クリエイティブサロン Vol.138 廣瀬圭治氏

“神山の奇跡”を通して見つけた、暮らし方のデザイン。

2015年以降、政府が推し進める地方創生。日本各地でさまざまな動きが起きる中、最も注目される町がある。徳島県の北東部に位置する神山町だ。この町は人口約5,500人、少子高齢化で一次産業が伸び悩む過疎地でありながら、2011年には人口の転入が転出を上回ったと話題を集めた。
この地に2012年、大阪で最も早くサテライトオフィスを構えたのがデザイナーの廣瀬圭治氏だ。以降、縁もゆかりもない土地に移住し新しい生活を作り上げてきた。この5年の日々を振り返り、暮らし方のデザインについてお話を伺った。

廣瀬圭治氏

町が自らデザインする、まさかの逆指名スタイル

今回、話の舞台となる神山町は全面積の8割を山地が占め、春になれば5,000本の桜、冬には滝の氷瀑と、四季折々の風景が町を彩る。ただ、自然の豊かさに反して人口は減少の一途をたどり、この5年間で800人近い減少が見られる。これに対して町では「創造的過疎」という考え方を提唱しており、農業ではなく新しいビジネスの場として価値を高めようと考えている。
もともと町内では、1999年以降グリーンバレーというNPO法人が、国内外からアーティストを招いて芸術による町おこしを行ってきた。2008年、彼らを誘致するためのウェブサイトで町内の古民家を紹介したところ、驚いたことにその他の一般移住希望者から大きな反響を得た。さらには、町内全域に整備された高速ブロードバンド網に目をつけ東京の企業がサテライトオフィスを設立。これに注目したテレビ局が取材に訪れ、地域活性化のモデルケースとして注目を集めるようになった。おかげで、この5年間で90人以上の移住者があり、現在も200組以上の移住希望者が待っているという。
ただ、面白いことに神山町では、従来のように移住者を希望順に迎えることはしない。「地域に仕事がないなら、仕事を持った人に移住してもらえばいい」と、町の未来に必要な人を逆指名。まさに町が自らの将来をデザインしていると言えよう。

“出合って約半年”の電撃移住

廣瀬氏がこの神山町と出合ったのは、2012年東京ミッドタウンで行われた「わたしのマチオモイ帖」でのこと。友人を介して町の存在を知ることとなった。奇しくもこの時、氏はウェブデザイナーとして独立して10年目。神山の話を聞き、当初の気持ちを思い出したという。
「独立当時、僕は『これからインターネットが発達すれば、今以上に人と人がつながり、どこにいても仕事ができるようになる』と考えていました。ネット環境が整い、都市部の企業と自由にやりとりする神山の働き方を聞くと、あの頃、思い描いた未来がここにあると感じたんです」

そこで、居てもたってもいられず2012年4月見学のため単身神山へ。現地で町づくりを行うNPO法人グリーンバレーの人々の姿に感銘を受け、サテライトオフィス開設の計画を進めることになった。さらに6月、移住の話を持ちかけられると、迷いこそしたものの8月には「町の仲間に入れてください」と返答。通常なら1~2年かけて進める話を、わずか4カ月ほどの短期間で即決し、出合って約半年で電撃移住を果たした。

神山で見つけた新しい働き方、新しい遊び方

10月に移住した後は、町民の方から譲りうけた古民家の母屋を住まいに、また離れをサテライトオフィスとし、本社のある大阪と徳島を行き来しながら新しい生活をスタートさせた。
仕事に関しては、既存のクライアントを基盤に、徳島県内の企業とも新たな繋がりが生まれ、なかには「大阪の都会的なセンスを」と大がかりなブランディングを全面的に任された例もある。また、翌年の4月以降は徳島県の「クリエイティブネットワークコーディネーター」に任命され、県内のクリエイター同士が集まる場を設けたり、企業とクリエイターを繋げたりとデザイン振興に取り組んでいる。おかげで町民からも信頼を得て、神山町の今後を決める重要な会議の場にも参加。国会議員が地方創生の視察に東京から訪れた際など、国の取組みについて提言までしている。
「大阪にいた頃に比べると、グラフィックデザイン、ウェブデザインという枠を越え、企業のブランディングや事業をトータルで請け負うことが増えました。デザインによって課題をどうやって解決すべきか? という点で物事を考えるようになりました」

また働き方に関しても大きな変化があった。実は、釣りが趣味だという廣瀬氏。大阪なら車で3~4時間かかるような自然環境が、神山なら身近に揃っている。週に数日間は“午前中は釣り、午後から仕事”という夢のような働き方が可能となり、ワーク・ライフ・バランスを実現している。会場のプロジェクターには廣瀬氏とブラックバスのツーショット写真が写し出され、その満足げな笑顔が何より充実ぶりを物語っていた。

