変化に対応するために、会社の結束力を強くしていきたい
西原 幸郎氏:(株)テレコープ

「最初は何もない西天満の小さな事務所で1人で仕事を始めたんです。」と語るのは、今や100人以上の社員を抱える株式会社テレコープの社長、西原さん。映像ソフトの企画制作を中心に、現在はイベント、印刷物やノベルティなども手掛ける会社です。そこで、西原社長の原点をお聞きしました。

西原氏

原点は、アルバイトからはじまった。

西原氏
1971年 毎日放送
千里丘放送センター 報道編集室にて

「昭和43年に高校を卒業したんですが、僕は元々新聞記者になりたかったんです。高校の先生には絶対に大学を出ないと無理と言われました。しかし、残念ながら大学進学は諦めざるを得なかった。それで知人からの紹介で、毎日放送の仕事をしているプロダクションにアルバイトとして入社し、そこで映像の仕事をしたらどうやと言われたんです。毎日放送は当時、千里丘の山の上にありました。まだ白黒のフィルムネガの時代です。裏山にキジが飛んでいましたよ(笑)」

1970年万国博覧会。それをきっかけに、編集マン、カメラマン、ディレクターも、すべてが助手から一人前にならざるを得ないほど忙しかった。「フィルムの編集助手からスタートしました。その後編集マンとしてニュース、スポーツ、ドキュメンタリーとたくさんの仕事をやらせていただきましたよ。でも当時は労働組合問題がものすごく激しかった。仕事していてもピーと笛を吹かれて業務がストップするんですよ。ストライキですわ。もうこんなことやってられへんわ、と思って辞めたんです。仕事がしたくて入ったのに、なんでこんなことをしてるんですか、って先輩に生意気なことを言うてましたね。それからかなり苦労しました」

うどんそば屋の出前持ちをしていたこともあった。

当時フリーで働くことは、なかなか認めてもらえない時代。しばらく映像の仕事では食べることができなかった。
「うどんそば屋の出前持ちもしましたし、大手電機工場でアルバイトもしました。そうこうしながら、いろいろなテレビ局を回っているうちに、少しずつ声がかかるようになりました。昭和52年に佐々木信也さんが司会のプロ野球ニュースが始まったんです。スポーツを専門で編集する人間が足りなかったので声をかけてもらったんです」。そして、プロダクションを通じて個人契約で仕事した西原さん。徹夜して何日も家に帰れなかったことがたくさんあった。

「仕事はやりがいがあり面白かったです。それから時代が進み、各テレビ局が個人契約は認められないと言い出したんです。それで昭和55年に会社をつくりました」。資本金50万円。銀行からなんとか資金を調達し株式会社テレコープを設立しました。「編集マンを少しずつ増やして、数多くの作品を手がけ少しずつ会社は大きくなりました。一方では11PMの海外取材のディレクターやらせてもらったりして制作活動の足がかりも出来ていきました。一方でフィルムからビデオに進化して機材がどんどん新しくなり投資するのが大変でした」。


リニアオンライン編集室(左)と、これからの完全デジタル化を踏まえたHD対応新リニア編集スタジオ(右)

いきなり法人の社長になるのは、足元が弱いと思う。

「今の若い人に言いたいのは、独立したらいきなり法人の社長としてやるのは、非常に足元が弱いと思うんです。特にテレビの仕事は、一緒に仕事してきた仲間の応援や協力してもらえる人々が、どれだけたくさんいるのかが重要だと思います。関西全域のテレビ局に仕事で行きましたからね。少しずつ顔のつながりが広がり、仕事で呼んでいただけるから非常に絆が強いわけです。今、もし相談があれば最初は絶対個人として始めたほうがいいと思う。自ら苦労して自分を磨く事です。3年ぐらいやってから、よっこらしょと法人として始めてもぜんぜん遅くないと思いますよ」

困難やしんどいことにトライするのはものすごくいいと思う。

「当社はテレビ番組や映像制作を核として、現在はポスターなどの印刷物、ノベルティや媒体の扱い、セールスプロモーションも手掛けていますし、東京ではイベントも企画運営しています。東京に進出して、はじめの2、3年は何にも反応がなかったのですがその後少しずつ芽が出てきて、ようやく上向いてきました。

何事もトライするのは、ものすごくいいと思いますね。なかには、後ろ向きな考え方をする人もいますが、企業は前向きに、例え逆風であっても未来指向で進んでいくんです。

なぜか今の若い人は新しいことに面白がるとか、感動するってことが少ないんですよ。既存のレールひいている所に行きたがる。それは業務をこなしているだけであって、そんなことに頼っていたら会社は低迷していきます。今後はチャンスがあれば新しいことにどんどんトライして、お客さんを増やす努力をすることしていかないと生き残れません」

技能よりも、思想。

「下世話ですけど、こんな時代やからこそ確実に生き残りたいんです。企業は生き残ってこそ値打ちがあると思います。人のマネジメントが企業において大変重要で、「集団をまとめること」「変化に対応すること」に力点を置く。技能より思想だと思う。これは、中国の孫子が3000年前から言ってます。

テレビ業界は今や従来にない大きな節目で、今後大きな変化が生じることが予想されます。その時、我々制作会社は、これにどう対応していくかが問われると思います。当社はビジュアルメディアとして様々なビジュアルに関する業務を推進する多柱経営を強く実行し、生き残りをかけて制販一体となり前進していきたいと思います。


国道1号線沿いの本社に設置された大型ビジョン「テレコープ ビジョン」。4×2.3メートルの大画面で情報を伝えます。

公開日:2008年11月21日(金)
取材・文:狩野哲也事務所 狩野 哲也氏
取材班:株式会社ファイコム  浅野 由裕氏