クリエイティブサロン Vol.137 森夕里子氏

サバイバル体験と二人の師によって育まれた“森夕里子”という個性

書籍や広報物のデザインから企業・商品ブランディング、イベントの企画・運営、自治体の文化プロモーション事業まで、さまざまなジャンルのデザイン・プロデュースを幅広く手がける森夕里子氏。デザイナーでありながら、ときには研究家として、またイベント設営スタッフとして。多彩な顔を持つ森氏の基礎はどのように培われてきたのだろうか。その半生を語っていただいた。

森夕里子氏

第一の師・西脇友一氏に繊細さを学ぶ

森氏には二人の師匠がいる。一人目は京都デザイン協会を立ち上げるなど関西のデザイン界を牽引した西脇友一氏だ。
「大阪芸術大学デザイン学科を卒業後、大学院で西脇先生の助手になりました。先生はデザインだけでなく、何においても少しのズレがあると、無言の圧があるといいますか(笑)きっちりとした方でした。私はもともと大雑把な性格でしたが、先生の指導で徹底的に強制され、細かいことに気を配れるようになれました」

西脇氏は祇園祭の鳥瞰図と山鉾を描いた『祇園祭山鉾絵図』や、『葵祭行装絵図』『時代祭行列絵図』の作家としても知られる方。あるとき、絵図の原画をすべてデジタルアーカイブ化しようとする話が持ち上がるが、完成から約30年経ち退色が激しく、しかも鉾の行列の順番が違っているというミスが発覚。約10年かけ十数人のスタッフの手によって描かれた作品を、森氏が修復することになった。
「人物だけでも数千人。絵の具の配合の調整や緻密な重ね塗りなど、作業はとても大変でした。そのおかげで色の知識が深まりましたし、手描きを沢山こなしたことで技術が上がりました」

このような助手の仕事をこなしながら、時間外には大阪芸術大学博物館や大学の広報物制作、イベントの会場設営などを担当。一つのイベントで約200アイテムにものぼるツールを一人で制作し、設営まで一手に引き受けた。
「当時は、大学にほぼ住んでいるような状態でしたね。助手業務だけでなく時間外にはデザイン制作を延々とやっていましたが、何よりも勉強になりましたし、手早くデザインするための段取りと整理整頓の大切さを学べてよかったです」


『祇園祭山鉾絵図』より「綾傘鉾」

第二の師・松井桂三氏の助手時代。
周りとの距離の置き方を学ぶ

「森さんは私という一つの“山”を越えたのだから、さらなるステップアップのために次の“山”を登った方がいい」
退官する西脇氏から、そんな言葉をかけられ、次の“山”となる第二の師・松井桂三氏の助手に就くことになる。実は、その数年前、あるイベントのポスターを制作したときのこと。有名なデザイナーが同じイベントでポスターを制作。そちらで予算がなくなったということで、森氏のデザイン費がゼロになったことがあった。その有名デザイナーとは、松井氏だと就任後すぐに知ることになり、「先生ですか!」と心の中で呟き笑ったという。同時に奇妙な縁も感じた。
松井氏の助手時代にも、さまざまなエピソードが残っているが、特に印象的だったのは卒業・修了作品展のポスターづくり。松井氏が制作したデザインを、費用をかけずに再現するため、モデルや衣装、小道具集めなど学内を奔走した。
「紙で衣装をつくり、歯磨き粉でモデルの髪を白く塗り、ポテトチップスの袋の裏で銀のアクセントをつけたこともあります」

このように持ち前の行動力と知恵で、優秀な助手として評価されていく森氏であったが、唯一、不得意と感じていたのは他ならぬデザインだったという。
「大学にはデザイン科の先生が多数いるなかで、当時24~25歳の助手の私がデザインをしていいのだろうか。みんな腹の中で私のデザインを笑っているのでは……」と悩んでいたそうだ。ある先生には「森さんは井の中の蛙になるよ。このまま大学にいると腐っちゃうよ」とストレートに言われたこともあったそうだ。そんな肩身の狭い思いをする状況の中で、デザイン論は語らず、周囲と波風を立てず、なるべく目立たずにいる術を身に付けたという。その一方で「まだ私は井の中の蛙にもなっていない。“そうだ!大学という小さなコミュニティの中で一番になってやろう”。大学の全部のデザインを制覇しよう」と発想を転換し、のびのびとデザインをするようになったという。

