子どもの成長を感じながら仕事をするクリエイティブの現場とは
クリエイティブサロン Vol.97 木村泰子氏

今回のクリエイティブサロンでお話をされるのは、有限会社鮮デザイン代表・木村泰子氏。現在2児の母親でもある木村氏は、育児・家事をこなしながらアートディレクターとしても幅広く活動中だ。

「今日のテーマは『子どもの笑い声が聞こえるグラフィックデザイン事務所の楽しい仕事』。独立してから現在までの仕事を紹介しながら、結婚・出産を経てからもクリエイティブの仕事を続けている女性としての話もしたいと思います」と語り始める木村さん。新しい家族を持ち、私生活と隣合わせの現場で働く彼女のリアルな話に、聴衆は引き込まれていった。

木村泰子氏

母となって生まれた仕事への新たな視点

デザイナーとしてのスタートは20歳。大阪のグラフィックデザイン事務所に勤務の後、2001年よりアートディレクター・板倉忠則氏に師事。その後2004年に独立し、有限会社鮮デザインを設立した。

「多くの才能のあるプロたちと共にアイデアを出し合いながら一つのものを創り上げる。そのプロセスが好き」と話す木村氏は、出逢いにも恵まれ、独立後も多くの仕事に取り組んできた。鮮デザイン設立後、間もない頃に手がけたのは、ブルースヴォーカリスト木村充揮氏の30周年グラフィック。カメラマンに森善之氏を起用し、木村充揮氏の繊細な表情を切りとった写真で、今までにないイメージのビジュアルに仕上げた。その他、JRA(日本中央競馬会)ウインズ梅田のリニューアル広告をはじめ、百貨店や大型モールのシーズンプロモーション、食品会社や健康・美容関連会社、通販会社など、手がけた仕事の業種や媒体は多岐にわたる。いずれも、それまで打ち出されていたイメージとは違う、若い女性の感性を生かしたアートディレクションを求められることが多かったという。

「30代までは若さは一つの利点でもありました。けれど今、40代に入って2児の母となり、若さやかわいらしさとは違う大人の女性としての視点を求められているのかなと感じています」と話す木村氏。案件に対して、これまでとは別の方向からアプローチすることも増えたという。

親としての願いがプロモーションのコンセプトに

その一例が、2016年春から手がける梅田のファッションビル「ヌー茶屋町」のファッションキャンペーン広告だ。コンセプトを考えるにあたり、将来子どもたちが梅田に買い物に出かける光景が目に浮かんだという。

「梅田界隈にあふれる商業施設の中で、人々がヌー茶屋町を選んで来る理由とは何かを考えてみました。梅田の中でも茶屋町は劇場や映画館、テレビ局など個性的な人が集まる場所。そこで年頃になった娘たちに『買い物に行くならヌー茶屋町がいいよ』と勧めるとするなら、理由にどんなものが挙げられるかという視点で考えてみたんです。するとたとえば、『流行っている服より自分に似合っている服を着よう』とか、『みんなに褒められることより自分を褒めたくなることをしよう』とか、『今の自分を見つめて自分を好きになってみよう』などの言葉が浮かびました。そして、単に目を引くビジュアルを打ち出すことより、自分らしさを楽しむ生き方をしてほしいという、人としての生き方をメッセージした方が、見る側にもヌー茶屋町の魅力がもっと伝わるように感じたのです。そのコンセプトを会議でお話したところ、代理店の方々をはじめ、最終的にはクライアントも共感してくださり『茶屋町スタイル』と命名されたシーズンプロモーションが展開されることになりました」

写真家には川島小鳥氏、モデルにKanoco氏が起用されることになり、個性的な二人のスタイルを存分に生かして制作された春のキャンペーン広告は大成功。子どもを持ったことで新たな視点が生まれたと実感した案件の一つだ。

ヌー茶屋町キャンペーン広告

スタッフが才能を存分に生かせる「箱庭」をつくること

アートディレクターとは、カメラマンやモデル、スタイリスト、コピーライターなど、各領域を担当するスタッフを一つにまとめて成果物を生み出す仕事。それぞれの才能を生かせるかどうか、その手にかかっているといっても過言ではない。

「師匠である板倉氏から、『みんなが遊べる箱庭をつくりなさい』と言われました。その言葉を今でも大切にしています」と語る木村氏。プロジェクトに関わるスタッフみんなが、才能を存分に発揮して遊べる広い箱庭をつくること。遊んだ結果、生まれてくるものが箱から飛び出してしまわないように、つまり案件のコンセプトから外れてしまわないように調整すること。それがアートディレクターの仕事だと教わった。

