経営者の視点を持ったクリエイターを育てたい。
北山 英則氏:(有)カラーオフィス

北山氏

南森町のオフィス街にあるビルにある「有限会社カラーオフィス」は、流通業にまつわるチラシを中心とした販売促進ツールの企画・制作が主な業務。今回は社長の北山さんに、全く畑違いの仕事からクリエイティブ業界への転職、そして「カラーオフィス」起業までの波瀾万丈の人生や、経営者の視点から見たクリエイティブに対する思いや考え方をおうかがいしました。

体育大学から中学校の体育の先生に…。
だが、スポーツ界からクリエイティブ界へ。

高校時代、テニスでインターハイに出場するなど、「大阪の高校テニス界では少し有名人でした」という北山さん。体育大学を志望して大阪体育大学に入学し、卒業後は中学校で体育の臨時講師をしていたという。だが、世の中は校内暴力全盛期。教鞭を執った学校は大阪市の模範校となるほど平和だったが、多感な子どもたちの未来を背負うという仕事に、激しいストレスやプレッシャーを感じていたという。

その結果、体育の先生からスポーツクラブに転職し、インストラクターの仕事をスタートする。当時はバブル全盛で、スポーツクラブの会員権が数百万円もの大金で取引される時代だった。スポーツクラブが乱立する業界構図に、北山さんは働きながら将来の業界再編を予感しつつ、「この仕事を自分の一生の仕事にするべきか」と日々模索していたという。

そんな時、製版会社で働く友人が「自分の会社で働かないか」と誘ってくれた。その会社はバブル時代の波に乗って事業を急拡大し、人員を募集していた。スポーツクラブ業界に限界を感じていたこともあり、再転職を決意する。まさに“第二の社会人人生”の幕開けだった。

スーツなし、営業経験なし、印刷知識なし。
一人前になると、今度はバブル崩壊→倒産!

「スポーツ関係の世界にいた時は、スーツなんて持ってなかった」という北山さん。“第二の社会人人生”は、スーツ購入から始まった。営業の経験も印刷や製版の知識もゼロ。いくらバブル全盛でも、そんな営業マンが簡単に仕事の受注はできない。「毎日、朝・昼・夕方の3回、得意先に顔を出せ!」という先輩の言葉を守りながら、先輩の営業に同行してクリエイティブの知識を吸収する毎日。最初は相手にされなかったが、「何もわからないから、信じて言われた通りにやるしかない」と頑張る実直な姿勢や人柄に惹かれてか、次第に仕事が入り始めた。

そんな時、後の人生を左右する出来事が起こる。日本有数の大手印刷会社を一人で担当することになったのだ。大手流通系の新聞折り込みチラシを担当したが、フットワークの軽さを武器に順調に取引を拡大していった。だが北山さんは「バブル時代だったし、ただ仕事をさばいて、こなしているだけでした。営業じゃなくて、使いっパシリの感覚でした」と当時を振り返る。

そしてバブル崩壊の時期が訪れた瞬間、北山さん曰く「本当に驚くほどにあっけなく」会社が倒産してしまう。

クライアントの要望で起業、それに加えて
初のクリエイター雇用は悩みの連続…。

事務所入り口

突然の倒産のため残務処理に追われる日々の中で、得意先の中の1社から「仕事を出すから起業しては?」という誘いを受けた。北山さんは悩む間もなく起業を決意し「カラーオフィス」が生まれた。

起業当初はクリエイティブ作業をすべて外注していたが、事業が軌道に乗る中で、初めてデザイナーを自社で雇用して流通系の販売促進ツール全般の制作をスタートさせた。

「本当に大変でした。いつ辞めてもらおうか、そればかり考えてましたね」と当時を振り返って北山さんは笑う。とにかく考え方の違いに驚いたという。クライアントの指示を伝えても「ハイ」という二つ返事は無く、「それはもっとこうした方がいい」などと指示と違う事ばかり言ってくる。「今なら良いモノを作るための提案だと受け入れますが、当時の私はクライアントの指示と違う物を作るなど、あり得ないと思っていた」という。だが、クライアントの指示とデザイナーの案と2案を持参して選んでもらうなど、可能な限り対応するうちに「クリエイターのプロフェッショナルな考えに任せる方が、結果としてイイものができるし満足度も高い」と実感するようになり、それからはクリエイターに任せるようになったという。結果、この初雇用のクリエイターは現在も社員として働いているそうだ。


クリエイターの働く環境が整備されたオフィス

これから目指す方向性をたずねると「この不況の時代、イイ物を作るだけではダメ。クリエイターには適切な時間やコストの範囲内で、最高の成果物を作る能力が求められている」と語る。会社の目標をたずねると「クリエイティブセンスと経営感覚の両方を兼ね備えたクリエイターがきちんと育つ、働きやすい環境を提供したい。あと、全額会社負担で社員を連れて慰安旅行に行きたいですね。行き先は温泉で僕が引率係をしますよ。全額会社負担なら、僕が行き先を決めるのを許してくれるかなぁ(笑)」。

公開日:2009年02月24日(火)
取材・文:株式会社ショートカプチーノ 中 直照氏
取材班:宮下 大司氏