
「扇町クリエイティブクラスター」の創生をテーマに、3月9日に開催されたフォーラムでは、経営学の視点から産業クラスターに造詣の深い先生方による講演と、この街のクリエイター起業家たちを交えた公開座談会が行われました。
当日は、この街に住むクリエイターはもちろん、行政関係者、大学関係者など約100名の聴衆が熱心に耳を傾け、その後の交流パーティでは、参加者同士が情報交換や意見交換を通して交流を図り、個々に親睦を深めました。
フォーラムは、はじめに扇町クリエイティブクラスター創生事業について現状報告を行い、続いて基調講演に移りました。基調講演では、金井 一頼氏、福嶋 路氏、稲垣 京輔氏の3氏が、これまでの研究の成果を踏まえたうえで、産業クラスターに関してそれぞれの立場から持論を展開され、クリエイティブクラスター創生に向けてスタートを切ったメビック扇町にとっては、事業の方向性を考えるうえで貴重な羅針盤となりました。
基調講演の主旨は以下のとおりです。

大阪大学大学院経済学研究科教授 金井 一頼氏
講演では、金井氏がかかわったクラスター創生に関する2つのケースが紹介された。ひとつが、北海道庁が全面バックアップを行った計画的クラスター。もうひとつが、草の根的に創発したITクラスターだ。どちらも道を盛り上げるという目的のもとに作られたものだったが、計画的クラスターは停滞の一兎を辿ることになった。要因として、クラスターの「一村一品化」を計ったことがあげられる。多様な研究会が一挙に発足したが、クラスターを創ることだけに執着した結果、競争優位性がなくなってしまったからだ。さらに、同じ価値観の者同士が集まり、価値観の違うものを排除するなど負のロックインがかかってしまったことも大きい。それに比べ、さまざまな分野で活躍するメンバーを加えたITクラスターでは寒冷地の住宅産業などをはじめ、大部分において成功を収めた。金井氏は、これらの結果を踏まえると、競争優位性を活かし、いかに市場や企業の結びつきを強固なものにしていくかという点が重要だと強調していた。

東北大学大学院経済学研究科助教授 福嶋 路氏
福嶋氏が2年間客員教授として滞在した、米国テキサス州の州都であるオースティンを例に、ソフトウェア形成の過程を分析しながら、成功の要因を探った。この街をクリエイティブクラスターの集積地へと変貌させたのが、ジョージ・コズメスキー氏だ。彼は1984年に米国初の民間共同研究コンソーシアムを設立、87年には半導体コンソーシアムを官学民一体で創りあげた。その後はインキュベーターを設置して、起業家とベンチャーキャピタルのマッチングやネットワークの整備をはじめ、ソフトウェア業界団体の設立など、次々と仕掛けた。成功の要因としては、支援を無駄にしない支援体制のタイミングと、地域内部だけでなく外部の資源も動員したこと。また、お金をかけずに知識・アイデアで貢献する姿勢や、女性ボランティアを活用などが挙げられる。さらに福嶋氏は、家族同士や子ども、教会のネットワークなど、日本の企業家にはないネットワークの多様性、シリアル・アントレプレナーの存在、そして、クリエイティブクラスを惹きつけたことも特徴だとして、扇町でも多層的なネットワークコミュニケーションの大切さを強調した。

横浜市立大学国際総合科学部準教授 稲垣 京輔氏
稲垣氏はイタリア・ボローニャの包装メーカーから16名の起業家が出た事例を出し、起業支援体制のない同社から従業員が独立できた背景について考察した。社内に技術向上のための自主的な勉強会=「密造された」知識コミュニティが生まれ、そこからカリスマ技術者が独立、このコミュニティは起業家コミュニティに成長する。そのうち、このコミュニティには社外からも参加者が集まるようになっていく。ここで重要になってくるのは、1人の人間が複数のコミュニティに参加し、2つのコミュニティ間を遮断することなく互いの構成メンバーを乗り入れさせることだと稲垣氏は説く。「取引先」や「学生時代の仲間」「職場」といった自分が属する複数のコミュニティを結びつけ、ネットワークを形成することで新たなビジネス、つまり起業活動が起こるのだ。イタリアはコミュニティ間の壁を取り除き、ネットワーク化するのがうまいと言い、日本の課題もここにあるという。

