大阪の「オモロイ力」を世界に向けて発信する
ヤマモト ヒロユキ氏:(株)ピクト

橋下大阪府知事と平松大阪市長が大阪の川面から顔を出し「いらっしゃ〜い!」と呼びかける…インパクト大のビジュアルで全国の話題をさらった「水都大阪2009」公式ポスター。エンターテイメントシティ大阪を世界に向けてアピールする一大イベント「御堂筋アートグランプリ」。世に大阪パワーを強烈に印象づける2つの共通点こそ、仕掛け人のヤマモト ヒロユキ氏である。関西クリエイティブシーンを牽引するトップクリエイターに、現在のステージへとつながる創作活動の軌跡をうかがった。

デザイナーには、なるべくしてなった。

ヤマモト氏

大阪・南船場の一角にオフィスを構える株式会社ピクト。代表として、アートディレクター、イベントプロデューサーと多彩な才能を発揮し続けているヤマモト氏であるが、クリエイターとしての出発点はグラフィックデザイナーである。そこで、「なぜデザイナーになろうと思ったのか?」という、素朴な質問からぶつけてみる。その答えは「なろうと思ったというか、なるべくしてなったというか」と、ちょっといたずらっぽい笑顔とともに返ってきた。

「昔から絵を描くのが好きで、いつも描いてた。そしたら、いろんな人から『ちょっとお願い』って頼まれるようになって。たとえば、よく行く喫茶店の看板とか、知り合いの店のチラシとか。学生のころには、それでけっこうお金をもらえるようになっていた。その延長線上で、卒業後に大阪のデザイン会社に就職したのは、ごく自然な流れだった」

それから、「これはちょっと余談だけれど」と続いたのが、「実は、一番なりたかったものは違ったんだけど」という、意外な言葉。「高校生のころ、ダンスに夢中になってね。ダンス大会にも出たりして、いくつか賞をもらったり。本気でダンサーになりたいと思ってた」と、教えてくれた。けれど、当時はまだダンサーという職業が今ほど確立されておらず、その道に進むのは断念したそう。しかし、この経験がその後の飛躍のきっかけとなる。

独立の転機。そして「仕事がない」!

8年間勤めたデザイン会社から独立したのは、1993年のこと。そのきっかけとなったのが、ダンスである。踊ることは変わらず好きで、クラブにはよく遊びに行っていた。そしてヒップホップとの出会いに衝撃を受ける。そんな時、友人から「オモロイ店を作りたいから、手伝ってくれないか」と誘いを受け、立ち上げから関わることになる。「最初はロゴを作ったりグラフィック的なことをやってたんだけれど、最終的には店の内装から設計まで全部やってた」これが、大阪のヒップホップカルチャー黎明期に名をはせたクラブ「zulu」。そして、「pictoINC.」の原点となる。


pictoINC.の原点となるクラブzulu

学生時代、友人から「将来何がしたいの?」と聞かれて、「デザイン会社をやるやろな」と答えていたというエピソードからも、早くから起業のビジョンを持っていたことはうかがい知れる。しかし、常に順風満帆だったわけではない。独立してほどなく、不遇の時を過ごした経験もあるとか。「前に勤めていた会社とのシガラミとか、イロイロ」と、サラリと語るが、「仕事がぱったり来なくなる」という状況は、なかなかハードなものだろうと想像に難くない。しかし、ヤマモト氏はそこから抜け出た。へヴィな状況を打破して現在に至る道を切り開いた突破口はどこにあったのだろうか。

ちゃんとした仕事をしていれば、道は開ける。

ヤマモト氏

「しばらくは、することがないからプラプラしてて」と冗談めかす姿は、飄々としていて実に軽やか。だが、「そのうち、ぽつんと一つ仕事が入ってきた。そしたら、その仕事をとにかく一生懸命やる。そうすると、しばらくして、また一つ仕事が入ってくる。これを続けてきただけ。“やれることはすべてやる”という思いで、ちゃんとした仕事をしていれば、必ず誰かは見ていてくれる」と語る姿からは、クリエイティブに対峙する真摯な姿勢が垣間見える。

「クライアントから『パンフレットを作ってほしい』と頼まれる。そうすると僕の場合、パンフレットのデザインを考えるのは当然だけれど、『そのパンフレットがどのような台の上に、どのように置かれるのか?』まで気になってしまう。すると、その台ごとデザインしたくなる。最終的には、パンフレットが置かれる空間全体のことを考えずにはいられなくなる」

「そうやって仕事をしていたら、あるクライアントから『そこまでやるやつ、おれへんかった』と言われた。多角的な視点を持って提案性の高い仕事をし続けていれば、必ず認められる」という言葉が深い説得力とともに胸に響く。

ダンスのように軽やかに、世界の枠を飛び越える。


WATER PLANET

そして、現在へとつながるもう一つの大きな転機となったのが、デザイン&プロデュースを手掛けた「WATER PLANET」。“水に入ったアートブック”の発表だ。世界20カ国で販売したことで海外のクリエイターとの交流も広がり、後の「御堂筋アートグランプリ」の展開などにもつながっていくことになる。
「それまでやってきたのは人の商品を売るためのお手伝い。でも、自分で商品を作って販売するということを、ずっとやってみたかった」のだと言う。大手の出版社にアイデアを持って行っても、ことごとく断られた。「だったら自分でやるしかない!と、流通ルートの確保まで自分でやった。ゼロからのスタートで大変な思いもしたけれど、すごく勉強になったし、オモロかった」と語る表情は、お気に入りの遊びをみつけた子どものように輝いている。

ここでまた、素朴な質問。「なぜ、水に入った本を作ろうと思ったのか?」への答えは、「水に入った本が本屋に並んでいたらオモロイやろなと思ったから」と、実に明快。この「自分がオモロイと思ったことを、とことんやりきる姿勢」は、ヤマモト氏が関るどんなプロジェクトに対しても共通して言えることだと思う。クライアントワークであってもしかり。ユニークなアイデアを思いつくクリエイターは他にもいるだろう。だが、クライアントの意向、諸般の事情等々、思い通りにならないことがたくさん起こる制作過程の中で、「自分がオモロイと思うことを最後まで貫き通す」この「ぶれない軸の強さ」こそが、ヤマモト ヒロユキ氏が、業界の異端児と呼ばれながら多くの人を魅了してやまない高いクリエイティビティの源なのではないだろうか。そういえば、「ダンスをする上で一番大事なのは自分の軸を探すことだ」と聞いたことがある。ぶれない軸があるからこそ、エキセントリックな動きやトリッキーな表現が可能になる。それって、まるでヤマモト氏そのものだなぁと思った。

公開日:2009年09月01日(火)
取材・文:C.W.S 清家 麻衣子氏
取材班:株式会社ファイコム 浅野 由裕氏