意識の転換と、学びたい気持ちがデザイナーとして生きる強さを育んだ
クリエイティブサロン Vol.133 植松達馬氏

今回の「クリエイティブサロン」のゲストスピーカーは、植松達馬氏。みずから代表を務めるデザイン事務所「ADESTY」は、設立して今年で15年。今では国内外のデザイン賞を受賞するなど華々しい活躍を遂げているが、実績を上げるためにこれまでどのような行動を起こしてきたのか? そこには、いくつになっても学び、吸収していくという謙虚な姿があった。今回は、植松氏がデザイナーの世界に飛び込んだきっかけや、デザインへの想いをたっぷりと語っていただいた。

植松達馬氏

遠回りしたからこそ出会えためざすべき“デザイン”

植松氏が「日本パッケージデザイン大賞」金賞、「カンヌライオンズ」銀賞を受賞した「宝塚牛乳」のパッケージデザイン。この作品を手がけたことで、デザイナーとして生きて行く道を見出したという。「遠回りはしたけれど、自分を変えようと行動を起こした頃に出会ったのが『宝塚牛乳』。もし、手がけるタイミングがもう少し早ければ、単純に牛のデザインにしていたかもしれません(笑)」

幼い頃から工作や絵が得意だったという植松氏。大学中退後、運送屋でアルバイトをするが、“モノづくり”への想いが断ち切れずデザイン専門学校へ入学。その後、看板制作会社で働き始めた。手がけるのは、街でよく見かける路上工事看板や「キケン!立ち入り禁止」といった注意看板。ペンキで描くのは楽しい反面、「自分でデザインもしてみたい」という気持ちが募り広告代理店に転職。様々な広告、チラシの制作に追われた。「ここで働いたことで、Macの操作と印刷物には詳しくなれました」と、必要なスキルが吸収できた2年間。充実はしていたが、多忙から肉体的、精神的に限界を感じ始め、ついにストレスから体調不良に。職場に復帰しても、働き始めると再発するほど重症だった。「自分でやるしかないかな」と独立を考えるようになった頃、父親が経営する会社の一角を間借りできることに。広告代理店を退職し、体調を整え、間借りしながら独立の準備を進めた。

鬱積する日々にグサリと刺さった妻からの鋭い問いかけ

2年の準備期間を経て、2002年にデザイン事務所「ADESTY」を設立。看板、印刷物制作など、これまでのスキルを活かして第一歩を踏み出した。持ち前の器用さでHP制作から写真、動画編集まで手当たり次第に仕事をこなしていったが、反対にその器用さが自分の首を絞めることになる。「よく『当時の植松さんは毎日イライラしていて怖かった』と言われます。確かに、自分の中で“仕事をやらされている”という意識があった。休日、時間問わず雑務に振り回される“何でも屋”状態に、『僕の仕事って、本当にコレなんか!?』と自問自答する日々でした」

会社設立から8年の月日が経っていた。日々の業務に追われ迷走する自分、鬱積する感情。そんな植松氏に喝を入れたのは、ほかならぬ妻だった。「40歳、50歳になった時、何で勝負するの?」。「あなたよりすごいデザイナー、たくさんいるやん。どう勝つの?」とも。妻からの手厳しい問いかけに、思わず黙り込んだ。「自分でも危機感は持っているつもりでした。デザイナーと名乗ってつくることを仕事にしているけれど、何をつくるのかを考えたりしたことがなかった。妻からの厳しい言葉で、やっと自分の弱さを認めることができた気がします」