公開座談会では、この街のクリエイター・起業家6名に金井氏と福嶋氏を含めた8名のスピーカーが、コーディネーターの進行に沿ってさまざまな質問に答えながら、クラスター形成の可能性について本音で意見を交換しました。
質問内容と発言内容の一部を抜粋してお届けします。
稲垣 京輔氏
グラフィックをメインに活動していた。ネットのワールドワイドに魅力を感じたのがきっかけ。独立後はIT時代の到来にともない、現状のままではダメだと思った。自分には何ができるのか? グラフィックで培われた能力を最大限に駆使し、IT時代にこそ要求されるWeb制作をコラボさせた事業を思い立った。
家電や住宅設備分野における広告・販促に長年携わってきた経験を活かし、2006年4月に起業。2006年9月には、様々なクリエーターとの交流が活発に行えるメビックに事務所を移転。現在は住宅や住宅設備、健康関連など生活者の視点を生かせる業種を中心に、広告やカタログ、Web等の企画制作を幅広いネットワークを通じて推進している。
デザイン、システム開発、Web制作を中心に活動。まだまだこれらの分野は、大阪では認知度が低いので大阪市場はこれから。それを狙って2004年に独立した。
前職は印刷会社のデザイナー。企業にいたころから、与えられている仕事だけでは満足できなくなった。また、同業種・異業種の人たちと情報交換する中で、自分が思い描く仕事を見つけ、そのためには独立しかなかった。現在はグラフィックデザインをメインに仕事をしている。
音楽と色に特化した事業を展開。YAMAHA音楽教室に通っていたころ、インターネットが急激に普及してきた。そのとき思い立ったのが、インターネットでのピアノレッスン。アナログピアノと、デジタルソフト(音楽ソフト)をうまく活用すれば、いつでも、どこでも、レッスンが可能ではないかと考えて事業化に乗り出し、今に至る。
前職はWebや映像がメインのグラフィックデザイナー。現在はグラフィック、映像、Webを活用した企業ブランディングを行っている。中小企業の二代目(次期経営者)に対デザインをベースにした切り口で、コンサル&アドバイザーとしての仕事もしている。
IT業界の方と言葉の違いを感じる。デザインをわかろうとしてほしい。Webの場合でも、相互に理解しあえないと、コラボのつもりがただの受発注に終わってしまう。
まず、業種によって使われている業界用語がネック。クライアントから、「うちは銀行の仕事をやっているから、デザインのことはわからへん。せやから、ぜんぶ任すわ」と言われて、ただ発注されても絶対にいいモノはできない。異業種だからこそ、業界用語を取っ払い、互いの仕事内容を理解し合うことが大切。そうすることで、おのずとクライアントの意向が見え、相互に満足のいく仕事ができる。要はどれだけコミュニケーションができたかです。それは次への仕事にもつながる。
キャラを前面に出して、ここまでくるのにすごい時間がかかった。障害は幾度とあった。大手企業と組んだこともあったが、ノウハウを覗かれただけの結果となった。それでも、自分の名前を看板に掲げている以上、がんばらねばという気概があったから、専門家に相談したりもした。そこで、これまでの仕事のやり方の、なにが短所で、なにが長所だったかを見つめ直し、今一度、ビジネスプランを練り直したことで、自信をつけることができた。
独立前は所属する企業において比較的安定した得意先との関係の中で仕事をまわしていけていたが、独立後は、良くも悪くもいろいろな出会いがあった。信頼関係を持って長くお付き合いができるお得意先やお取引先との出会いを大切にし、関係を育てていくことの大切さをひしひしと感じている現在だ。
