現在の登録数:546社
クリエイティブクラスターイベントレポート

大阪の各地で活動するクリエイター同士が知り合い、情報やノウハウを交換することを目的として開催されている「クリエイティブ・クラスター・ミーティング」。現在は「この街のクリエイター博覧会4」が開催中ということもあり、各クリエイターの事務所をお借りして毎週座談会を行っています。制作やディレクション、プロデュースにまつわる現場での悩みや思いを本音で語り合い、お互いのスキルアップに繋げていただきたいと考えます。
今回、ミーティングの会場となったのは、グラフィックデザインから舞台美術まで、幅広い分野のアートワークを手がける「sandscape」さん。スタッフ総勢で手作りしたという事務所には、オリジナルオブジェや地球儀が飾られていて、まるで秘密基地のような雰囲気です。スピーカー9名に学生スピーカー1名を加え、まったりムードで始まったミーティング。今回は、どんな本音が飛び出すのでしょうか。
2009年11月5日(水)18:30〜21:00

「安藤忠雄建築研究所」に12年間勤務の後、長澤浩二氏とともに「AN Architects 一級建築事務所」を開設。国産ワインを揃えるワインバー「Michel Vin Japonais」や、瀬戸内の離島に佇む宿泊施設「ヴィラ風の音」など、国内の建造物のデザイン及び建築・改築を手がけるほか、イラク・クルド自治区に建設中の「ハラブジャ母子病院」といった海外のプロジェクトにも携わっている。

創造社デザイン専門学校イラストレーション科卒業。広告制作会社でデザイン・制作のノウハウを身に付け、'01年に「CUB GRAPHIC DESIGN」を立ち上げる。ウェブデザインやDTP、CI設計、装丁などを中心に手がける傍ら、’08年には事務所を兼ねたブックストア「beyer」を開店。海外にも足を運び、多彩な書籍を収集・販売している。

大阪デザイナー専門学校を卒業し、デザイン会社に就職。その後、フリーランスとしての活動を経て、’03年にみやあき氏とデザイン事務所「cursor」を設立。雑誌、冊子、フライヤーのデザインはもちろん、広告物の企画やキャラクター制作など幅広いグラフィックアートを手がけている。

大阪出身のフォトグラファー。写真スタジオで20年以上実績を積み、’08年、イラストレーターである妻・慶子さんと「スタジオチーズ」を立ち上げる。写真撮影だけにとどまらず、デジタルフォトレタッチや3-DCG、さらにはペーパークラフトやクレイアートまで、やれることは何でもやるのがモットー。趣味は釣り。休日のたびに海へ出かけ、ジギングという過酷なフィッシングに勤しんでいる。

グラフィックデザイナー・造形作家。雑誌・単行本のアートディレクション、ロゴタイプ、演劇のフライヤー等のグラフィックワークを手がける傍ら、オブジェやインスタレーション等の作品も発表。演劇との接点も多く、'04〜07年『維新派』の舞台美術を担当した。オブジェ作品集に『ON THE PAPER』、『不純物100%』がある。

鳥取環境大学 環境情報学部 環境デザイン学科に在籍する現役大学生。来春から荒木氏&長澤氏が率いる「AN Architects 一級建築士事務所」で働くことが決まっている。

短大卒業後、アルバイトをしながら創造社デザイン専門学校にてグラフィックを学び、父親の経営する印刷会社「有限会社山添」に就職。版下作業から製版、印版、制作、営業まで様々な部門の仕事を経験し、’00年に代表取締役に就任した。現代では少なくなった活版印刷の受注も積極的に行っている。

'94年にブラジルへ留学するも、2年後に路上生活を送り、さらに2年後にはアフガンへ。そして翌々年に帰国して東京で生活するなど、持ち前のフットワークの軽さで様々な世界と環境を体験してきた。'05年に帰阪し、父親が経営する印刷会社「松本工房」の経営再建に従事。'07年より代表取締役として幅広い任務を担っている。

