受注制作ではない、音楽創り =ナッシュスタジオ=
梨木 良成氏:(株)ナッシュスタジオ

ナッシュスタジオは、ロイヤルティフリー音楽ライブラリ「FREE USE MUSIC」という13,300曲以上のオリジナル音源を、インターネットからダウンロードにより販売している。オーケストラからボーカル入りの曲、さらに効果音まで揃っている。キーワード検索により自由に選曲し全曲試聴でき、すべて著作権フリーですぐに使用できる。随時新曲もリリースされていて、用途も年々広がっている。また、ヘビーユーザーにはCDで供給される契約やフルライブラリを一括して契約することもできる。今回は株式会社ナッシュスタジオの代表取締役、梨木社長に音楽制作の現場と未来像のお話を伺った。

実は、音楽は権利の塊なのです

梨木氏

同社は様々な映像コンテンツに活用できるオリジナル音楽を制作している。特徴的なのは、依頼を受けて請負で作るのではなく、ライブラリを創ってオリジナル音楽を所有し、自社で販売していることだ。「実は音楽は権利の塊なのです。」と梨木氏。一般的に、音楽を創る際には多くの人が関わるので、いろんな権利が発生する。それをすべてクリアにし、使用するのにはいろんな許諾が必要だ。そこで、ナッシュスタジオはかなり早い時期から音楽ライブラリを自社で持って、それを販売することにした。

「始めた頃(1983年創業)は、ほとんど、放送関係、テレビ・ラジオ、広報ビデオ(昔は広報映画)などの業務に使いやすい音楽にターゲットを絞って、制作しました。その頃からすべての権利を集約して音楽作品を揃えていき、ユーザーの方々が使用しやすい契約体系を構築してきました。」このビジネスの発想は、映像業界の知人と雑談している際、音楽の権利処理の煩雑さ、複雑さにいかに現場が困っているかを聞いたことから思いついた。

「かつての大阪には、テレビ・ラジオCMの仕事も多く、タカラヅカ歌劇やOSKが華やいでいました。オリジナルの音楽制作の仕事も多く、演奏家や制作会社、録音スタジオも活況でしたが、私自身は受注して音楽を作って納めるという仕事に、結局は向いてなかったのかも知れません。」と梨木氏。

自分一人でどこまでできるのだろう? という疑問

小説や絵画と違って音楽の制作は多くの人が関わって創るもの。曲を書く人、アレンジする人、演奏する人、歌を歌う人がいて始めて完成する。それを一人で全部するのは至難の技で、たとえ弾き語りでもそれを録音する人が必要だ。実際ごく最近まで音楽制作はかなり大変な作業の連続であった。「お金も多くかかりました。オーケストラやスタジオ費も使って、お金だけはどんどん回っていた感じですね。一体誰がもうけているのか、ただみんなで金とエネルギーの浪費をしているだけではないのかなんて冗談がでるくらいでした。しかし、今となってはかつての仕事も様変わりしました。」コンピュータで音楽を創ることができるDTMの一般化で、多くの人が関わらなくても、極端な話、一人だけでも音楽が創れるようになった。

時代の変化が関西の放送業界を変えた

「ナッシュスタジオがスタートしたのは、まさしくこの大阪市北区です。」中でも西天満は当時広告会社も多く、ナッシュスタジオの前身になる会社も、広告代理店の入っていたビルに入居。バブル時、現在のビルが新築になり、転居した。インターネットの利用が進んできた現在、ビジネスモデルが小売に近いこともあって、特に会社の場所を選ぶ必要もない。東京のお客様が多いのも特徴。しかし、ロケーションのメリットが無いわけでない。北区の西天満は東京からみても放送関係者からはかなり有名な場所だ。関西テレビやよみうりテレビが近くにあったことで、周りにプロダクションが点在し、音楽制作のスタジオもここに集まっていた。「昼になったら、その辺のエンジニアやミュージシャンがぞろぞろ昼飯食いにうろうろしていた。西天満もある種のブランドでした。どれほどの信頼性があるのか知らないですけど。」(笑)

