未来を見据え、空気を設計する野心
クリエイティブサロン Vol.86 平沼孝啓氏

住宅のみならず国内外の美術館や商業施設、公園などを手がけ、数々の建築賞に輝いてきた平沼孝啓氏。たえず移ろう光と風、温度といった環境と共鳴し、有機的に趣を変える氏の空間は、どんなプロセスから生まれるのか? オープニングから終始、飄々と冗談めかした語り口で会場を煙に巻き、笑わせた平沼氏。しかしその口調とは裏腹に見えてきたのは、思い描くイメージの具現化のために、未知の技術に挑むこともいとわない、探究者としての気骨と熱量だった。

平沼孝啓氏

留学先に舞い込んだオファーと、5坪のオフィスからの船出。

「僕が学生の頃はバブルの建築ブームで、早く竣工できるコンクリート建築が求められた時代。どこの設計事務所も猫の手も借りたい状況でした」
大阪工業大学建築学科の夜間課程に通い、日中は設計事務所で働くという学生時代を送った平沼氏。1997年からは2年間、ロンドンのAAスクール留学へ。初の指名発注が舞い込んだのは、そのロンドン在住時のことだった。

「海外経験のある同世代の建築家に頼みたいという話で、ロンドンまで直接仕事の依頼に来られまして。30歳女性のひとり暮らしの住まいで、土地は大阪市西淀川区。それで、現場との車移動に便利な南港ATCのインキュベーションに、5坪のオフィスを借りて開業したんです」

リビングやバレエスタジオ、中庭など、用途の違う空間を分散し、ダイナミックな動線でつないだデビュー作「時間の家」は、こうして生まれた。また少し後に手がけた滋賀県草津市の「みんなの家」は、2世帯6人暮らし・延床面積100m2未満という条件のもと、バラバラな家族の注文にそれぞれに応える空間を作って見せ、各方面から注目を集めた。

デビュー作の外観
デビュー作「時間の家」。開放感とプライバシー確保を両立しつつ、時間の移ろいや、時代による暮らしの変化にも対応できる空間をめざした。

森の未来のためになる、新しい工法を作るという挑戦。

2003年、そんな平沼氏にある転機が訪れる。間伐材が山のゴミになっている現状を目の当たりにし、間伐材を使った建築が作れないかと考えたのだ。しかしコンクリート打ちっぱなしやスーパースチールの建築を手がけてきた平沼氏にとって、木造を現代建築に活かすのは未知の領域。

「校倉(あぜくら)造りや書院造りなどの伝統木造も見て回りましたが、その設計を自分が10年かけて習得したとしても、作り手である宮大工を確保しないとどうにもならない。でも数少ない宮大工は、全国の歴史的建造物の修復に駆り出されて、現代建築なんてやっている暇はありません。要するに、伝統木造で新築を作るということ自体が、非現実的なんです。ならばいっそ木造の新しい工法を作ったらどうかと考えました」

在来工法ができて150年、2×4工法ができて75年。それ以来新しい木造工法が生まれていない現状に、風穴をあける挑戦だ。氏が発案したのは、間伐材からできる細かいブロックを積み上げ、強度を持たせながら無数の採光スリットのある壁を作るという「木造ブロック積層構法」。このアイデアは、東京大学から研究支援を受けて、正式な工法認定をめざすことになる。「東京大学くうかん実験棟」は、その実験のため、実際に駒場にある東大の敷地を使って作られたものだ。工法認定までにかかった時間は8年。環境保全だけでなく、セルフビルド住宅の未来にも新しい可能性を示唆するアイデアだ。

採光スリットのある壁
天井と壁から光が入る「東京大学くうかん実験棟」。時間の流れや人の動きに合わせて光の粒子が変化するさまを味わえる。

動的なプロセスを感じさせる環境型建築を作りたい。

「建築って普通は壁や天井や床という構造を考えるものだと思うんですが、僕が設計したいのは“その場の空気”なんです」
そのために常に新しい手法や技術を探求せずにはいられない性格を、自ら「オタクな研究者」と表現する。

そして留学時代のこんなエピソードが披露された。ロンドン芸術大学セントマーチンズ校に在籍していた、のちに著名なファッションデザイナーとなるある学生と意気投合し、卒業制作のランウェイ設計を依頼された平沼氏。実験を繰り返した末にやったことは、1400個の風船をヘリウムで膨らませ、手描きのメッセージカードをくくりつけて天井に放つというそれだけ。氏が設計したのは、5分間のショーの間に風船が少しずつ降下してゆき、最後にそれらが緞帳のように観客の視界を遮るという「変化のプロセス」だったのだ。

2014年に竣工した大阪府箕面市の「木の歯科」にも、建築ができあがる「プロセス」を、訪れる人に追体験させようという意図が働いている。70年代に高級住宅地として発展した箕面市だが、幹線道路沿いに規格化・大衆化されたチェーン店が立ち並ぶにつれて、かつての趣は失われつつある。平沼氏は、そんな環境にリノベーションをもたらす建築を、と考えた。約1年近い歳月をかけ、約480個のスタディ模型を検証した末に生まれたひとつの形。中に足を踏み入れると、むき出しになった天井の特殊木造トラス構造が、「人の手仕事」や「時間の蓄積」を感じさせる。テキスタイルデザイナー須藤玲子氏が手掛けた立体プリーツカーテンは、熱をはらむと膨張し開口部をふさぐという、生き物のような動性を持っている。

