人の感動を、自分の感動とマッチングしてこそいい仕事ができる
竹内進氏:Sharp Focus

竹内氏

広告写真をメインに活躍するフォトグラファー・竹内進さん。大手企業や有名人が起用されている広告など、華やかな仕事も多い。仕事仲間やお客さんからはよく「熱い」と言われる情熱家。そんな竹内さんも、30歳で独立した頃は、失敗の連続だったという。「仕事案件ゼロ」からスタートし、一つ一つ体当たりで挑み続けてきたという竹内さんに写真の道へ進んだきっかけや、仕事に対する考え方、そして今後の生き方について自由に語ってもらった。

“感動をとらまえた”瞬間

竹内さんは高校三年生の時、進路についてものすごく悩んでいた。親は「やりたい事がないなら大学に行け」というが、大学に行く意味もわからない。家にも居たくなくなった。「毎日地図みたいな蕁麻疹が出る」くらい悩み、衝動的に家を飛び出した。バイトでためたお金で、寝袋ひとつで、南港から船に乗った。目指すは、沖縄。「青い海、白い雲…そんな世界を見たことがなくて…、現実逃避ですね(笑)」。竹内さんは船の中で1人の青年に誘われ、伊良部島へ渡った。3週間の旅。そこで出会った景色が、人生を変えた。「彼の家の近所の砂浜で、めちゃくちゃきれいな夕日を見たんです」。溢れる感動に任せ、たまたま持って来ていた父親の一眼レフカメラで、無心にシャッターを切った。その時、「写真が、自分の感動をとらまえる手段だ」と感じた竹内さんは、この瞬間「これで飯を食っていく」と決めた。

『何のために生きるのか』を問い続けた学生時代

串カツ店を営む両親の元に、次男として生まれた竹内さん。店は兄貴が継ぐだろうから、自分の手段で生きて行く」と中学生の頃から考えていた。「極論、山の中にこもって生きられるかとか、そんな事を本気で試してみたいと思っていました。何を考えてるねん! と言われそうですけど(笑)」。幕末時代にもハマった。命をかけて国のために奔走する志士たちを見ていたら、自分は何のために生まれ、何をしようとしているのか、何に命をかけるのか…。そんなことばかり考えるようになった。自分が命をかけられるものがないという、激しいフラストレーション。抑圧されていた思いが、ファインダー越しに美しい夕日を見た時、一気に爆発したのだろうか。「その(夕日)写真が上手く撮れていたのかどうかは、わかりませんけど(笑)、自分の中で『真っ赤に燃えるものをとらえた』っていう、そういうのが強かったですね」


2015.作品

アート的なものから、実用的なものへ

小・中・高校とサッカー部。写真とは無縁だったようにもみえるが、高校の時、写真部にも入り、1日だけ活動した。今思えば、どこかに写真というのはあったのかもしれない。運命の夕日と出合った高校卒業後は、迷いなくビジュアルアーツ専門学校大阪へ。「ロバート・キャパとかに憧れて」最初はドキュメンタリーを専攻していた。ところが学校の中の一つの扉を開けた瞬間、考えがかわった。そこは、白ホリゾントのスタジオ。ものすごくカッコよく見えた。そこからは、広告を専攻。熱血講師の指導のもと、何があっても1日たりとも休まず、無事に卒業。大阪にある大きな広告写真スタジオに入社した。
実際に仕事を始めてみると、カルチャーショックが襲った。専門学校でやっていたアート的なことから、スタジオでは、「真っ白いお皿を切りぬきで撮影」というギャップ。しかし、連日深夜まで及ぶ、実用的なものを撮影するという業務に、竹内さんはだんだん楽しさを感じてきた。「本格的に面白いな、と思い始めたのは入社して2、3年後。自分で撮り始めてから、皿ってこんな難しかったんや、もっとうまくなりたいと思いましたね」。アートな写真から、広告写真へ考えが傾き、「何のために撮るか」を考えはじめた。