大学在学中にデザインアシスタントを経験したことにより、エディトリアルデザインの魅力を知る。'96年から4年間「sandscape」に在籍した後、岡田氏と共にデザイン事務所「cursor」を設立。パンフレットや書籍などのデザインワークを中心に活動している。

宝塚造形芸術大学卒業後に「株式会社カリモク家具」に入社し、商品開発に携わる。退社後は専門校にて家具製作技術を修得し、アシスタントを経験。'99年に、家具や雑貨の制作・販売をおこなう「うたたね」を立ち上げる。自社販売だけでなく、インテリアショップなどへの企画・デザイン提案や商品提供、コレクションへの出展も精力的に行っている。
堂野 智史「メビック扇町」所長
最初のトークテーマは、会場を提供してくださった「sandscape」の黒田さんが、ぜひ聞いてみたいと提案された質問です。

聞きたい。身近に亡くなった方がおらず、“死”を身近に感じたことがないんです。でも、寿命を聞いておけば色々と準備ができるから。
確かに、寿命を知れば準備ができるかもしれないけど、知ったからといって残された人生をまっとうできるかどうかはわからない。それなら、いっそ知らない方がいいですね。
僕は自分の死に方を決めているので、寿命は知りたくありません。ジギング(過酷なフィッシング)ででっかい魚を釣り上げ、びっくりして死にたいんです(笑)。
私は知りたいです。周りの人やお世話になった人に想いを伝えたい。それに、「死ぬ気になればなんでもできる」と言いますが、寿命を聞けば“死ぬかもしれないこと”にだって挑戦できるじゃないですか。寿命までは絶対に死なないんですから。
僕も知りたいですね。僕の中に“残したい願望”が強くあって、明日死ぬとしたら反則技をしてでも何かを残したいと常に考えているんです。寿命がわかったら、少し手間を省いて近道してでも自分が生きた証を残すと思います。
私は知りたくありません。普通に生活して突然死にたい。寿命を知ると、それまでに色んなことをしなければ、と思うのが嫌なので。
こんな質問をした神様に怒りを覚えますね(笑)。自分の人生なのに、誰かに人生を左右されたくない。例え相手が医者であっても聞きません。寿命を聞くと、それまであがき続けなくてはいけないし。
う〜ん。条件付きですが、寿命が50歳より短ければ言ってほしくない。50歳を越える場合は言ってほしいです。その条件が受け入れられない限りは、聞きません。若いときは死にたいと思うこともあったので、同じ質問をされると答えは正反対だったと思います。でも、30代になった今、生が充実しているので、死を考える余裕がありません。まだまだ生だけを意識して生きていたい。50歳と指定したのは特に意味はありませんが、歳をとると死を意識して生きるんだろうなと。屁理屈臭いですかね(笑)。
聞きません。私はアドリブが苦手なタイプで、締め切りから逆算してきっちり計画を立てないとうまく生きられない人間なんです。だからこそ、寿命を聞いてしまうとゴールを意識して生きなければいけない。それよりも今この瞬間を大切にしたいから、寿命は聞かずにいたいと思います。
僕は、絶対に知りたい派です。死ぬまでにしたいことがいっぱいあるから、決められた期間のなかできちんと整理してやり遂げたい。遺品や財産はどうするかも、きっちり振り分けておきたいですね。僕もアドリブが苦手で、計画を立てないとダメなタイプなんです。
う〜ん。皆さんの意見を聞いて変わるかもしれないですが(笑)、一人でも残りたいです。僕が何かを作って、後世に残したい。
一人で残るのは寂しいので、残りたくないですね〜。
最後の一人になりたいです。釣りは魚さえいればできるから、延々と釣りをして生きます。
死に方によりますね……。苦しんで死ぬくらいなら生き残ります。痛みもなく急に死ねるなら、みんなと一緒に死にたいかな。
僕は、残りたいなぁと思います。映画の影響で、地球が滅びても自分で何かを生み出して生きていけるかも、と考えているので。ただ、極度の寂しがり屋なので、最初に話し相手のロボットを作ると思います(笑)。
私が最後の一人であるべきではないと思うし、残りたくないので残りません。
周りのみんながいなくなるのは寂しいので、一人で残りたくないですね。
一人でも残りたいです。人間以外の動物・植物とうまく関係性が築けるのであれば、生きていけます。
私は一人で残ります。すごく寂しがり屋で誰かと喋っていないと落ち着かないタイプですが、周りに人間がいなくなったら、もしかすると動物と話せるようになるかもしれないから。感情やストレスに関しては人間から影響を受けることがほとんどなので、自分以外に人間がいなくなると何を感じるんだろう、っていうのを知ってみたいですね。
僕は、絶対に残りたい。滅亡する瞬間や滅亡した後など、誰も見たことのない世界を見たいから。動物や植物がいなくても、例え周りが砂漠だけになっても、僕は「いや、どこかに誰かがいるかも」と希望を持って冒険に出ると思うんですよね。
予想もしなかった質問が飛び出し、インスピレーションで答えた人、腕を組んでじっと考えている人、人の意見を聞いて考えが変わった人……。YESかNOかの両極端な答えの中で、いろんな人間性を垣間見ることができました。緊張気味だった皆さんの肩がほぐれたところで、次の議題へ進みます。
幼い頃に家にあったモノや出来事、出会った人のなかで、クリエイターとしての自分を形成したものはありましたか?

