“TAMメソッド”で世界制覇をめざす、パートナー型ウェブプロダクション
爲廣 慎二氏:(株)TAM

大阪・南森町の天神橋筋商店街から西へ。のっぺりとしたオフィス街の中で、ひときわ通行人の目を引く建物がある。ガラス張りの外観に、広々としたウッドデッキ。一見、カフェかインテリアショップのようだけれど、そうではない。大阪と東京を拠点に、WEBサイトの企画・制作事業を展開する(株)TAMの本社オフィスなのだ。

在阪ではめずらしい、大所帯のウェブ制作集団


カフェやショップのような
大阪本社の外観

TAMには、遊び心がある。一風変わったオフィスしかり、代表の爲廣さんしかり。今回、鮮やかなピンクのシャツで取材班を迎えてくれた爲廣さんに、まずTAMのスタッフについて聞こうと思っていた。この素敵なオフィスで、どんな人たちが働いているのだろう。そんなことを考えている間にも、思い思いの服装に身をつつんだ若いスタッフが1人、また1人と事務所の中へ消えていく。


個性豊かなスタッフの面々

「ひらたくいえば、当社はウェブサイトの制作プロダクションなので、スタッフの多くは制作部隊です。ディレクターが20名で、デザイナーとコーディング担当あわせて20名くらい。現在、大阪と東京を合わせて55名のスタッフが働いています」

55名のスタッフは、全員が正社員。そんなに多くのスタッフを正社員として抱えられる制作会社は、関西ではそう多くない。少し驚いたものの、取引先の名前を見て納得した。TAMのクライアントには、大手通販会社や世界的な外資系企業、大手スポーツメーカーなど、そうそうたる大企業が名前を連ねる。どのような事業展開をしてきたのか、TAMの強さの秘密を尋ねた。

人脈ゼロ、事業計画ゼロからのスタート

爲廣氏

もともと爲廣さんは、リクルートの営業マンだった。バブル崩壊直後、30歳のときに会社を辞めて起業を決意したものの、特に事業計画があったわけではなかった。

「独立して初めて、自分は何もできないと気づいてしまったんです(笑)。でも、会社は辞めたのだから、なんとかして生活していかないといけない。最初は『なんでもやります』って、ありとあらゆる会社に飛び込み営業しました。チラシや名刺のデザインから伝票印刷まで頼まれるまま引き受けて、まさに“何でも屋”でしたね」

明確な事業方針も人脈もない、ゼロからのスタート。ところが起業から1年ほどで、小さな取引ながらも200社以上の顧客を獲得したという。

「すさまじい営業努力が効をなしてか、お客さまは順調に増えていきました。独立して2年目だったかな? あるメーカーさんが、オンライン通販用のカタログを創刊するからと、制作を依頼してくれたんです。けっこうなボリュームだったので、デザインは外部のデザイナーさんにお願いして、僕自身はそれこそ寝ないで働きました。その甲斐あってか、完成したカタログを気に入ってくれたんでしょうね。以来、年に2回のペースで、そのカタログの制作を任されることになったんです」

スーパーディレクターの誕生

爲廣氏

以来、カタログや企業案内などグラフィックの制作を主な事業として顧客を増やしていったTAMは、2000年ごろ大きな転機を迎えることになる。

「金銭面で痛い思いをした案件もあったりして、このまま紙媒体の制作をしているだけではアカンなぁと思ったんです。そこで目をつけたのがウェブサイト。単純に、これからはもっと需要が増えるだろうし、ウェブの方が儲かりそうと思ったのがきっかけです」

そのころ一緒に仕事をしていたクライアントとともに、ウェブサイト構築に取り組み始めた。制作を発注されるのではなく一緒に作り上げる作業を経験することによって、TAMの方針は明確になる。

「受注型の制作プロダクションから、パートナー型のウェブプロダクションへ転身しようと。実はそれまでは、会社における自分の役割も定まらなかったんです。デザインなどの制作作業なら、僕より優秀なスタッフがたくさんいる。ならばライターになろうとコピー講座に通って、スタッフから冷たい目で見られたこともありました(笑)。でも、マーケティングのすごさで世界的に有名なある外資系企業との仕事が増えてきたころから、ディレクターのおもしろさと重要性を実感し始めたんです。マーケティングプランを含めたウェブ戦略のプランニングなら、社長の僕に任せろと。『スーパーディレクターになる!』と意気込んで、3年間くらい寝る間も惜しんで勉強しちゃいました(笑)」

東京の洗礼をバネに、独自の体制を確立

その後、爲廣さんは東京で決定的な体験をする。

「今から5年ほど前、東京進出を見据えて現地へ出ていって、度肝をぬかれたんです。あちらでは、僕らと同じようなプロダクションでも、何もかもが桁違いでした。リサーチから戦略、クリエイティブまで、すべてが体系的に行われている。しかも、各パートがものすごく高度な技術を持っているんです。正直、このままでは勝ち目はないと感じました」

そんななか、TAMが創り出したのは「PGST」理論プロセスだった。目的(Purpose)、目標(Goal)、戦略(Strategy)、アクションプラン(Tactics)からなるフレームワーク。クライアントの目標達成に必要不可欠なPGSTを基に独自の“TAMメソッド”を考案し、それを実践するため、ウェブプログラム開発を手がける(株)TAMシステムと、リサーチ専門の(株)チエズを立ち上げた。

「ディレクションとクリエイティブを担当するTAMと、システム開発やサイト構築を担当するTAMシステムズ。さらに、グループインタビューやモニタリングを担当するチエズ。ディレクターのもと、それぞれの分野に特化した3社が連携することによって、本当にクライアントが求めるサービスを提供することができると考えています」

ヨットに没頭するという、微笑ましい夢のために

ヨット
趣味が高じて、TAMのヨット部を結成

名だたる大手企業や外資系企業をクライアントに持ち、大阪はもちろん、東京でも活躍するようになったTAM。目下、会社を上げての「5年計画」が進行中だという。

「本社オフィスも東京拠点も、とにかく5年を区切りに必死でやってみようと。ウェブサイトのほか、ケータイサイトの構築にも注力してさらなる拡大路線を敷きます。その後、部門ごとに会社を分解して、大きなTAMグループを作れたらと思っているんです。もちろん、行き着く先は世界制覇(笑)。そうなれば、僕自身は引退するでしょうね。今は経営者だから必死ですけど、もともと個人的にはまったくお金に執着しないタチなので、のんびりヨットなんかして遊んで暮らしたいなぁ」

公開日:2008年10月14日(火)
取材・文:岸良 ゆか氏
取材班:株式会社ライフサイズ  杉山 貴伸氏