「今は、例えば広告ビジネスでは、窓口になって企画を考える人材は大阪にいると思いますが、大きな仕事になるとほとんどの作業は東京に集約していきます。その一方でDTM化によりデータ転送とダウンロードが容易になり、音楽など個別の制作はますます場所を選ばなくなってきています。」

編集機材

ライブラリ

音楽ライブラリ化

「私たちの音楽ライブラリはアナログ時代にスタートしましたが、徐々にしかし確実にデジタル時代へ移行していった時期を経て、今は制作の現場から商品そのものまでがデジタルとなりました。そしてインターネットが来ましたね。これは私たちにはとても幸運なことであったと同時に、様々な中小零細企業がもつ豊かなコンテンツを広く社会が手に入れることが可能になったことを意味しています。」音楽は大勢の人が情熱をぶつけ合って創ってきたこともあり、手間もかかればお金もかかる。それが、すべてデジタルでできてしまう時代が到来した。

1995年頃には、インターネット上で音楽がデジタルコンテンツとして販売できることを知り、それまで販売していたCDに代るメディアになる確信を持ち、「もうCDを作らんでええのんちゃうか?インターネットはウチのためにできたんとちゃうか、そう思いました。CDの在庫を持たなくていい、配送の手間も費用もいらない。現在そこまではまだいってませんが、当時はそんな夢がふくらみましたね。もちろんいいことばかりでなく、回線や販売のしくみなど、インターネット販売の黎明期には苦労も多かったですが、とにかくインターネットで売りたいと熱く語りましたね。いろんな人に。」サイトを立ち上げた当時は、できたばかりのYahoo、インターネット雑誌からの掲載オファーもあり、また国内より海外からの注文の方が早かったそうだ。紆余曲折を経て、今のカタチで実用化まで漕ぎ着けた。

アーティストとしての梨木氏

作業風景

「ベートーベンの音楽は譜面というかたちで創作され、レコードが発明される前まではそれぞれの時代の演奏家の実演によってのみ、音楽は社会に存在していました。レコードが出来てからは、単に記録として音楽を録音することを超えて、レコードという音楽作品を創ることが可能になりました。そして今私たちが手に入れているのは、演奏ということすら超えた音楽のあり方なのだと思います。小説や絵画と同じように作者の内面がそのままダイレクトにいわば一人称で表現された新しい音楽へ。ナッシュスタジオはこれにも取り組み始めています。」自身で作曲・演奏もこなす、梨木氏のヴィジョンだ。

経営者としての梨木氏

ナッシュスタジオは音楽を創りたい人を集めて協力を得、買いやすく使いやすいカタチで提供している。「私は会社を経営しているというより、音楽を創ることを自分の<仕事>と決め、それをひたすら実行しているだけです。その音楽の契約体系、料金、供給方法そして内容をユーザーに受け入れやすいように形作ることに努力してきました。しかしそれは、なんやかんや言うても結構シンドイ仕事なので、新しいスタッフには必ずこんな話をします。仕事はなんでもシンプルに考えればいいと思う。自分ができることで社会に貢献できることがあればそれが仕事になると。自分のやりたい音楽があってそれが仕事になるのならそれでいいし、ならなければ仕事とは別にやればいい。たとえ自分の得意分野とは違うジャンルの音楽の要望があった場合でも自分を切り替えて、技術力と知識を高め、実力を発揮することが大切である。いや、それがオモロイねん! と。」

ナッシュスタジオの仕事は「今はすきま産業」と梨木氏は言う。音楽の評価はこれまで、マスコミやコンクールなどのいわばオーソリティが決めてきた。しかしこれからはそれに加えて、自分の表現を目指す作者と、それに共感する人が「直接」出会うことが可能になれば、一般的な音楽の消費活動が変化する。「音楽の需要と供給の関係は今大きな曲がり角にきていると思います。最終的には自分の耳や感性、知識で自分自身が価値判断することが消費の重要なポイントになっていくんでしょうね。もっともそうなればミリオンセラーは減るかも知れませんね。」音楽への接点は、これからも多くの変革がありそうだ。


ナッシュスタジオの音楽スタジオにて

公開日:2008年10月01日(水)
取材・文:株式会社ファイコム 浅野 由裕氏
取材班: 廣瀬 圭治氏