レコード会社で学んだデザイナーの覚悟
クリエイティブサロン Vol.40 小島巖氏

様々なジャンルのクリエイターをゲストスピーカーに招き、活動内容や経験、そしてモノを作る過程から得たヒントなどを聞く「クリエイティブサロン」。トーク後のゲストと参加者とのディスカッションも貴重なコミュニケーションの場となっている。今回のゲストは、株式会社GRANGEの小島巖氏。大手家電メーカーの広告から、誰もが知るメジャーアーティストのCDジャケットデザインやミュージッククリップなどを手がけてきたグラフィックデザイナーだ。今回は、小島氏のレコード会社時代の話から、プロとして、デザイナーとして必要なことやアイデアを生み出すコツを聞いた。

サロン中の小島巖氏

プロフェッショナルになるための資質

小島巖氏の活動を知るうえで欠かせないのが、デザインを手がけたCDジャケットの数々。大阪の大手レコード会社でアートディレクターをしていた小島氏は、数々の有名アーティストのアークワークをトータルに手がけてきた。
小島氏がCDジャケットのデザインを志すようになったのは、デザイン会社でグラフィックデザイナーとして働いて8年が経った頃。「中学生の頃からデザイナーになるために突き進んできましたが、『本当にやりたいデザインってなんだ?』と。完全に煮詰まっていました」。そんな時、仕事帰りに立ち寄った書店で、当時の人気アーティストのCDジャケットデザインを手がけるあるデザイナーのミュージック・グラフィック集に出会う。音楽が好きで、学生時代はバンドを組んでいた小島氏。憧れの1冊を見つけたことで、かつて音楽にたずさわりたいと思っていたことを思い出した。「よし、CDジャケットを作ろう」。そう決めて動き出した矢先、大阪で新たに設立されたレコード会社がグラフィックデザイナーを募集する新聞広告を見つけた。「『コレや!』と思いました。エントリーするためには、とにかく作品を見せるしかないな、と」。深夜まで会社で仕事をし、家に帰ったら朝まで作品制作。架空の音楽媒体を設定し、CDジャケットや広告のシミュレーション作品を100点近く、1~2週間ほとんど寝ないで仕上げた。その努力が実り、狭き門を見事に突破。かくして小島氏はレコード会社でデザイナーとして働き始める。
「デザイナーの向き不向きについてよく尋ねられるのですが、プロフェッショナルになるための資質は、目の前の目標に時間を忘れて没頭できるかどうか、だと思うんです。そして、その環境を自分で作り出すことも大切。センスや才能はプロになってからの話で、その世界が好きでのめり込み、そのことばかり考えている人がプロになる。僕自身が当時、ほとんど寝ずにやったのは、プロになるための第一歩やったような気がします」

小島氏のCDジャケット作例

アーティストから学んだ多くのこと

レコード会社で着々と実績を積みつつあった小島氏が、rumania montevideoというバンドと出会ったのは’98年のこと。「自分にはない感性があって、すごくおもしろかった。CDジャケットの打ち合わせのとき、『“やる気のない感じ”を出してください』って言うんです。“やる気のない感じ”って何? と(笑)。すごい考えました」。何を提案しても「ピンと来ない」とハマらない。ある日、免許更新の講習で何気なく教本をめくっていると、交通ルールを示す挿絵を見つけた。その脱力感漂うタッチが気になり、メンバーに見せたところ「コレです!」とストライク。挿絵をオマージュしたジャケットをメンバーは気に入り、30㎝のアナログ盤になった。「そのデザインには何の意味も主張もないけど、“やる気のない感じ”はすごく出ている。相手が求めるものをひたすら考える、ということを学びました」
ひとりの女性アーティストとの出会いも大きなターニングポイントに。彼女は、小島氏がデザインを手がけたデビューシングルがミリオンヒットを叩き出し、瞬く間にトップアーティストに上りつめた。ただ、発売されるCDのリリース頻度はあきらかに自身のクリエイティブワークの限界を超え、日に日に重圧は増した。それでもCDジャケットのデザインにはとりわけ力を入れたが、プレゼンテーションの場で、プロデューサーは首をかしげるばかり。ある時担当のディレクターから、「『これではCDを買おうか、財布とニラメッコしているお客さんの背中を押すエネルギーに溢れてないよ。だとしたらそのアーティストが一番チャーミングに写っている写真をキレイな色彩にして、とびきりオシャレなフォントを入れてみるのは?それがお客さんが本当に求めているものなんじゃないかな』と言われたんです。どのCDを買おうか迷っている人が手に取り、レジに向かわせるものを作る。それが僕の覚悟なのかな、と。いい経験をさせてもらいました」。そして’00年、小島氏の作品集『inside works―Gan Kojima Sound’s Visual Collection』が発売された。「アーティストさんに完全に乗っかる形ではありますが(笑)、ミュージック・グラフィック集に憧れてこの世界に入った人間が、努力を重ねて作品集を出させてもらえるまでになったのは、本当に感謝の気持ちしかありません」