「たとえばヌー茶屋町のプロモーション制作で参加してくださった川島小鳥氏とKanoco氏の二人は、息がぴったりでしたし、それぞれが素晴らしい個性の持ち主ですので、私は撮影が上手く進むよう気を配るくらいで十分でした。そして仕上がりもイメージ通り、またそれ以上でもありました。こんなふうにアートディレクターが現場で何も手を出さなくても結果が美しいものであれば、それが一番いい。けれど、時には箱庭から飛び出してしまうこともあります。このままではビジュアルのコンセプトが見る人に伝わらないかもしれないと感じた時に、スタッフと話し合って軌道に戻して正しく方向づける作業。それもアートディレクターの仕事だと思っています」

才能あるスタッフが存分に遊ぶことでミラクルが起きる。そんなミラクルが起こる現場をいつもつくることが自らの使命。どんな案件においても変わらない木村氏の仕事への姿勢だ。

手がけたイベントチラシや本の装丁

子育てしながらでも続けることができる。その一例となりたい。

アートディレクターの仕事と育児・家事の両立。その毎日の忙しさは想像に難くないが、だからこそ逆境を楽しもうとする自分を見いだしたと語る木村氏。

「たとえば仕事の上でも、与えられた素材があまりいいものではなかったり、選ばれたスタッフがその案件に合っていなかったりという場合があります。そんな時、以前はへこんだりすることもありましたが、今では『こんな時こそがアートディレクターの出番!』と思えるようになりました。また、たとえば若手のデザイナーが出してきたアイデアがあまりいいものでなかった場合でも、デザイナーとして『自分が手直しする』のではなく、ディレクターとして『どうすればいいアイデアになるか考えよう』と最近では思えます。ここにも子育ての経験が生きているのかもしれませんね」。柔らかい笑顔は、2児の母となった覚悟と、積み重ねてきたキャリアへの自信も感じる。

今、多くの女性が子育てと仕事を両立しようと奮闘する一方で、さまざまな事情で仕事を諦めざるをえない人も少なくない。それはクリエイティブの世界でも同じだという。

「クリエイティブ職の中でも、特にアートディレクターはクライアントと濃密な関係を築かなければならない仕事。拘束される時間も長いので、家庭の事情などでやむなく辞めていく女性もいらっしゃいます。そんな中で、私は出産ギリギリまで仕事を続け、産後すぐに復帰することができました。これは主人の理解と子どもたちの健康があってこそ。最近、この先のことを考えて事務所を自宅に移しました。子どもの笑い声や泣き声のそばで、成長を感じながら仕事をしています。この環境に感謝しつつ、さらに多くの方に喜んでいただけるような仕事をしたい。そして子どもを育てながらでも仕事を続けているアートディレクターの一人として、若い世代のクリエイターのみなさんの生き方の一例になればとも思っています」

独立後も、公私ともに着実に成長を遂げている木村氏。子どもたちの成長とともに、家族のあり方や母親として求められることも変わっていくだろう。その中で彼女もアートディレクター、母親、妻の3つの顔を持ちながら、しなやかに大らかに成長する。そんな近未来の姿が目に浮かんだ。

会場風景

イベント概要

子供の笑い声が聞こえるグラフィックデザイン事務所の楽しい仕事
クリエイティブサロン Vol.97 木村泰子氏

私は30歳で独立しました。その時、母親からは「女なんだから早く仕事を辞めて結婚し子供を産んで欲しい」と言われ、本気で泣かれました。アラサーからアラフォーと呼ばれている自分にようやく気がついたある日、このままでは本気で子供が産めなくなる事実を知った私は、主人と巡り会った事をキッカケに結婚を決意。帝王切開手術の1週間後、病院で仕事の打ち合せをしてナースステーションの問題児になった話など、女子デザイナーならではの面白体験を、楽しかったお仕事と一緒にご紹介いたします。

開催日:2016年6月3日(金)

木村泰子氏(きむら やすこ)

有限会社鮮デザイン

有限会社 鮮デザイン 代表 / アートディレクター / グラフィックデザイナー
兵庫県出身。複数のデザイン事務所を経て、アートディレクターの板倉忠則氏に師事。’04年より独立し、有限会社 鮮デザインを設立。’11年の出産を機に、人が生まれるまでには奇跡が連続している事に気がつき、共感できるグラウンドが大きく広がった今、想いが届くモノ作りをしていきたい。
【主な仕事】
木村充輝 30周年 グラフィック / 詩写真集「うた」 グラフィック / 09’ JRA ウインズ梅田B館 リニューアル広告 / ’12~’14 フェリシモ CHOU CLUB グラフィック / ’13~’15 創味食品 グラフィック / ’16 NU茶屋町 ファッションキャンペーン など。

木村泰子氏

公開:
取材・文:岩村彩氏(株式会社ランデザイン

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