沖縄から中崎町へ、アメリカから日本へ地元の不思議空間から情報発信
國吉 哲久氏:オフィス ザイレガシー

テッド・クニヨシ氏

中崎町にある築60年の古い木造の印刷工場跡を改装し、カフェのような、イベントスペースのような、シアタールームのような空間「マイドリーム館」を運営しているのが、オフィス・ザイレガシーのテッド・クニヨシさん。映像制作や写真修正、Webサイトの運営を業務とするかたわら、若手アーティストの支援や地元地域の活性化にも尽力されています。

テッドさんのルーツは沖縄の前島という小さな島。日本に返還される前、4歳だったテッドさんはパスポートを手にした親御さんと「日本に入国」しました。その後は大阪・中崎町界隈で育ち、学校を卒業後はPOSシステム関連の会社に就職。家電量販店を担当し、二十代は西日本エリアを飛び回る日々でした。その後、新聞社でニュース速報を流す仕事やコンビニ店長などを経験されますが、「しっかり腰を据えて仕事をしたい」と、現在の映像の仕事につながるベンチャー企業へ就職しました。

地元でアメリカでの事業を行う「仕組み」を作る

テッド・クニヨシ氏

当時、会社は拡大路線を歩んでいて、テッドさんは入社後1年そこそこでアメリカへ派遣されます。現地の技術者を指導する役目で、当初は「半年ほどで戻る予定でした」。が、ズルズルと丸3年。その間、会社はアメリカ進出に見切りをつけて撤退を決めます。当然テッドさんも日本へ帰るはずだったところ、現地の提携企業から引き留められ、会社を辞めてロサンゼルスにオフィスを設立。それまでの業務を自身の事業として引き継ぎ今日に至ります。

しかし、アメリカの永住権を持っているわけでもなく、ビザ更新のハードルも高く、現地にオフィスを置いたままビザ期間を使い切って帰国。その後も行ったり来たりをしながら日本でも事業が継続できる「仕組み」を作り、現在は電話とインターネット、現地スタッフを巧みに使いつつ、昨年、母校の済美小学校のとなりに拠点をおいて活動を始められました。

アーティストを育てるのが面白い

以前は「人より前へ出る」「何が何でも自分が」という思いが強かったそうですが、ある日「踊るのが楽しい人ばかりでなく、人が踊っているのを見るのが楽しい人もいる、という意見に出会い考えが変わりました」。さらに、「見返りを求めず、人に尽くせば自分に返ってくる」と語る人にも影響を受けます。その後、自身を見つめ直し「じゃぁ、それらを実践してみよう」と思い至ります。

「改めて自分を見つめ直すと、自分は人を応援するのが楽しいしそれが向いていると思いました」と、映像デザイナーとしての仕事とは別に、才能ある若いアーティストを見いだし、その支援やネットワーク作りをマイドリーム館を基地に情報発信をスタート。加えて、地元活性化のお手伝いをされるようにもなり、アーティストと地元と町を訪れる人たちとのコラボレーションも模索しておられます。

映画制作の計画や、アーティストとクリエイターの連携も夢想

さらに自身では、ルーツである沖縄とアメリカ生活で関わった日系人社会を題材に、「故郷」「戦争」「人種」「友愛」などをテーマにした映画制作も計画されています。「沖縄の前島は沖縄戦で自決の犠牲者を一人も出さなかった島。『ぬちどぅ宝(命こそ宝)』の思いを、広く世界の人々に伝えたい」。日米はもちろん世界各地への配給を視野に入れているビッグな企画として、その実現にも働きかけておられます。

自身の活動以外に、アーティストや地元地域とのつながり、さらにクリエイターとのセッションや連携も夢想しているテッドさん。ことに、アーティストとクリエイターという同じ表現者でありながら、その「次元の違い」に強い興味と関心があるそうです。

「自分が後ろに退くことで、人との出会いが一気に広がりました」と、スタンスを変えたことで人が人を呼び、テッドさんを慕うアーティストや町の人が集まります。いわゆる「えぇひと」のオーラを発しつつ、「一緒にいると何か面白いことが起こりそう」と思わせるのがテッドさんの魅力。みんなのマイドリームが叶いそうです。

公開日:2007年10月31日(水)
取材・文:福 信行氏