規模や実情に合わせたソフトを提供
久保 博氏:(株)インフォトレック

顧客管理、データベース、販売促進などなど、日常のビジネスにおける業務の簡略化や省力化に向けたソフト開発を行う株式会社インフォトレックの久保博さん。長年の海外生活や国際社会で揉まれた経験を活かし、日本の社会やビジネスを大所高所から見つめつつ、それぞれの会社に合わせた業務のシステム化を提案されておられます。

大の外国嫌いが外国へ旅に出る

久保氏

子供のころから鼻が利き、鋭敏な嗅覚の持ち主だったという久保さん。その才能を活かそうと、将来は調香師になろうと思っていました。中学生のころ、香料を取り扱う会社に勤めていた父親から「フランスに取引先があるので、向こうの高校へ通いながら調香師の勉強をしてはどうか」と留学を持ちかけられます。

しかし当時の久保さんは、外国人を「紅毛碧眼の徒」と呼ばわるほどのナショナリスト。それが一転し、フランス留学に夢を馳せ、嫌いな英語はそっちのけでフランス語の勉強を始めます。
ところが、卒業を前にフランスが大不況に陥ります。受け入れ先も無くなって留学話は頓挫。それならばと、高校1年生の夏休みにヨーロッパの旅を計画します。
母親は「英語もしゃべれない16歳の子供が一人でヨーロッパへ行くなんてとんでもない」と大反対しますが、父親はフランス行きの機会が流れたこともあって「せっかくだから行ってこい」と背中を押します。この旅が久保さんに大きな衝撃を与えます。

ナショナリストが変心、アメリカへ

英語もロクにしゃべれない少年が、単身で乗り込んだヨーロッパ。そんな少年を叩きのめしたのが語学力の無さでした。何を言っているのか分からない、話かけられても答えられない。その不自由さ、もどかしさをイヤというほど思い知らされます。「それまで『紅毛碧眼の徒』とか『英語は嫌い』とか言ってた自分が陳腐に思えるいろんな体験をしました」。

結局、3ヶ月、12ヵ国をめぐるヨーロッパ旅行で「世界」に触れた久保さん。「英語がわからなければどうしようもない」と、留学を支援してくれるYFUやAFSといった機関に申し込み、高校3年生のときアメリカ・ペンシルベニアのハイスクールへ1年間の留学をし卒業します。

しかし「1年ほどアメリカへ行って英語が多少しゃべれるぐらいでは、例えば日本の経済について語れるわけでもないし知識もない」と、高校3年生をやり直したあと日本の大学へ進学します。

世界を学び、天才と出会う

事務所風景

大学では商学を学ぶかたわら部活にも熱心で、器械体操部で体もみっちり鍛えます。その後、バブル期の走りで体育会系のつながりもあってか、就活では何社もの大手企業から内定をもらいました。にもかかわらずゼミで落とされ1年留年。卒業後は、いわゆる準公務員として要人のサポートや国際貢献の仕事へ進みますが、さらに「もっとビジネスを勉強したい」とMBA取得のためアメリカへ渡ります。

そのときに出会ったのが、後にアップル社の役員になるコンラッドという当時16歳の少年。「彼は日本語もペラペラ、フランス語もドイツ語もしゃべれる、いちど見たものは記憶してしまうというホンマもんの天才です。その彼にコンピュータやインターネットのいろいろを教わりました」と、その出会いが今のビジネスの端緒となります。

震災を転機にITビジネスの道へ

30歳のとき、阪神淡路大震災を機に帰国。宝塚の実家は倒壊し、家族と仮設住宅で暮らします。その中で、地元被災者のコミュニティーをまとめるなど地域活動をしますが、アメリカに戻ることもままならず久保さん自身の将来は見えません。一方で、長年の海外生活から、日本がパソコンの普及やインターネットの利用で大きく遅れていることを肌で感じていました。

久保さんは「日本はもっとインターネットを活用しないと」と、その必要性を訴えますが、回りを見ると「その前にパソコンのスキルから立ち後れているわけです」とショックを受けます。それでも「必ず時代がついてくる」と信じ、震災で空いた学習塾を借りてパソコン教室を開きます。
当初はチケット制でのパソコン教室でしたが、その後、地元の不動産会社から「お客様への情報提供をもっとスムーズにできないか」という話を受け、その会社の顧客管理やデータベースなど業務のシステム化を図る仕事を始めます。

「その会社が『こうして欲しい』と考えていることと、僕が『こうしたい』と言うのがバッチリ重なりました」と、志向が合って業務が次々と改善されて行きます。しかも「最初は『パソコンに強いお兄さん』だったのが、次第にその会社の営業をするようになります。最終的にはその会社の常務になるほどで、持ち前のバイタリティーを遺憾なく発揮します。

40歳を区切りに「再起動」

久保氏

しかし、その後十年。その会社が十分に成長したこと、世の中のIT化が追い付いてきたこと、自身の40歳という区切りから、3年前に現在の会社インフォトレックを立ち上げます。
ホームページの作成やビジネスソフトのファイルメーカーによる業務改善を提案する仕事のかたわら、さらに「オリジナルが欲しい」との思いからCRM(Customer Relationship Management)を発展させた顧客管理・営業推進ソフトのBRM(Business Relationship Management)を開発しました。

現在は、このBRMのアピールに力を注ぐ久保さん。「世界60億の人から『あなたは間違ってます』と言われたとしても、人生の大半を一緒に過ごしてる家内に『あなたが正しい』と言ってもらった方が僕は価値があると思っています」と、身近な人を大切にする話は印象的でした。

エネルギーのかたまりかのように全身からパワーがみなぎり、人を惹きつける話ぶりや肝のすわった「目ぢから」も印象的。出会った人は、久保さんからあふれ出るエネルギーを分けてもらったような気分になるのではないでしょうか。

公開日:2008年10月06日(月)
取材・文:福 信行氏
取材班:つくり図案屋  藤井 保氏