6年間の助手生活の後、大学退職時に松井氏の事務所に誘われるが、「外の世界で商業デザインに携わったことのない私は落ちこぼれになり、みんなに迷惑をかけてしまう」と考え断ってしまう。しかし、松井氏に「デザイナーにも人にも、いろんな“道”がある。自分流に頑張ればいい」と励まされ事務所に入社。西脇氏・松井氏という二つの大きな“山”を越え、今度は本格的にデザイナーとしての“道”が始まることを予感したという。大学時代は助手として師匠の指示をこなすことが第一目的であったが、松井氏の事務所では自ら能動的に仕事を進めるスタイルに軌道修正。「森ちゃんは、どんなデザインがしたい」と聞かれ、「情報を分かりやすく伝えるエディトリアルに携わりたいです」と答え、著名な作家の書籍や広報物などを担当。そして2008年に独立し、株式会社ni-moc(ニーモック)を設立する。


マチオモイ帖に出展した「本宮町」の中面

鹿やイノシシの皮を剥ぎ、猿も食べた幼少期

このような特殊な環境の中でデザイナーとして歩んできた森氏だが、どんな子ども時代を送ってきたのだろうか。
「私は両親ともに自衛官という家庭で生まれ、幼少期に北海道から宝塚に引っ越し、ほぼすべての休日を父の実家がある和歌山県田辺市本宮町で過ごしました。本宮町は世界歴史遺産の熊野本宮大社があり、最近では観光地になっていますが、父の実家は人里離れた集落にあり、台所やお風呂には薪を使っていました」

祖父には「一人で生きていくために何でも覚えろ」と言われ、薪割りや火おこし、解体した鹿や猪の皮剥ぎを覚え、猿を食べたこともあったそうだ。森氏の言葉を借りれば「下剋上」ともいえるサバイバル環境の中で、さまざまな体験をしたことが、デザイナーとしての技術と行動力、知恵の源泉となっているのだろう。


大阪・泉佐野市の日根荘の歴史文化プロモーションの展示風景

最近では、泉佐野市・日根荘の歴史文化プロモーション事業が代表的な仕事のひとつ。日根荘は鎌倉時代から戦国時代にかけて、現在の泉佐野市域にあった荘園(領地)で、豊かな自然環境と田園や寺社、ため池、水路などが調和する美しい地として、平成25年に大阪府で初めての重要文化的景観に選定されている。その歴史的景観をPRするため、日野荘・大木地区の鳥瞰絵図をキービジュアルに展示パネルと動画を制作。泉佐野市役所のロビーに展示したところ、大きな反響を得た。
「続いて別会場で開催した展覧会では、大木町の一軒一軒の形が分かる詳細な鳥瞰図を作成しました。大学の助手時代に祇園祭の鳥瞰図をつくった経験を活かし、私が下絵を描き、住民の方々にコピックペンで色を塗っていただきました。和気あいあいとした雰囲気の中で作業が進み、地域の交流が深まりましたね」

このような展覧会は関西国際空港のKIXギャラリーや、あべのハルカス大阪芸術大学スカイキャンパスでも開催し、絵図について語るシンポジウムや講演会も主催し自ら登壇したという。

幼少期から今の仕事まで駆け足で振り返っていただいたが、どの話も内容が濃く、また笑いが絶えず、既定の時間内では納まりきれなかった。このクリエイティブ・サロンと同じように、枠にはまらない森氏の活躍は、さらに広がっていくのだろう。

イベント風景

イベント概要

クリエイティブサロン Vol.137 森夕里子氏
デザイナーのONとOFF

幼少期からの様々な経験と環境が私のベースを作り、2000年からデザイナーに。師匠のことや下積時代などあまり人前で話したことのないお話ができたらと思っています。また、通常とは少し違った環境下でデザインを学び、大学という組織の中でデザイナーになったこと、研究者であり専門家であり技術屋であること、また、現場が一番とがっつりのめり込みすぎて、デザイナーという立場で文化財を語るシンポジウムや講演会に出演したことなどいろいろと話せたらと思います。

開催日時

2017年10月19日(木)19:30〜21:00

会場

メビック扇町

森夕里子氏(もり ゆりこ)

株式会社ni-moc(ニーモック)/ アートディレクター / グラフィックデザイナー
大阪芸術大学デザイン学科卒業。同大学大学院助手時代に博物館や大学のイベント広報物などのデザインを手がけたのち、ハンドレッドデザインインク入社。2008年カメラマンと一緒にni-moc設立。
日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)大阪地区代表幹事
株式会社ni-moc

公開

2017年12月11日(月)

取材・文

一心事務所 大橋一心氏

イベント情報はこちら

イベントカレンダー

« 前|“神山の奇跡”を通して見つけた、暮らし方のデザイン。

記事一覧

ヘルスケア分野のイノベーションを大阪から。|次 »