「建築家とは、地域の周辺環境を数十年後まで見据えたアイデアを求められる仕事。それが一般の設計者と大きく違っているところだと思う」と語る言葉に、建築家が背負う役割の重さが伝わってくる。

木質構造の歯医者内観
約11ヶ月に渡って現地を観察し、そこから生まれる思考を480個のスタディ模型に落とし込みながら検証を繰り返して生まれた「木の歯科」

若手建築家を育てるNPO活動を始めたわけ。

やがてトークは、平沼氏が取り組むNPO活動へと移っていく。
「いま海外では日本人建築家が信頼されて、引く手あまた。これは丹下健三さんをはじめ上の方々が切り拓かれた道なわけですが、もうひとつの理由として、日本がスクラップ&ビルドをやり続けてきたおかげで、日本人建築家は若くして経験を積み、独立して世界に出ていける土壌があったんです。ヨーロッパの建築家は保存リノベーションの仕事ばかりで、新築のチャンスなんてまずありませんから」

しかし日本が景気低迷や人口減の時代に突入し、公共建築の仕事もなくなりつつある今。せっかく世界への道が開かれているのに、若くして独立する人が減ってきたように感じる、と平沼氏。そこで若手の登竜門として2010年に始めたのがUnder35 Architects Exhibitionだ。35歳以下の若手建築家に発表の機会を与えるというこの展覧会、現在は平沼氏を代表とするNPO法人のもと、学生たちが主体となって運営しており、応募者も年々増えているという。また「建築レクチュアシリーズ217」という有名建築家を招いたトークセッションも、同じく2010年から継続している。

「僕たちがもつ経験値を、次の世代に渡していけるような取り組みを、小さくても続けていきたいですね。そんな小さな輪がほかでも生まれてくれたらと思います」

「Under35」展ビジュアル
2015年秋に開催されるUnder35 Architects exhibitionの出展者募集では、平沼氏と同世代の藤本壮介氏が審査員を務めた。

誰よりも自分が楽しむこと、その力がまわりを動かすと思う。

最後に「建築を志す人間に必要な資質とは?」という質問に答えて平沼氏はこう語った。

「とにかく自分が楽しむこと。それを学んだのは北京五輪にたずさわる建築家たちのプレゼンを聞いた時です。ヘルツォーク(スイス)なんて15分の持ち時間の間、俺はこんな素晴らしいアイデアを持ってる、とにかく聞いてくれ、という感じで、ひとりで語って笑いまくって、そのパワーに聴衆も引き込まれて、終わったらスタンディングオベーションなんです。建築なんて基本困ることの方が多いけど、まず誰より自分が楽しんでいる姿を見せること、それによって応援してくれる人があらわれて、うまく行くようになるんだと思います。日本でも、僕らの上の世代には、70歳を超す巨匠であってもみなさんいまだにプレイヤーであり続けてる方が多くて、僕なんかが作品をお見せしたりするとムキになって“俺ならこう作る”と熱く語ってくださる。そんなのがうれしかったりしますね」

自らの建築で、そしてNPO活動で、未来への希望を設計しようとする平沼氏は、この先20年30年と、私たちにどんな空間を見せてくれるのだろう。

会場風景

イベント概要

思考の構造
クリエイティブサロン Vol.86 平沼孝啓氏

昨年、ヴェネチア・ビエンナーレで発表をしたシームレスなガラス構造による glastecture や、断面形状の木の架構が連なる「木の歯科 / Timber Dentistry」など、平沼が思想としてもつ建築の概念と、構造の組み立て方をそのまま「空間の体験」へとつなぐ思考のプロセスを話します。

開催日:2015年09月24日(木)

平沼孝啓氏(ひらぬま こうき)

平沼孝啓建築研究所

建築家
1971年大阪生まれ。ロンドンのAAスクールで建築を学び、99年平沼孝啓建築研究所設立。主な作品に東京大学の駒場キャンパスに設計した間伐材による環境型木造建築「東京大学くうかん実験棟」や、地域の日常にある建築のあらたな価値を位置づけ、継続のあり方を探ったロングライフデザイン・リサイクルストア「D&DEPARTMET PROJECT」 のリノバーション作品などがある。主な受賞にジャーマンデザインアワード(ドイツ)や、イノベイティブ・アーキテクチュア国際建築賞(イタリア)など。国立国際美術館(日本)での個展や、昨年はヴェネチア・ビエンナーレ(イタリア)国際建築展に出展する。現在はNPO/AAFも率いる。

http://www.khaa.jp/

平沼孝啓氏
(c) Satoshi Shigeta

公開:
取材・文:松本幸氏(クイール

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。