カメラマンの海一さんは、やはり小さな頃からカメラを触っていたんですか?
まさか自分がカメラマンになるとは思っていなかったので、まったく触ったことがありませんでした。塾の講師をやっていて、転職を考えている際に広告の仕事をしている仲間に勧められ、写真センターの門を叩いたのが第一歩。カメラの経験は一切なくて、写真というものをまったく知らない状態でした。当時、約30人の同期がいましたが、今も残ってがんばっているのは探偵やエレベーターの技術師など、異業種から転職した人ばかり。昔から写真の仕事を目指していた人たちは、みんな辞めちゃいました……。
うちの親は不動産の仕事をしていたので、経済状況の浮き沈みが激しく、食事がツナ缶一つの日もあればすき焼きの日もあって、幼いながらにこんなバラつきのある生活は嫌だと感じていました。だから、カメラマンを志した当初は、フリーにならずにどこかに勤めて安定した生活を送ろうと思ってたのに……(笑)。
フリーになってしまったと(笑)。では、クリエイティブな環境で育ったスピーカーの方たちには、どんな思い出があるのでしょうか。
うちは自宅兼印刷工場だったので、小さい頃からカッターナイフやサシなどを引っ張り出して遊んでいました。ただ、印刷に対しては“汚い”、“古い”というイメージを持っていて、人に言うのが恥ずかしかったんです。でも大学でグラフィックデザインを学んでみると、グラフィックデザインって印刷と密に繋がっているなと気づいて、工場を継ぐことを決意しました。「カエルの子はカエル」と言われて育ったので、それは逃れられない運命だったのかもしれません(笑)。
うちも父が写植屋で自宅が工場でした。写植機が動く時の「シャー、シャー」という音が心地よくて、今も耳に残っていますね。あの音を聞くと安心するんです。最近は写植機を使わなくなったので、失われた音となっちゃいましたね。
僕の父は建材屋だったので、小さな頃から砂山やブロックで遊んだり、ユンボに乗せてもらったりしていました。建材の配達先で、父がお客さんとコミュニケーションをとる姿を目にするうちに、「人と人とが繋がるモノ作りの仕事っていいな」と感じるようになったと記憶しています。
他の方はどうですか?
小学校の友だちに少年ジャンプを読ませてもらったのがきっかけで、絵を描くようになりました。その頃、クラスで模写が流行っていたので、僕もジャンプのマンガをよく模写したものです。そこから、イラストを描きたいという夢が生まれました。
僕は昔からもらったモノを捨てられない性格で、例えば商品の包装紙も捨てられなくて全部残していたんです。コレクションとまではいかないですけど。たまにそのモノを見返すこともあり、無意識のうちにそこからデザインの感覚を養っていたのかもしれません。
うちの親父は普通のサラリーマンでしたが、家にはたくさんの工具があったんです。というのも、親父の趣味は掃除なんです。それも普通の掃除ではなくて、TVを分解してブラウン管まで掃除しないと気が済まない完璧主義の掃除。部品をバラバラにして、掃除し終わったら組み立てて元通りにする一連の流れを見ているうちに、僕も影響を受けて自分のおもちゃをバラすようになりました。