作品例

美術大学で教わった「デザイン=考えることの大切さ」

「デザインとは何か」。そんな基本に立ち戻るべく、なんと34歳にして京都造形芸術大学通信教育学部に入学。デザイン事務所経営と大学生という二足のわらじは、想像以上に多忙を極めたが、「今を乗り越えないとダメになる」と奮起した。しかし、当時を振り返る植松氏は実に楽しそう。「架空の博覧会を企画するなど、想像力を働かせ、考えてつくっていくプロセスが楽しくて仕方なかった。それと同時に、これまでの自分は知識だけでモノをつくっていたんだと痛感しました」。のびのびとモノづくりに没頭する中で、「考えることの大切さ」を学んだ。家族、スタッフの協力もあり、2年で卒業。その頃には、以前、心を覆っていた重い霧はすっかり晴れていた。「大学は大人になってから入学したほうが、発見が多くて楽しいですよ」と笑顔で語る。

2012年、大学卒業後にまず行動を起こしたのがデザイン事務所の一新。場所を移転し、サイト、名刺、封筒のデザインを全てリニューアルした。一生を懸けて「デザインと向き合う」という覚悟の表明。お客様が離したくない会社になろう。常に魅力的で、頼みたくなる存在に。そんな想いで行動を起こし始めたところに舞い込んだのが、「宝塚牛乳」のパッケージデザイン。内側から変化を遂げていた植松氏がまず大切にしたのは「消費者と生産者をつなぐ」ということ。「宝塚牛乳」のパッケージは、国内のデザイン賞だけでなく、海外の賞も受賞。「言葉ではなくデザインで伝えられたのが大きな自信につながりました。このパッケージを手がけたことで、初めてデザイナーと言える存在になれました」

牛乳瓶のデザイン
「宝塚牛乳」

シンプルなデザインのなかに背景が見える作品をつくりたい

自分を、会社を変えよう。そう奮起した頃から、意識を変え、行動を起こし続けている植松氏。普段から読書家で、とくに日本美術に対する興味は尽きず、2013年から有志の勉強会も開催している。「日本をよく知るために、前からお世話になっている日本画家の先生に講師をお願いし、日本の文化を学ぶ勉強会を開いています。日本の美意識や“感覚”を培うのが目的です。『いいな』と思うものには必ず理由がある。なぜいいのかを考えることが、僕のデザインの起点になっています」と意欲的。学びを重ねるなかで、家紋・紋様の魅力にも気づいた。「自分の目指す道はここだな、と。例えば薩摩藩の家紋や真田氏家紋の六文銭など、シンプルですが背景が見えます。こうした表現は日本独自のものだと思うんです。僕がつくるデザインも、永く使われ、背景が見えるものをつくりたいと思うようになりました」

紆余曲折を経て、内側から湧き出す気持ちをシンプルなデザインに落とし込む、自分が目指すべき道を見つけることができた植松氏。「これまで本当に辛いことやいろんな経験をしましたが、そのおかげで強くなれました。自分自身をどう捉え、根本から考えて、どう努力し、どう行動に移すか。これがいちばん大切なのではないかと思います」

会場風景

イベント概要

意識と行動
クリエイティブサロン Vol.133 植松達馬氏

会社を設立して今年で15年。ですが、自分をデザイナーだと言えるようになったのは、まだ最近の話です。今回は最初で最後の貴重な機会だと思いますので、最近の仕事の話はもちろん、過去の(怖かった)仕事、34歳からの大学挑戦、奇跡のカンヌ受賞など、意識の変化とともに、大きく変わった自分のデザインについてお話ししたいと思います。

開催日:2017年08月08日(火)

植松達馬氏(うえまつ たつま)

ADESTY INC.

1975年兵庫県生まれ。芦屋芸術情報専門学校、京都造形芸術大学を卒業。看板制作会社、広告代理店制作部などを経て、2002年にADESTY INC.設立。グラフィックデザインをベースに、ブランディング、VI、パッケージ、WEBなどを手がける。
主な受賞歴:日本パッケージデザイン大賞 金賞、カンヌライオンズ 銀賞、ロンドン国際広告賞 銅賞、アジアデザイン賞 銅賞、The One Show メリット賞など。

https://www.adesty.com/

植松達馬氏

公開:
取材・文:中野純子氏

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。