「庭」を文化に! オシャレアイテムに!
辰己耕造氏・二朗氏:(株)グリーンスペースオオサカ

“庭や”なのだそうだ。聞きなれない呼び名だが、こう名乗るのが今のところ一番しっくりくるという。「魚屋さんや花屋さん、からの庭屋さん、というノリで」「取扱商品は庭です、みたいな」。なんて、漫才コンビのように笑わせてくれる2人は、八尾で先々代が始めた造園業を継ぐ3代目兄弟。昔ながらの“植木屋さん”ではない、名庭園を手掛ける“庭師”でもない、“ガーデンデザイナー”て横文字もちょっと違う。庭にかかわることは全部、プランからメンテナンス、なんなら側溝の掃除まで、トータルでかかわりますよ、というスタンス。ありそうで案外となかったこの“庭や”稼業で、今や建築業界、造園業界で大注目の兄弟なのです。

辰己耕造氏・二朗氏

本当に作りたい庭とは?を探し続けた充電期間。

ガーデニングや観葉植物は、ライフスタイルを彩るアイテムとしてすっかり定着しているけれど、「庭」となると話は別。戸建ての庭に松を植え石灯籠を配し、といったスタイルは過去のものとなり、造園業界はまるで様変わりしているそうだ。辰己兄弟が事務所を構える八尾は、昔から地場産業として造園業が盛んだったが、昨今は新築の個人住宅などでのニーズが激減。周辺の同業者は公共工事の街路樹整備やハウスメーカーのエクステリア工事に活躍の場をシフトしているのが実情だ。とはいえ、本当に庭のニーズがなくなったの? ニーズに合う庭を提供できていないのがモンダイじゃないの? そんなギモンを抱えつつ、家業を継いだ2人だったが、10年ほど前に「やっぱり、庭だけで食べていきたい!」と、下請け的な仕事を全部断わる“暴挙”に出た。そこから2~3年は仕事もほとんどなく厳しい日々だったが、ありあまる時間のすべてを「庭」に捧げた。庭にかかわる資料を片っ端からあさって学ぶ日々。加えて、建築やインテリアの知識も広め、クリエイターのイベントにも足を運んで感性を磨いた。ホームページやブログでの発信を始めたのもこの時期だ。およそ今までの植木屋さんがしてこなかったことを、あれもこれもやってみたこの充電期間に、目指す庭づくりが見えてきた。そして転機がやってくる。庭園専門誌『庭』に自ら売り込んだことがきっかけで、若手造園家として誌面に大きく取り上げられ、業界で知られる存在に。建築家などの目に留まる機会を得て、受注が舞い込むようになった。「ニーズは、なかったわけじゃなかった。時代が求めているような庭を作る人が、どこにいるか知られてなかったということなんですよね」(兄・耕造さん)。

天理の庭 2010

たとえ1坪のスペースでも、
そこに野山の自然を表現できたら。

現在2人が手掛けるのは、個人住宅や病院、施設などの新築物件の作庭がメイン。建築の一部としての庭、という考え方から、外からの見え方はもちろん、屋内の窓からどう見えるか、2階から見るとどうかなどと、暮らす人の視点で発想していく。そこに施主の希望を加え、日照や広さなどの諸条件を掛け合わせ、解を探っていく作業だ。「できるだけ自然に近い庭を作りたいと考えているので、いくつかの木々を組み合わせることで生まれる美しさを表したい。この木に花が咲いたら次は別の木が紅葉して、また別の木に実がなって、というように、庭から物語を感じてもらいたいです」(耕造さん)。材料となる樹木を仕入れる際にも、描いたデザインに合わせてあえて曲がった木や斜めの枝ぶりを求めて山に入ることもある。木々の足元にアレンジする下草も探す。「同業者からは、すっかり変人扱いですよ(笑)。この業界では、木の仕入れは、このサイズの松を1本!って電話で注文するもの、草の仕事は園芸の人にまかせといたらよろし、というのが当たり前だったから」(弟・二朗さん)。そういう業界常識をひっくり返して、「いかにも植木屋さんっぽい表現はやめて、だれが作ったのかわからんような庭を作りたいなと」(耕造さん)。技巧に頼るのではなく、あたかも詠み人知らずの歌のように、だれの心にもしっくりくる空間が、2人が追求したい辰己スタイルの庭なのだ。
それにしても、“庭や”の仕事はほかのクリエイティブと違って、どの段階をもって完成→納品→完了となるのだろうか。樹木が伸びたり、草が枯れたりという変化が、デザインを損なってしまうことだってあるだろう。「そう。庭は生き物ですからね。僕らはだいたい3~5年後の成長を見越して作りますが、最初にどこまで持っていけるかが勝負なんです。そこを間違えると、予定した庭に育たないですから」(耕造さん)。そのためにもちろん、定期的なメンテナンスを引き受けるし、アドバイスも欠かさない。「お客様と一緒に庭を育てていくというのも喜びのひとつですよね」(二朗さん)。