小島氏の作例
左:『inside works―Gan Kojima Sound’s Visual Collection』(ジェイロックマガジン社 2000年)
右上:rumaia montevideo 「Still for your love : 30inch Analog」
右下:rumaia montevideo 1st album「rumaiamania」

小島氏流アイデアを生み出すコツ

デザイナーとして求められるのがアイデア。では、デザインと隣り合わせのアイデアとは、どういうときに生まれるのか? 「アイデアは経験から生まれる、というのが僕の持論です」と小島氏。「アイデアって、どこかから降りてくるものだと思われがちですけど、自分自身の経験と、それとはまったく違う分野のものがミックスしたときに生まれるものじゃないか、と」。さまざまなものを見て聞いて、話して経験したものと、また違う分野で経験したものとが融合したときにひらめくという。「アイデアが出てこなくて、個室にこもって考えに考えて…みたいなしんどさじゃなくて、経験をカウントしていく作業が必要だと思います」。切羽詰まった状況をくぐり抜けてきた小島氏は、その仕組みを見つけたときは肩の荷が下りた思いがしたのだそう。そのためには目標を持ち、アクションを起こし、経験を積んでいくことが大切だという。「日常的に経験をひとつずつカウントするトレーニングをしておけば、アイデアを出すときにラクになります」
現在は独立し、アーティストのアートワークのほか、企業や学校のパンフレットなどのデザインを手がける。「新しく事業を起こしたり、方向を変えたときって、なかなか順調なときのようにいかないもの。次のステージに行くには、それまでよりグッと身を低く構え、次のジャンプに備えてパワーを溜め込んでおかないとね(笑)。過去の経験を知ってもらえることで何か違うものが生まれたとき、僕の過去に価値が出るのかな、と思いますね」

「クリエイティブサロン Vol.40」開催風景

イベント概要

「CDジャケット」が教えてくれた、様々な事…。
クリエイティブサロン Vol.40 小島巖氏

憧れてはいたが、とうてい「なれっこない」と考えていたCDジャケット専門のデザイナーになれたのは、後から思えばすごく単純な理由でありました。華やかに見えていても、想像を絶する音楽ビジネスの現場で、結果を求められるクリエイティブワーク。そんな自身の経験の中から、これから好きな分野を職業にしょうとしている人たちに、驚く程単純な「プロとしての資質と経験」などのお話を。またデザイナーとして日々求められる「アイデア」を生み出す「コツ」なんかも。幅広いフィールドの方々と、ディスカッションできれば嬉しいです。

開催日:2014年5月21日(水)

小島巖(こじま がん)

1987年、大阪のデザインプロダクションにてキャリアスタート。主に大手家電メーカーの広告・SP媒体のデザイン制作で経験を積む。1996年、関西にて立上がった音楽レーベルにアートディレクターとして入社。CDジャケットデザイン、ミュージッククリップ、コンサート演出ヴィジュアルなど音楽に関わるすべてのクリエイティブ制作に携わる。2009年活動の幅をさらに拡張するべく、株式会社GRANGE設立。音楽関連に加え、様々な企業のクリエイティブ・ソリューションに協力している。好きな音楽は「Jason Mraz」と「Caravan」。

小島巖氏

公開:
取材・文:中野純子氏

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