「アドリブとバランス。デザインはジャズに似ている」
山口 正春氏:(有)グッドデザイン

大阪・中崎町にあるビルの一室。あまりにもストレートな名前を持つデザイン事務所「グッドデザイン」。代表を務めるのは山口正春さん。グラフィックデザイナーとして、独立して16年になる。今回、しずやかにジャズが流れる山口さんのオフィスをたずねた。

小学生にして、早くもデザイナー志望


代表取締役の山口正春さん

山口さんがデザインの世界へ飛び込んだのは、なんと高校一年生16歳のとき。それどころか、小学生のころすでにグラフィックデザイナーを志していたというから驚く。

「もう今から40年以上も前の話ですね。僕が小学生のころ、『平凡パンチ』や『メンズクラブ』などが相次いで生まれた、いわゆる雑誌創刊ラッシュがあったんですよ。当時、そんな雑誌やカタログをいつも見ていて、かっこいいなぁと憧れていました。だからといって編集者になりたいと思ったわけではなく、ファッションイラストや広告のデザインに興味を持ったんです」

その後、中学・高校と進学した山口さん。高校に入学した直後、「普通の学校生活ではあまりにもつまらなかったから」という理由でデザイン会社の扉を叩く。

「たまたま知り合いがデザイン会社を経営していたんです。春・夏・冬休みの学校が長期休暇になる間バイトをさせてもらいました。当時はイラストもデザインも手描き。レタリングも写植だったので暗室での現像作業など、すべてが新鮮で楽しかった。学校の勉強もせず、朝から夜中までバイトに明け暮れていましたね」

バイトからプロの職業デザイナーへ


アパレル会社のCI

高校3年間の休みをデザイン会社でのアルバイトに費やした山口さんは、卒業後、当然のようにそのデザイン会社に就職した。

「とにかく早くデザインの仕事がしたくて。大学という選択肢は考えなかったのですが、あとになって少し後悔することもありました。美大や専門学校卒の新入社員が入ってきて、デザイン理論を質問されると答えられない。年下とはいえ、僕の方が先輩なのにね。大学へ行かなかったぶん、現場でより多くのことを学んでいかないといけないと痛感しました」

アルバイトから正式に入社して8年間勤務し、山口さんは職場を変えようと決意する。

「最初に就職した事務所は参考書や教科書のデザインを専門にしていたので、デザインの幅が限られていたんです。違ったデザインも学ばなくてはいけないと思い、アパレル系の仕事が多いデザイン会社に転職しました。モデルを使っての撮影なんかはそこで初めて経験しましたね。遊び心を発揮できる仕事が多くて、本当にいろいろなことを試しました。学生服のカタログに外人モデルを採用したり、当時、目新しかったスターウォーズ風CGをイメージにしたり。それがすごくウケて、競合他社もこぞって僕らのマネをしようとするのがおもしろかった(笑)。ずいぶん遊ばせてもらったと、今でも感謝しています」

リストラを任され、独立を決意


SANYOのビデオ広告

その後、さらに大きなプロダクションへ移り、SANYOの広告チームでディレクターになった。カタログやパンフの制作を指揮し、デザイナーとして脂が乗り切っていた38歳のとき、あることがきっかけで大きな決断を迫られることになる。

「会社の人件費削減のため、リストラしないといけないことになったんです。その人選を任されてしまった。今まで一緒に仕事をしていたスタッフの首を切るのですから、かなり悩みましたよ。考え抜いた結果、誰の名前も挙げられなかった。それなら僕が辞めると、会社を辞めてしまいました」


SANYOの携帯電話広告

そうして、山口さんは独立。グッドデザインを設立し、北区鶴野町にオフィスを構えた。しばらくすると前職で付き合いの長かったSANYOの仕事が入って軌道に乗る。以来、外部ブレーンと一緒に、SANYOの広告などさまざまな制作物を手がけてきた。一貫して重視しているのは、“消費者の目線”だ。

「今でもやっぱり、デザイン理論では理論派の人に勝てないかもしれない。でも、エンドユーザーが何を求めているかということには、誰よりも敏感でありたいと思っています。アイデアが煮詰まったら、とにかく街中を歩き回ったり、ターゲットに近い人にヒアリングしたり、机の前だけで考えていないですね。メーカーはバイヤー受けする広告を作ろうとする傾向がありますが、実はいちばん大切な消費者の目線がなおざりにされてはダメだと思っています。どんな仕事であれ、消費者の目線や意見をデザインに取り入れるのが、僕なりのやり方といえるかもしれないですね」

アドリブとバランス感覚が大切

2006年には事務所を中崎町に移転。独立して間もない若手デザイナーや以前の後輩など、常に誰かが事務所に転がり込んでいる状態だという。実際、取材当日も、フリーになったばかりだという男性デザイナーが隣のデスクで作業していた。「“メビック中崎町”になってるね」と山口さんは笑う。

「前の会社の後輩たちも成長してくると、みんな独立を考えます。でも、最初から自分の事務所を構えるとリスクが高いじゃないですか。そんな子たちに『仕事が軌道に乗るまでウチに机を置いてやってみれば』って、いってるんです。育てるとか、そんなエラそうなことではなく、僕自身も彼らと連携して、お互いが成長できたらいいなという思いがあって。ひとりで会社を経営していても、つながりは欠かせませんから。ひとつの案件の青写真ができたら、あれこれ考えてないでとにかく動き出す。クリエーターたちが集まって、それぞれの個性光るアドリブによって、想像以上の作品が完成するのが理想ですね。アドリブとバランス。デザインって、ジャズに似てるんですよ」

山口氏

公開日:2008年10月21日(火)
取材・文:岸良 ゆか氏
取材班: 北 直旺哉氏