宝塚の庭 左:植栽直後の庭 右:植栽2年後の庭 写真:佐藤振一 2012

クリエイター兄&マニアック弟の
絶妙コンビネーション

仲のいい兄弟だが、「庭」にたどり着くまでのプロセスが真逆な点が面白い。兄はそもそも家業を継ぐ意思ゼロで、建築やインテリア、ファッション、音楽などが好きなクリエイター志向。一方、弟は学生のころから先代の仕事をよく手伝っていたこともあって「当然お前が継げ、ってなって、ハイそうですかと(笑)」。若くから、見て覚えて体に染みついた造園技術は代えがたい宝だけれど、「父が作る庭が好みじゃなかったんですね。カッコいいと思えへんかった」。職人肌の二朗さんはマニアックなタイプで、庭の歴史でも材料の由来でも、何であれしぶとく調べ上げる。ある時など、雑誌で見かけた小さな庭写真にピンと来て、その庭を探して見に行ってしまったほど。幅広いジャンルの見地を駆使するタイプの耕造さんと、深掘り主義の二朗さん。お互いに「カッコいい庭」へのアプローチが別々だったことが、1+1=2以上のパフォーマンスを生んでいるように思える。センスとノウハウ、提案力と品質といった、クリエイティブに欠かせない両輪をバランスよく発揮できているのが兄弟の強みといえそうだ。

PIECE HOSTEL SANJO 建築:OHArchitecture 写真:繁田諭 2015

社会とつながることで、
造園界のニュースタンダードに。

自分たちの目指す庭スタイルを極めていく中で、庭はもっと面白くなれる、もっと遊びを取り入れたいという思いも強まり、フィールドを広げる活動にも力を入れている。そのひとつが『ニワプラス』という若手同業者集団の主宰だ。職人同士のヨコのつながりが希薄になりがちな業界において、知識や情報を共有しあい、相互に刺激を与えあって活性化しようという目的で、イベント開催をはじめ、ウェブサイトやブログなどの情報発信も行っている。開催するイベントは、ひと味ひねりが効いていて、著名庭師の講演会をわざわざ雑木林の中で行ったり、晩餐会的なイベントでは緑をドレスコードにして集まったり。ユニークな企画が好評で、庭関係者の枠を超えて認知が広がっていった。2014年には、地元八尾市から「辰己兄弟」として文化新人賞を授賞したが、耕造さんは自身のブログに「なにより文化と名のつく賞に、庭を作っているものが選ばれたのはうれしい」と当時の感慨をつづっている。その思いは二朗さんも同じだろう。「インテリアや家具や雑貨といったオシャレアイテムに、“庭”が入ってないのが悲しいなー」という思いから、今後は都会の空間を視野に、庭の存在感を高めていくような仕事もしたいと思っている。
「造園の枠を超えたところで、もっと社会とつながっていきたいんですよね」(耕造さん)。そのベクトルの先に、文化として育っていく「庭」が見えてくる。


ニワプラス:イベント風景

公開日:2016年02月29日(月)
取材・文:大野尚子 大野尚子氏