新たな価値と出会う場所としてメビックはおもしろい。たくさんの異業種の方と交流できるし、また、いろんな情報を得ることができて勉強になる。そこでヒントとなったのが、あえて、自社でプランニングしたものを、今までとは違う業種へアプローチすることだ。今は、これまでとは違った新展開をオモシロク感じでいる。とにかく、考えが閉塞すると社内は硬化していく。そんなときにも、人が集う空間は非常に重要だ。
僕は仕事上の相手は、毎回、接するクライアントは同業者ではなく、ケーキ屋や花屋、市場、行政など、異業種の方々ばかり。なので、毎回、まったく知らなかった業界の裏側が見えたり、自分の仕事に取り入れられそうなヒントがあったりと、楽しいことの方が多い。起業家同士の交流でいえば、当然、仕事を度外視してメビックは楽しくてしようがない。
今もなお、メビックに入所している企業(異業者)との交流は多々ある。こちらへ入所が決まり、創業間もないころは不安だらけだった。でも、みなさんも通ってきた道であり、私の不安が共感できるためか、助け合う(仕事を創りだす、リンクしてくれる、コラボを提案してくれるなど)姿勢に感動した。それまでは、隙あらば蹴落としてやるというライバルが多かったが、ステージごとにマインドを共有できて、今では互いに成長したいというベクトルが同じのため、プラス思考のよきライバルに恵まれているし、前向きな気持ちにあふれている。
メビック独立後も彼らとは交流が続いている。独立後に気づいたことは、メビックのような交流の場は少なく、新たなネットワークを広げるためには仕事で出会いを拡大していくか、自ら開拓していくしかないということ。そういう意味で、創業期にメビックへ入所するのは非常によいことだ。そこでもっとも大切なことは、人を見る目を培うこと。プライベートな場合はよくても、いったん、ビジネスへと発展した場合は、つねに金銭が介在してくるので馴れ合いにならないことだ。
杉若さんと同様、メビックの仲間たちとは今でも交流はあるが、やはり、独立後は大きな交流会が少なくなる。だからこそ、メビックにいたころから、自らパーティや交流会を開催するようにしてきた。たとえば、天神祭やバーベキューなどに人を招き、あえて仕事以外のことを聞き出すことで、知らなかった相手の一面を把握し、新たなビジネスへと結びつけている。そのために、事務所も広いスペースを確保した。積極性がいちばん大切だ。もちろん、今もメビックのイベントには積極的に参加している。
今は独立して会社を経営する側になったが、もともと技術者だったので、経営方針に悪戦苦闘してきた。そんなとき、悩みを共有できる、尊敬できる経営者と出会い、人のマネージメントの仕方を教えてもらった。会社間のやり取りだけではなく、別にそういう交流も必要だ。おのずとネットワークも広がる。
やはり、交流会は大切だ。何かきっかけがないと、なかなか同業種・異業種の方々とは出会う機会がない。いろいろなタレントを持ったクリエーターの力を結集して、よい作品ができあがっていくと思うから、出会いは非常に大切だと思う。
私がいたアメリカのオースティンでは、ネットワークビジネスがある。家族とか教会とか、友人とかのネットワークをビジネスの世界にどんどんつなげている。つまり、生活とビジネスを上手くリンクさせているわけだ。でも、日本は逆。日本人は働く世界と生活の場が別になっている。
会社勤めのときはオンとオフがはっきりしていた。今の仕事では、オンとオフが混ざっている状態。仕事と遊びが一緒のつきあいなので、ときに飲みながらの仕事もやっている。人間性で仕事がしたい、クライアントとはつねにノーガードでつきあっていきたいというのが本音。だからこそ、オンとオフを上手く利用しながら、相手の価値観や人間性も探っていく。これはお互様だと思う。また、オンとオフを共存させないと、自分の方向性が見えなくなる。そこから垣間見える本音や情報は、ビジネスにつながるネタの宝庫だ。
では、名刺交換から、どうやって仕事につなげていますか?
