アーティストをサポートする楽しさの延長がiTohenだった
鯵坂 兼充氏:(有)スカイ

谷町線中崎町駅を降りて、北上すると、本庄と呼ばれる古い町工場が並ぶエリアがある。カフェ&ギャラリーiTohenは、そんなロケーションの中に存在するお店だ。店内に入るとカフェスペース、そしてその奥にはギャラリー、そしてさらに奥にあるのがデザイン事務所SKKYだ。代表の鯵坂さんにお話を聞いてみた。

鰺坂さん
代表の鰺坂さん
iTohenはゆっくりと時間が流れるカフェギャラリー

1971年、鹿児島生まれの鯵坂さん。「学生の頃、一番身近だった絵がミスタードーナツで見たペーター佐藤さんの絵やったんですよ。こんなに人を喜ばせる仕事ってあるんだと思いましたね」。

壁画や内装の仕事を手伝いながら絵画のスキルを磨いていった

「それで鹿児島を出たわけです。兄貴が大阪で調理師をやっていたのもあって、大阪の専門学校で学費が一番安いところを選んだんですよ」

ちょうどバブル崩壊直前で、山ほど就職口がある時代だった。「就職口が五分の一に激減してあわてたんですよね。でもバイト生活でもええんやと思っていたんですよ。その頃、壁画のアシスタントをしながら、自分の絵を描いてやっていました」

専門学校2年目。バイトだけでは学費が払えず、学校を辞めようと考えた。「先生に相談したら特待生制度を復活させてくれて。面接に受かり、学費が免除になったんですよ。ラッキーでしたね。そこでどっぷりと銅版画を勉強できました。そういうことがあったので、恩返しになるかわからないけど、後ほど母校で教えることになるんですよ」

内装の会社でバイトを続けながら、絵の展覧会を開催した。「母校の先生が見に来てくれたときに、『実は新しい学科をつくりたい。手伝ってくれへんか』とお願いされて、学校の先生になることになったんですよ。はじめてそこでサラリーマンになったんです」

生徒をサポートする楽しさ。ギャラリーはその延長の思いだった


iTohenのギャラリーにて

専門学校で、版画とシルクスクリーンを教えはじめる。「生徒たちにアートたるもの教えたると意気込んでましたね。ものすごいものをつくる才能あふれる子がいるけれど、彼らが社会に放り出さたときにどうなるのかと、すごく心配になったんですよ。お節介ですね。サポートするようなギャラリーやったらええねん、とその頃に思いました」

そして専門学校を退職する。「そもそも組織に向いていないんです。平気で残業してしまうし、就業カードをガチャンと押してから仕事に戻ったり、休みの日も学校に行くわけです。『なんで来てるの』って顔されて。なんか他の先生と温度差があるなと思ったんです。それで30歳のときに何の当てもなく辞めたんです」

なんとかなると思って脱サラしたものの、手元にあるお金は30万円だった


SKKYは舞台裏で
アーティストを支える

「仕事というものがあればなんでもやりましたね。某鉄道の夜間工事の仕事をしたりしていましたよ。居酒屋の水道の修理に行ったりもしましたし。ギャラリー資金を貯めるためにがんばりました。ところがぜんぜん貯まらないんですよ。

サラリーマンを辞めたときに30万円しかなかったんですよね。馬鹿ですよね、今考えると。幸い兄貴が3人いて、みんな商売で成功しているんです。『ずっと商売やるときは言え』と言われてたんですよ。それで借りることにして、兄貴にじわじわと返済しています(笑)」

お付き合いのあった鉄鋼関係の会社に、現在の物件を紹介してもらうことになる。「手書きのテナント募集の言葉にやられましたね。うわー、今どき手書きやーと思って。前の中華料理屋で食べていたら、『おっちゃんとかもう30年やってんねん』って聞いて。なんて長いスパンなんだ。30年、同じラーメンつくるのって、ものすごくかっこいいなと思ったんです。僕もこの街の仲間入りしたいなと思って。それではじめたのが2002年の8月ですね。

ギャラリーをやって展覧会をするとなると、若い子はDMとかつくれないじゃないですか。プロがサポートしてあげんといかんと思ったんです。だからDMとかフライヤーとか若い子でも、詳細に取材してつくるようにしたんですよ。つくる場合は別途頂戴して。

展覧会がきっかけで仕事が発生するのは最近多いです。ロゴやフライヤーの仕事を紹介してくれたりですとか。現在は母校が出している雑誌の編集もしていますね」

同い年のアーティストに教えられたこと

僕は最初、安定する道を歩いていこうと思ったんですよ。iTohenをはじめて不安定な毎日を過ごしているときに、佐藤貢さんというアーティストに会いました。漁港で働いていて、海で拾ったものを使って作品をつくっているんですよ。それを考えると男ですけどキュンとなるんですよ(笑)。

まだこんなことをやっている人おったんやと思ったんですよ。僕と同い年で。ちょうどお店が下り坂の頃でした。下手したら一日ひとりしかお客が来ない日もありました。そんなときに彼と出会って、何より彼の作品や生き方に感動したんですよ。iTohenをはじめてよかった、と思った瞬間でした」

勝手につくった公民館でありたい

これからのスカイも、半デザイン、半ギャラリーでやっていきたいと考える。「僕の名前は、兼ねて充たされるって書くんです。何かひとつに絞らないことで、今までやってこれたのかなと思います。

僕はiTohenを勝手につくった公民館と呼んでいるんです。iTohenって、見ようによっては人が勝手に出入りする事務所なんですよね。家でやっているときとは違って、人の出会いが多いですよね。絵を見た町工場のおっちゃんに、こんなんやったらワシでも描けるわー、と思ってもらいたいんです。

想像力って人を奮い立たせる起爆剤やと思っているんですよ。空き缶とかポイっと捨てる人もいますが、それって想像力の欠如やと思うんです。想像力が働けばそういうことしないわけじゃないですか。そういう深い部分まで考えるきっかけにしてくれたのは僕にとって絵だったんですよね。だからこれからも絵を展示するギャラリーとともに、自分も成長していきたいんです」


iTohenはブックカフェとギャラリーを兼ねる


店内には様々なアーティストの本がならぶ

公開日:2008年10月28日(火)
取材・文:狩野哲也事務所 狩野 哲也氏
取材班:株式会社ライフサイズ  杉山 貴伸氏