廣瀬さんとブラックバス

地域に眠る資源をデザインの視点で新しい形に

2013年、廣瀬氏はこの地で新たな取り組みを始めた。人工林の課題に対してデザインでアプローチする「神山しずくプロジェクト」だ。
「今、神山では人工林の過密によって地面が水を吸わず、年々水量が減っています。子どもたちに豊かな環境を残すこと。また、悪化する状態を知りながら行動を起こさない町の諦めムードを変えたいという思いから始めました」

そこで、人工林の現状を広く啓発したり、杉の有効活用を呼びかけたりする活動をスタート。継続性のある事業にするため、杉で作ったコップやお皿を販売している。ただ、この商品が完成するまでには相当な苦労があった。そもそも、杉の木は柔らかくて、食器には不向き。しかも木の断面は赤と白の二層をなし、建材としても価値が低い。制作を依頼した木工所は「おまはんは木のことを何もわかっとらん。そんな仕事、引き受けるところはないで」と口を揃えて反対したと言う。
しかし廣瀬氏は、赤×白の材質を逆手にとってツートンカラーのデザインを考案。粘り強く木工所の開拓に回った。ようやく完成にこぎつけたのは1年後のこと。「機械加工ができないなら」と一つひとつろくろを回して手作業で作る、地元職人の技術を生かした生産スタイルになった。
このコップは各地の百貨店の展示会をはじめミラノ万博にも出展され、2017年にはグッドデザイン賞を受賞。代議士・小泉進次郎氏からも高く評価され、本来の目的である山の資源の有効活用についても啓蒙活動が広まっている。
さらに嬉しいことに、このプロジェクトに賛同した若い世代が現れ、職人が長年抱えていた後継者問題にも解決の兆しを見せている。

「町の資源をデザインという新しい視点で見つめ直し、ITの力を加えながら世界レベルのブランドに育てていく。それでこそ本当の意味での地方創生であり、地方であることがかえって強みとなる事例を作れると思います」と廣瀬氏は語る。

サロンの締めくくり、廣瀬氏は自身の今後を「百姓」という言葉で言い表した。「百姓」とは「百の姓(かばね)」と書き、「姓」は「世襲の職業、政治的地位、家柄」を意味することから、広義に「職業」と捉えられる。「神山に限らずお百姓さんたちは、米のこと、天気のこと、土、水……本当にたくさんの知識と技術を持っておられます。僕もデザイナーという職業に留まらず、時には『しずく』というプロジェクトを運営し、時には行政とタッグを組んで事業を進め、もちろん釣りもする。100と言わずとも6~7の生業を持ちたいと思っています」。事実この思いから、2016年8月には会社の本社機能を大阪から神山へ移したと言う。
廣瀬氏が5年間かけてデザインした神山での暮らし方。それは会場のクリエイターに対する「あなたは、自分の暮らし方をデザインしていますか?」との問いかけになったのではないだろうか。

イベント風景

イベント概要

クリエイティブサロン Vol.138 廣瀬圭治氏
神山生活5年。暮らし方のデザイン

人口約5,500人。高齢化率47%の過疎の町。縁もゆかりもない徳島県神山町に移住し丸5年。デザイナーとして、地方で暮らすとは? 地方で仕事をするとは? 自社ブランド「SHIZQ(しずく)」の立ち上げから現在に至るまでのお話、地方コミュニティーのリアルなど、私の5年を赤裸々にお話します。

開催日時

2017年10月30日(月)19:30〜21:00

会場

メビック扇町

廣瀬圭治氏(ひろせ きよはる)

キネトスコープ社 代表 / アートディレクター
20代前半はバイクで全国を旅する放浪生活。20代後半はVJとして全国のイベントに出演。映像クリエイター、グラフィックデザイナーを経て、2003年に大阪市でWEBデザイナーとして独立。2005年、社名をキネトスコープ社とし、クロスメディアを活かした企業ブランディングを手がけてきた。2012年「わたしのマチオモイ帖」展覧会をきっかけに、神山町へ移住し、田舎暮らしをはじめる。徳島県のデザイン振興担当、NPOグリーンバレー理事に着任。翌2013年、人工林の課題にデザインでアプローチする「神山しずくプロジェクト」を発足。GOOD DESIGN AWARD 2017受賞。
Kinetoscope.(キネトスコープ社)

公開

2017年11月30日(木)

取材・文

竹田亮子 竹田亮子氏

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