デザインの力で社会にメッセージを発信したい
木村 泰子氏:(有)鮮デザイン

地下鉄中津駅にほど近いビル。鮮デザイン木村泰子さんの活動拠点である「画空(えそら)スタジオ」は、窓からの柔らかい光とクリエイティブな空気があふれる心地よい空間だ。帝国クリエイティブの塩見晃生さんらとシェアするこのスタジオの名前について尋ねると、
「画空ごとばかり言っている私たちが集まっている場所なので…」と、軽やかに笑う木村さん。木村さんの頭の中にある「画空ごと」とはどんなことだろう。鮮デザイン設立までの経緯や現在の活動についてお話をうかがった。

オリビエーロ・トスカーニの広告を目にして

木村さん
「鮮デザインの命名の由来は、
心に鮮やかに残るデザインを
作りたいという願いからです。」

木村さんがデザインを職業に意識し始めたのは、高校生のころ。本や印刷に興味があった木村さんは、地元神戸の短大でデザインを学び、印刷会社のデザインセクションに就職した。そこで何気なく手にしたデザイン書で、イタリアの写真家・アートディレクター、オリビエーロ・トスカーニが手がけたベネトンの広告を目にする。

「衝撃を受けたんです。Bosnian Soldier(ボスニアン・ソルジャー)というタイトルで、若い兵士の血だらけの服だけが写っている。ただそれだけなのに、戦争のつらさや醜さが伝わってきて…。ビジュアルでこれだけのことを伝えられるアートディレクターってすごい。社会に何かを発信できるアートディレクターになりたいって思ったんです。」

そのときの強い思いは以後、木村さんのデザインに対する考え方や活動に大きく影響する。

念願のアートディレクターに


マネージャーの杉本さん。
「彼女は縁の下の力持ちなんです」

「アートディレクターになりたい。社会に何かメッセージを発信したい」そんな思いを胸に、大阪へ出てきた木村さんは、大手塾関係の会社のデザインセクションに就職。アートディレクターをめざすものの、なかなかきっかけをつかめずにいた。
「大阪に来てから、毎日のようにアートディレクターに会わせてくださいって祈っていたんです。そうしたら、ふとしたきっかけでアートディレクター板倉忠則氏に出会えました。そこで自分の仕事への想いを率直に伝えました。」

2001年、板倉氏率いる(株)板倉デザイン研究所に入社。念願のアートディレクターとして、それからの木村さんの日々はプレッシャーと充実の日々だったという。

「大手百貨店の広告を担当させてもらいました。撮影現場では、カメラマン、スタイリスト、ヘアメイク、モデルなど多くのスタッフをまとめながら、クライアントが表現したいと思うことを形にしてゆく。商品のしわ一本、モデルの手の位置など、細部にまで神経を使い、ファッションの魅力をどう引き出すかを考える仕事。周りの人たちに教えられながら、現場で育ててもらいました。」

日の当たらないところにこそデザインが意味を持つ

アートディレクターとして着実に力をつけていった木村さん。一方でもう一つの夢「社会的になにかメッセージを発信したい」という気持ちは強くなっていったという。

「デザインを仕事として成立させながら、同時に社会的に何かメッセージを発信できるのか…答えが見えなかった。一度スタートに戻って、ゼロから自分を試してみようと思いました。」

2003年、(株)板倉デザイン研究所を退社。同時にアートディレクターとして、今まで心に描いていた活動を始めた。


西淀川区で大気汚染公害問題
に取り組む
「あおぞら財団」のポスター

「私の中ではデザインに対して三つの柱があるんです。一つは、デザインで社会に広く訴えかける、社会と交流する。もう一つは、生業(なりわい)として自分がデザインで食べていく。もう一つは、デザインで個性を発信する。この三つが一つになるときが最高だと思っているんです。」

独立後は、その三つの柱を意識しながら、自分の感性に素直に活動の幅を広げている。例えば、障がい者授産施設では利用者とともに、フリーペーパーの発行に力を尽くした。また、大阪市立近代美術館主催の「アジアのグラフィックデザイン展」では、大気汚染公害に取り組む財団についてのポスターを制作した。いずれも「デザインを通して社会にメッセージを発信したい」という願いからだ。その他、詩人や写真家と本を制作したり、ミュージシャンのCDジャケットを制作したり、また自らもグラフィック展に参加するなど、「個性の発信」にも力を入れているという。

「デザインには、世の中を広くフラットにしてゆく力があるでしょう。その力を利用して、日の当たらないところにスポットを当てたいと思っているんです。おしゃれなものをおしゃれにみせるのは簡単。でも誰も目を向けないところにこそ、デザインが意味を持つと思います。そんなことができるようなアートディレクターなりたいんです。」

デザインの可能性を探り続けたい


開放的なスタジオ内には、
クリエイティブな雰囲気があふれている

常に「ある一定の場所」から世の中を見つめていると感じさせる木村さん。その揺るぎのない場所からの視線は、実に自然体で自らの感性に素直だ。その感性は生い立ちに秘密があるの?という質問に、こんなエピソードを明かしてくれた。

「高校生の時、父が仕事をしている姿を見たんです。鉄工所で鉄粉まみれになって仕事をしている父。かっこいい!と感じました。私たちの『普通』の暮らしは父の労働に支えられていたと気づき感動したんです。そんなことがあったからでしょうか。若い頃から『流行しているから』とか『みんながかっこいいと言うから』というような価値観に左右されない自分がいる。周りの評価より自分が素敵と感じたものを大切にしたいと思っています。」

これからも「デザインの力」の可能性を探りつづけたいと語る木村さん。その挑戦は、まだまだ始まったばかりだ。

公開日:2008年12月09日(火)
取材・文:株式会社ランデザイン 岩村 彩氏
取材班:株式会社ランデザイン  浪本 浩一氏