交流会などでは、名刺交換だけではなく、スピーカーの人の仕事が紹介されることも多い。仕事のテーマが出てきたときに、その人の作品を思い出し、コンタクトを取ってみるようなこともある。
名刺交換は大切だ。互いを知る第一関門なので。でも、ただそれだけでは意味がない。同業種・異業種にかかわらず、とにかく話をしながら自分との接点を見つけていくこと。内容はビジネスのことでなくてもいい。その接点からビジネスチャンスが生まれることが多々あるから。
近辺に同業社を含め、会社が約3000社もあるということなので、ブレーンやクライアントとの行き来が便利だ。近くて500m、遠くても1kmの範囲だから、バーチャルなチーム感覚がメリット。ベタな人たちが多い分、本音がわかりやすいように思える。逆に、ミナミ(心斎橋や堀江周辺)に事務所を構える人たちっていうのは、一概には言えないが、気取ってるかな?
広告制作に関連する会社が集まっているから、地理的に近いとコミュニケーションがしやすい。すぐに往き来ができるのは魅力的だ。
密度が高い場合、若い会社があるとお互いに助けあうメリットがある。逆に偉そうにしているイヤな人は、困っても相手にされないデメリットがある。アメリカで企業や事務所が集積している場合、事務所の経営が苦しくなったとき、互いの人員を放り込む。それが集積しているメリットだ。つねにオンとオフがリンクしているから、どの企業がどうしたいかを把握している場合が多い。でも、天満界隈に企業が点在している割には、そのメリットが活かされていないという気がするが。今はいいけども、メビックを出たあとにも、交流の場として別の仕組みが必要かもしれない。この密度の高さをみなさんは生かしているのだろうか?
今は独立し、メビックから300m離れた場所に事務所を構えている。近い分、メビックの交流会に参加しやすいメリットがある。また、社員もこの近辺だから環境は変えたくない。ただ、近くだから仕事が来るとは思えない。最近は、仕事の半分以上が東京のクライアント。だからといって、東京に事務所を構えようとは思わない。ネットがあるし、東京と大阪は仕事のやり方が違うので、バリューチェンジしながら、関西の良さを残しつつ、仕事をしていきたいと思っている。
僕も東京にクライアントは持っている。でも、インフラが整っているし、距離を気にして仕事をしなくてもすむ。必要なのはその他のコミュニケーション。インフラさえあれば、田舎でも仕事はできるはず。夢はスローライフを楽しみながら、最先端の仕事をすること。むしろ、東京からは離れたいと思う。また、ITとWebを同じにしたらダメ。ITはすでに古い言葉で、ITのTは技術だが、ソフトどう伝えるか。つまりITもWebだと思ったほうよい。
この界隈に企業が集積していることを知っているのは、外部にいる方のほうが多いのでは? 意外と、この界隈で仕事をされている方のほうが、その事実をあまり知らないと思う。集積しているからこそ、メビックができたのだろう。
求心力とか、ステージアップ、モチベーションを高めてくれるメリットを示唆してくれないと、集まりにくいものなのかな?
カリスマになればいい。ジャンプするときに、他の人と共有できると大きい。みなさんがそれをやって、メビックがサポートする。誰かが創ってくれるではダメだ。現状だと、心情的なシンパシーで集まっているとしか思えない。
メビックを卒業しても、メビックで培ってきた精神を土台にして外でやろうと僕は思っている。実際にイベントや交流会などをやっている。俺が仕切るからみんな集まってやっという感じで。だって、人が集まらんと仕事が集まらんと思う。
メビックに入所しているみなさんは、業種の違いはあっても、みんな同じ悩みを共有して学び、クリエイトしてきたのだから、卒業後もメビックと同じような交流会やイベントをクリエイトしないと。メビックにいた人はもちろん、それらを知らない個人経営者の方々は、心細いはず。求めているはず、そういう場を。それに、こんな資源があるのになんて贅沢なんだ、非常にもったいなぁと私は思った。私はいま仙台に住んでいるけど、仙台には天満界隈の1/10ぐらいの数100社しか企業や事務所がない。ちょっといいなと思ったのは、メビック界隈の企業マップ。あれは、アメリカのシリコンバレーでもやっていて、マップ上に自社が掲載されると、モチベーションも高まるようだ。自分の会社を知ってもらえるし、その逆もある。それから、新たなリーダーをつくることが重要だと思う。メビックのような2番手をつくるのではなく、新たなメビックをつくり、互いに共存させる。潰し合うのではなく、いいライバルとして共存していくというものをね。