雑誌が好きで、雑誌の制作に関わりたいと思っていたんです。学生時代に文章を書かせてもらえるという某紙のアルバイトを紹介してもらってお世話になっている時に、アートディレクターの方からアシスタントのお誘いを受けたんです。「デザイナーは雑誌制作の最初から最後まで関わるから、経験してて損はないよ」と言われてやってみることにしました。すべてが楽しく新鮮でした。その当時のデザイナーさんは手作業が中心で、緻密で職人さんの様だったんです。その姿に憧れてデザイナーという職種に興味を持ちました。
職人さんって、なんであんなにカッコいいんですかね〜。今は、写真はデータで扱うのが主ですが、昔はフィルムで印刷するのが当たり前で、フィルムについたゴミをとる“スポッティング”と呼ばれる職人がいたんです。タバコをふかしながら、延々とその作業をしている背中が、めちゃくちゃカッコよく見えたのを覚えてますね。ちょっと変わった性格の人が多かったんですけど(笑)、話すとすごくいいおじさんばかりでしたね。
僕は、親戚のおじいさんが大工だったので、その人が離れを建てるのを眺めつつ、自分で釘入れの箱を造ったりしていました。実家が兼業農家なので、家族で農機具小屋を造ったこともありました。壁を造るために山から採ってきた竹を組み、米を栽培して出た藁を編んで、さらにその藁を混ぜ込んだ土を塗って、というふうに。そういった経験がモノ作りを好きになったきっかけだと思います。小学生の頃は、学校の上履きの後ろに名前を描くのが嫌で、側面にローマ字でロゴっぽく名前を描いていました。すると、クラスメイトから次々に「僕も描いて」と頼まれるようになったんです。今から考えると、それがデザインの仕事のスタートだったのかもしれません。もちろん、お金はいただいていませんが(笑)。
専門学校で出会ったイラストの先生からも、大きく影響を受けました。先生は演劇のチラシのイラストや舞台美術の書き割りを手がけていたのですが、その手伝いに行ったことが演劇関係の仕事に携わるきっかけになったんです。
僕は、人よりモノに影響されたかもしれません。小学生の頃は第一次ガンダムブームで、プラモデルを作るのが流行っていました。僕は既製品では飽き足りず、足をとって馬に乗せるなど、オリジナルのカスタマイズをして楽しんでいたんです。それがクラスメイトにウケたんで、改造したものを売って少しオイシイ思いをしてました(笑)。成績も、美術だけはよかったんです。ただ、中学校の進路相談で「芸術系の学校に行きたい」と先生に打ち明けると反対され、普通科の学校に進学することに。高校から大学へ進む際にも、芸大を10校受けましたがすべて落ちて、浪人して自動車やバイクのデザインが学べる大学へ行きました。その授業でイスを作る課題があって、材木をお湯につけて曲げたりしながら作り上げたイスが高評価で、賞までもらったんです。それで初めて、家具作りっておもしろいなと感じ、家具メーカーへの就職を決めました。
僕は、師匠である安藤忠雄さんとの出会いですね。中学生くらいの時に安藤先生のドキュメンタリー(TV)を見て、若いスタッフの作った模型を一瞥してつぶしているのを見て衝撃を受けました。それと同時に、おもしろい世界だなと興味を持ったんです。
懐かしそうに頬を緩めながら、昔の情景に想いを馳せていた皆さん。自分の原点や目標を振り返る、いいきっかけになったのではないでしょうか。過去の話の後は、現在の皆さんに関わるテーマが続きます。
皆さんは、どのような方法で自分の価値を高めていますか?
