっと頭をつかわなきゃ。ぼくは今でもそう思っています」

試行錯誤と創意工夫。カメラマンに足りないのはそこだと海一氏は語る。そしてしばしの間をおいて照れくさそうに一言。「当時あの会社でぼくほど勉強した人間はいなかったんじゃないかな」
その眼差しに、積み重ねてきた努力と確かな自信の表情を垣間見る。


フォトレタッチ作品:別々に撮影後に合成。できるだけ処理に頼りすぎないよう、“一発撮り”を心掛けているという。

そしてもう一つ、現在の活動へとつながるきっかけとなったのが、スタジオのデジタル機材導入だった。時は、クリエイティブ業界に「デジタル」という言葉が顔をのぞかせはじめた90年代初め。当時、大変高額だったフォトレタッチ専用機材を使ってのレタッチ作業を担当し、そこで撮影の難しさとレタッチの奥深さを実感した。
「試行錯誤の連続でした。別々に撮影した空間と素材を合成したり、風景とモデルを合成したり。いかに仕上がりに違和感を残さないかを考えるうちに、ぼくの中では撮影とレタッチは次第に一連のものとなっていったのです」
そこで11年の実績を積んで別のスタジオに転職。次の職場では主に携帯電話の撮影に携わった。
「携帯電話ってカメラマン泣かせと言われるほど撮影が難しい商品なんですよ」との言葉の後に、なぜ難しいかを理路整然と説明する海一氏。その語り口からは、細部にまでこだわり抜く精細な仕事ぶりがうかがえる。「ちゃんと撮れる人は、おそらくカメラマン10人にひとりくらいじゃないでしょうか」。写り込みや素材感の違いにこだわると、携帯電話は一筋縄では撮れない商品なのだそうだ。そして最後にこうつけ足した。
「カメラマンはみんな師匠に習ったことを、素材や条件を考えずにその通りにやっているんです。でもそれは20年前の方法。だから写真も20年前の写真になる。それじゃだめでしょう。商品も素材も新しくなっているんだから、写真の撮り方もそれに合わせて変えなければならない。必要なのは頭を使うこと。創意工夫が大切なのです」


CG作品:フルCGで制作。陰影のつけ方から写り込みなど、細部へのこだわりがうかがえる。

「できない」と言いたくない。そこから世界が拡がった


奥様、慶子氏はイラストレーター。今年
「ボローニャ国際絵本原画展2009」に入選。

そのスタジオでは9年間、メインのカメラマンとして実績を積んだ。スタジオチーズを立ち上げたのは2008年8月のことだ。海一氏いわく「困ったときのスタジオチーズ。クリエイティブのレスキュー的な存在なんです」。それもそのはず。スタジオチーズの制作“守備範囲”は、写真撮影、フォトレタッチにはじまり、3D制作、webやflash制作の他、イラスト、ペーパークラフト、クレイモデル、大道具製作まで。まさに最新デジタル技術の駆使から、手作業による平面・立体制作まで多岐にわたる。その幅広い技能について問いかけると、
「ぼくの信条は絶対に“できない”と言わないことなんです」との言葉が力強い眼差しとともに返ってきた。
「“できません”ということは簡単。でもそれでは自分の力をここまでと限定することになるでしょう」
クライアントからは、その時の自分の能力や知識ではできないことを要求されることもあった。だったら自分で勉強しよう。工夫してみよう。その姿勢を貫いて、世界を少しずつ拡げてきたという海一氏。その言葉に納得。幅広い活動の背景には、その確たる信条があったのだ。だからこそ“職人かたぎ”とも言える、しなやかかつ一本気な仕事へのスタンスを保ち続けてきたのだと。
「アシスタント時代は、大道具製作や壁紙貼りまで手伝っていました。やってと言われると“できない”といえないんですね。時には溶接までやりましたよ。結構うまかったんですよ」と軽やかに笑う海一氏。何ごとも妥協せず正面から向き合う姿に、周りの人は刺激され、信頼を寄せたにちがいない。そこで積み重ねてきた人望と行動力は、軌道に乗り始めたスタジオチーズを、今後も支え続けることだろう。
「先々は今まで拡げてきた“枝”を、少しずつ絞り込んでいきたいと思っているのですが、今はもう少しこのスタイルで…。そのうちに方向づけられていくのかなと思っています」

折しもメビック扇町では、「この街のクリエイター博覧会4」の会場準備のための改装中。黙々とパネル貼り作業をするスタッフたちの姿に「こんなの見るとやりたくなりますねぇ…」と、微笑みながらも真剣に見つめる海一氏だった。

公開日:2009年10月15日(木)
取材・文:株式会社ランデザイン 岩村 彩氏
取材班:株式会社ショートカプチーノ 中 直照氏