普通のつくり方とは違うつくり方で勝負したい
塩見 晃生氏:帝国クリエイティブ

事務所入り口

中津駅から数分の場所にあるオフィスビル。エレベーターの扉が開くと、既存の白い扉の企業が続く中、一室だけ木製のどっしりとした扉がありました。中津駅から数分の場所にあるオフィスビル。ESORAは画空スタジオを意味し、映像制作会社の「帝国クリエイティブ」とグラフィック制作の「鮮デザイン」とともにシェアしているスペースの名称です。今回は帝国クリエイティブ代表の塩見晃生さんにお話をお伺いしました。

社内とぶつかりながらネットワークを広げていった

塩見氏

「京都のケーブルテレビで働いていたんですよ。当時は子どもの運動会の撮影なんかに行っていました」と話す塩見さん。その後、大阪に出て広告代理店に転職した。

「映像制作の募集で入ったんですが、行ってみるとまだまだ事業が立ち上がったばかりで、広告全般はわかるけど映像はさっぱりわからないという雰囲気でした。じゃあ営業もやってみようと思って」。

自分で営業に行って、自分で制作もしていたそう。下っ端ながら意見を言い、時には社内の人間とぶつかっていた。
「恐いもの知らずだったので、飛び込みで勝手に行くわけです。とりあえず話を聞いてくださいと言って(笑)。社内の営業の人間は映像制作の流れを知らない人が多かったので、話が成立しそうになったらついてきてくださいとは言っていました。うまくいかず怒られたりしていましたが、仕事とってきても怒られたり。よくわからないことが多かったですね。今考えると、その仕事がどれだけの利益をあげられるのかわからないからだと思います。まあ馴染んでいなかったですね」

普通とは全然違うつくり方で、競い合いたい、勝負したい。

「それからだんだんと僕の臨んでいる仕事じゃないものがいっぱい入ってきたんです。上の部署の方がどんどん辞めていったので、僕が一番プロデューサーをやっていたんです。まだ26歳なのに、『今日撮影に行った?』というふうな管理職になってきたんですね。どんだけ偉いねん! これはいかんな、と思って辞めたんです」

独立した塩見さんは、フリーランスで民放やスカパーなどの、さまざまな番組を手がけていく。気絶しそうに忙しい毎日の中、テレビ以外にもエロポップナイトというイベントを企画した。「楽しかったですね。SMの人やドラッグクィーンの人を呼んだりして。タトゥーのファッションショーをしたり」。サラリーマンやOLなど普通の人を呼ぶように心がけ、大きな反響を得ることができた。「当時はオールナイトイベントを5時までやって、朝の6時からロケに行ってましたね」

オフィスをシェアしている鮮デザインの木村さんはそれを客のひとりとして楽しんだ。「OLの女の子が見てもすごくかっこいいイベントだったんです。普段スポットのあたっていない人たちに焦点をあてて、その視点を『かっこいい』に変えてしまった。面白いことをする人がいるな、と思って、それをやりたかったんやねって塩見に確認しました」。

取材風景

そんな面白いイベントを企画する一方で、情報バラエティを制作する日々。面白いことを提供するには何でもやる性質があり、塩見さんにはそれが馴染まなかった。「請負でやるからには、オモロなくても面白いように勝手に変えて放送しなければいけない風潮でした。自分で考えないと永遠にこの負のスパイラルから抜けられない。生き残る方法はないかなと思って。それは今でも変わらないですね」

塩見さんの名刺の肩書きは空想統括。「映像の世界では効率がいいからディレクターはディレクターという感じで分業で動くんですけど、そこにも僕はそうじゃないといかんのかなあ、と思います。ケーブルテレビをやっていた時代は音響も全部自分でやっていたんで、テレビなどのそういうスタイルじゃないスタイルで、彼らと勝負できひんのかな、とずっと思っていたんです。出る杭は打たれてみんな同じようなものを制作するようなことはやりたいわけではないので、じゃあ全然つくり方も違うつくり方で競い合うようにしていきたいんですね」。

自分がリアルに思うことを映像にしていきたい。

塩見氏

「最初は何人かチームを組んでやっていたんです。めっちゃ狭いところで男ばっかりで、酸い?クラブボックス。パンツ一丁の人もいるし(笑)。この状況は打破しないといけない。木村もちょうど事務所を大きくしようとしている。じゃあ電気代もいっしょやし一個で済むもんいっぱいあるやん、ということでいっしょにはじめました。木村とはクライアントを紹介しあっていますね。映像のプロダクションと差別化していくのは、グラフィックを味方にしていきたかったんです。そういう意味では僕らの理想としている流れに近づいているかなと思いました」

2006年の春ごろ南船場でスタート。しかしテレビ局の編集室を行ったりきたりする塩見さんは、月に2、3回事務所に顔を出せるか出せないかというほど忙しく動き回っていた。テレビ関係の仕事はキタに集中しているため、動きやすい中津に移転。「確実に音響スタジオとかクライアントさんも代理店さんもキタに集中していますから、帰りにあそこに寄っていこうとかできますね」

自分がリアルに思うことを映像にしていきたい。デザインにお金をかけたいと考える。
「デザインにお金がかけられる状態のもの。本当はそこに力を入れたい。ここに預けるとあがりがちゃうな、と思われたい。そういう働き方を望んでいることは、クライアントにはじわーっとですが浸透しつつあると思うんです。最近でも、先方側からグラフィックを動かしたいというときに、ちゃんと先方側から電話してきてくれたりしました。嗚呼、わかってくれていると思います。あらゆることを違うやり方でやっていきたい。それが成立したときがなんか面白いなと思うんですね。これが僕の喜びちゃうかな」

公開日:2008年11月12日(水)
取材・文:狩野哲也事務所 狩野 哲也氏
取材班:株式会社ランデザイン  浪本 浩一氏