僕は、今やっている仕事と自分がやりたいこととは別なんです。仕事はグラフィックデザインが中心だけど、得意なのはイラストレーション。お金を儲けるために仕事だけに走ってしまっては、やりたいことを見失って自分の価値を下げてしまう気がします。でもやりたいことだけでは生活できない。両方のバランスを保っていれば、自分の価値も自然と高まっていくと思いますね。
僕がブックカフェを作ったのは、誤解を恐れずに言えば、自分の価値を高めるためでもあります。というのも、僕らの世代はパソコン上でのデザインが主なので、松本さんがおっしゃっていた写植機やアナログな作業から生まれるデザインに関してはまだまだ勉強が足りない。そこをどう補うかと考えると、環境を造ることが第一だと思ったんです。
場所や環境を造るって、すごく重要なことですよね。この事務所は手作りなので、仕事の依頼や打ち合わせに来られた時に、僕のデザインのテイストや感覚を理解してもらいやすいんです。黙っていても、この事務所が説明してくれる。東京の出版社の方などは「この空間には、なにか特別な磁場がある」とか言って、わざわざ打ち合わせに来てくださったりもします。
私は、仕事の相手と会う時は身なりに気をつけています。カバンや衣服など、持ち物でその人の仕事がわかると思うので、「こういう方ならお願いできる」と信頼していただけるよう、こだわって選ぶようにしています。年齢を重ねることで選ぶモノの質が上がり、仕事の質もグンと上がりました。
自分のやりたいことができて人目に触れると、その系統の仕事が徐々に舞い込んで来るようになったりしませんか? 日頃からどんな仕事がしたいかをアピールし続ければ、自分のやりたい方向にベクトルが向いて行くはずなんですよね。
僕は、自分で何かを生み出すより、みんなの道具箱でありたいと思っています。メインよりスーパーサブの立場がいい。自分の身近に天才がいたら、その人の後押しに尽力したいです。でも、基本的には欲張りなので「できますか?」と言われると誰かに渡したくなくて二つ返事で受けてしまいます。自分の手を離れると、特に気にかけることはありませんが。
あぁ、僕は気にしぃなので逆ですね。仕事には納期とコストがあるので、自分で100%納得できていなくても出さざるをえない場合もあります、でも完全に納得できていなければ、自分の手を離れた後もずっと気にかけてしまうんです。
住宅はお客さんのお金を使って造るものなので、デリケートなんです。基本的にお客さんは表立ったデザインや雰囲気を重視して要望を言ってくるけど、僕らは住み心地の良さまで考えて設計しなければいけません。ただ、実際に生活を始めると「ちょっと違うかな」と思う部分が出てくることもありますから、クライアントから電話があるとビクッとします。建ててから治すわけにはいかないので、設計の段階からすごく考えるようにしています。
人と違うことをしたり、人と違うものを選んだりするだけでも、価値が高まることってありますよね。自分が良いと感じたものを信じて突き詰めることが、自分の価値を高める一番の方法なのかなぁと思います。
「価値を高める」ことは、すなわち日々の努力を怠らないということ。志、服装、自己アピールなど、形は違えども、自分の信じたことを諦めずに続けている皆さんの姿勢に、はっとさせられました。現在の次は、未来のお話です。
10年後、20年後、その先——。スピーカーの皆さんは、どんな将来を思い描いているのでしょうか。