メビックと対抗すればいいんだ。そうすれば、メビックと共闘できる。
日本みたいに食べ物がいっぱいあるのに、餓死するヤツがいる。そこが同じ問題だと思っている。たしかに、恵まれた環境だとは思うが、集積していても、しんどい会社もある。いま美術大学で教えてるんですが、彼らを見ていてもったいないと思ってしまう。だって、みんなスキルはあるのに、お金がないから放課後はバイトをしている子が多い。もしも、バイトする時間をすべてスキルのために費やせたら、彼らのスキルはグングン成長して、日本の未来は明るいはずだ。大学では学生がすごい資産なのに、だから給料をもらえる大学あればいいのにと、常々、思っている。いわば、この界隈に適塾みたいな場をつくったらどうかなと。
最近は、かなり小規模ながらも自分たちでイベントや交流会を主催したり、「このクリ博覧会」のリーダーを務めたりするようになった。意見を言った以上、責任がある。そうすると、どんどん顔が見えてくる。新たなライバルや仲間と出会えて、とてもいい刺激になっている。これが仕事へのモチベーションや原動力になっていると実感している。
刺激はどうやって生まれるのかというと、SE、デザイナーが集まって、たとえ接点がなくても、好きな音楽が一緒だとか、異業種でも、スポーツや趣味など、ビジネスを越えたコミュニケーションの中から共通点を探り出し、仕事もできるんじゃないかなぁと思う。
人間を知ることによって相手を理解する。人間がわかったら、作品を見なくても仕事ができる。たとえばね、僕はデザイナーなので、SEのことはわからない。でも、人間的に相手に惚れ込むと、彼のことだけでなく、彼の仕事であるSEという仕事も知りたくなってくるのが人情だ。人間を知ることで相手を知る=彼と仕事がしたくなるという図式が成り立つ。また、この街にもすごい人がいるんじゃないか思っても、ただみんながみんな、積極的ではないし、意外とアピール下手な関西人は多い。だからこそ、まず実際に会うこと。そして知り合うことだ。メールや電話などのバーチャルじゃダメ。伝わりらない。たとえ、いいモノを持っていても、絶対に伝わらない。とにかく、接触しなくては始まらない。
私はメビックを出る決心をして、メビックのメリットをたくさん使わせていただいたことを実感している。じゃあ、これからはと思うと、不安でもあるけど、それ以上に楽しみというか、ワクワクしている。
とにかく、目標をつねに決めて動かないとダメ。僕は2004年に前職から独立して、メビックに入所したが、2年後には自社の力をつけてメビックを出るという目標があった。そして、1年半で出ることができた。また、独立後は3年で2億円稼ぐという目標があったが、すでに実現している。ただ、目的といっても……、みんなで募金でもできたらええかなと(笑)
扇町界隈をWebで発信していけたら。そういう協力をしていく。
人と人の出会いや交流によって、ビジネスは生まれてゆくというのが実感だ。だからその中で、いかによいクライアントや信頼できるパートナーと出会え、関係を築けるかにかかっていると思う。そういう意味でも、交流会はひとつのきっかけになり得る。
扇町にはこういう怖い先輩がたくさんいるので心強い。最近、仕事でも、プライベートでも、ヤル気のある人間が増えてきたように思う。クラスターの集積とかが、ちょっとずつわかってきた。どこまでそこに身を投じてやれるか未知数だけど、僕はやる。
そうなんだ。キミたちがリーダーとなり、メビックのよきライバルとなるイベントや交流会の場をつくっていくべきだ。それが、おもしろい仕事へとつながっていくわけで、この街をより活性化させる起爆剤にもなるんだ。
スピーカーたちの熱い意見が飛び交った公開座談会では、「この街」と向き合い、「この街」に根を張って生きるクリエイター・起業家たちのエネルギッシュな姿勢が、強く印象に残りました。これこそが、クリエイティブクラスターの形成にもっとも重要な要素だと、メビック扇町は考えています。
公開:2007年04月17日
取材:プレス・サリサリコーポレーション