将来のことはあまり考えたことがないですね。仕事としてのデザインと、自分の作りたいものとのバランスを保ちつつ、この仕事を続けていきたい。
受注側として受け身でいるだけではなく、自分から発信して、一緒に仕事したいと思う人たちとたくさん関っていきたいですね。
私も同じかな。印刷会社っていつも仕事を受注する側で、お客さんと直接顔を合わせて仕事をすることがないんです。将来的には発信する側になり、お客さんに商品を提案できるくらいになりたいです。
情報を発信する手段として、出版物ってすごく影響力が大きいと思うんです。うちで出版した書籍が全国に流通して、たくさんの人の手元に渡ることを考えると、この仕事に強い誇りを感じますね。お金にならなくても続けたい。皆さんも、どんどん出版物を活用してください!

過去、現在から未来へ。時折悩みながらも、真っ直ぐな眼差しで言葉を紡ぐスピーカーの皆さんから、仕事への誇りがしっかりと感じ取れました。ここで、スピーカーの梅田さんからトークテーマの提案がありました。
海外では街中にギャラリーが点在していて、ママチャリに乗ったおばさんや仕事帰りのおじさんまでもが立ち寄って作品を眺めています。生活の中にアートやデザインが当たり前のように存在していて、文化度が高いんですよね。日本は、あまりに情報がメディアに占領されすぎていて、自分が本当に好きなものがわからなくなっているんじゃないか、と思うんです。大阪でも、一般の人が様々な作品に触れられる機会や場所を増やしていくべき。このほかに、街の文化度を上げるための方法があれば、意見を聞きたいです。
場所だけでなく、色んな人がいないとダメだと思います。人種、性格、職種……。異なるものを受け入れたり反発したりする中で、文化は生まれていくものだから。
うーん。いかに、この商品にお金を使いたい、この作品を見るために時間を作りたい、と思わせられるかですね。例えば、町に100円均一の店ができると、どんな質であれ100円だしいいと満足してしまいがち。「少し高いけど、イイものを買おう」と思わせるものを作ることと、ギャラリーでゆっくりできる時間を作ること。この2つができれば、文化度は上がると思います。
先日、東京で開催されている「東京デザイナーズウィーク」に行ってきたんですが、関西との文化度の違いを感じました。洗練されたジャパニーズブランドの作品をこの目で見て、手で触って重みを感じると、頑張ってお金を貯めて買おうかな、という気持ちになったんです。やっぱり、作品に触れる機会を作ることが一番大事なんだと思います。クリエイティブなものを見たり触ったりすると、イイものを選ぶ感覚が自然と養われるはずなので。
僕もそのイベントに行きましたが、会場だけじゃなく、会場と同じビルに入っている書店や文房具店までもが一緒になって、デザインのイベントを盛り上げている印象を受けました。そうすると、デザインに興味がない人でも日常的に良いデザインを見極めることができるようになると思うんです。
東京って、色んな場所から色んな人が集まって来ていて場の繋がりがないので、「私はあれが好き」と、自分の意見を言いやすい環境なのではないでしょうか。だから、面白いモノはみんなで盛り上げようとする。一方、大阪は地元のしがらみも多く、はっきりと意見が言いにくい。良いモノなのに関西発信というだけで斜に構えた意見や感想が多いような気がします。周りの意見を気にせず、「良いモノは良い」と言える勇気をみんなが持てるようになれば、自然と環境は変わってくると思うんですけどね。メディアや他人の意見に左右されず、自己主張がしやすい環境を作っていくのも僕らの仕事の一つだと思います。そもそも、そういった環境づくりこそが本来の“デザイン”なのかもしれません。

最後は少し難しいトークテーマではありましたが、スピーカーの皆さんが違う地で見てきたことや感じたことを、飾らずに本音で話していただきました。文化や環境の良し悪しは一概には言えませんが、黒田さんの締めの言葉には、黙って頷くスピーカーの姿が多く見受けられました。
ミーティングの終了と共にビールやオードブルが登場して、そのまま交流会がスタート。リラックスした様子で仕事やプライベートの話に花を咲かせるなかで、野村さんの経営する印刷会社に見学ツアーに行こう、というプランが持ち上がりました。ぜひ、実現していただきたいですね!