「仕事案件ゼロ」から営業スタート

竹内さんの独立記念日は2009年の7月1日。その日から「せーの」で営業スタートした。暑い日に大阪の街を歩きまわったことを、この時期になると思い出す。10年間務めたスタジオで出会ったお客さんも、関係ブレーンも頼らず、いわゆる「仕事案件ゼロ」からのスタート。竹内さんはデザイン事務所や広告代理店をリストアップして、1軒1軒電話営業を試みた。「いろんな実験を繰り返して、たくさん失敗しました。『失敗大百科』ってつくれそうなくらい(笑)。その中で『今日のポートフォリオの見せ方よかったな』と、営業先で1つ1つ学んでいきました」。自分の強み、どんな思いでやっているかなど、一切考えていなかった。「仕事をもらわなあかんという思いだけ。その時は勢いと元気良さしかなかったです。それでも発注してくれるお客さんがいて下さったんです」
初の仕事は、「これも何かのご縁」と電話口で言われ、すぐに飛んで行った取材撮影の仕事。なにより、自分で仕事を取った!という実感がうれしかった。竹内さんは独立した当初、相当額の借金があった。「だから必死のぱっちで営業して、何とか仕事下さいっていう勢いでやっていました」カメラマンの先輩やクリエイターのつながりから発生した仕事も多いが、この営業経験は、「自分の力で自分の道を切り開く」という竹内さんの原点だ。ちなみに、その借金は、昨年無事に完済。「嫁にも随分苦労かけました」。


Sharp Focus スタジオ

夫婦でやるメリットは、仕事の話ができること

2009年に「SharpFocus」を設立。2011年には大阪市・北区に、事務所兼スタジオを構えた。「SharpFocus」には、フォトグラファーがもう1名在籍する。1年半前に結婚した奥様だ。受注がなく支払いに困っていた竹内さんがアルバイトをしようとした時、「本業でやらなアカン」と止めてくれた。夫婦でやっているメリットは、仕事の話ができるところ。会話の80~90%は仕事の話だとか! その事により仕事の共有ができる。写真に対しても考え方の衝突はあるけれど、お互いに認めるところは認め合っている。「インタビューの2週間くらい前から嫁にシュミレーションしてもらって。『それ言うたらアカン』と言われたり(笑)」。現在では大手企業の広告、モデルの撮影、料理、物撮りまで幅広くこなし、あちこち飛び回る竹内さん。そんな売れっ子フォトグラファーイメージと相反するような人間味あふれるところも、竹内さんとまた会いたくなる理由かもしれない。

深く聴くと、何を撮るべきか見えてくる

20代のスタジオカメラマン時代は、自分が撮影したものが評価され、お客さんが喜んでくれることが、単純に嬉しかった。独立してからは、仕事に対するモチベーションが変わった。「直でスポンサーさんとお仕事をする中で、社長さんの思いを聴くと、その時に、何を撮るべきかという答えが見える」。しかし、竹内さんと社長さんが意思疎通して、想いを写真に込めたとしても、デザイナーや、使う側にその思いが伝わらなければアウトプットされた時にちょっと違う…、とはならないだろか。「それが大事なところ。集まったみんながどれだけ意思疎通できるか。コミュニケーションを欠かすとそうなると思います」。だから、竹内さんは、自ら指揮をとる。「自分からどんどん聞いていきます。『どういう風に構成を考えていますか? そのためにこういう背景で撮りましょうか?』と。そこをうまくマッチングさせていきます」。プロジェクトに携わる1人1人の思いを繋いで、一つの形に仕上げる。
あるスポンサーと直接やりとりする中で、竹内さんは、「どんな写真を撮るか、提案してほしい」と社長直々に言われたことがある。竹内さんは激しく戸惑った。「それってコンセプトがあって、構成があって、どんな絵を撮るか決まるのに、こちらが提案しても意味ないですよ、って言ったけど、社長は『いいから、提案して』(笑)。だから、構成も決まっていない状態でこんなカット、こんなカットって、提案しました。そしたら『それおもろいな』と、その提案したカットを上手い事使って下さったんです。1年目、2年目、3年目になると、だんだん道筋がわかってきて。それを考えていくことがものすごく面白い、と思いました」。そこから、撮影だけに留まらず、竹内さんも企画提案の段階から入るとうスタイルが多くなっていった。


CM撮影風景

目指すのは、人を幸せにできる自分づくり

昨年、動画事業を始め、コマーシャル動画を4本製作した。竹内さんは監督と撮影、奥様は脚本を担当。そこから動画の面白さに目覚め、自社でオリジナルの動画を作成している。構成も編集もすべてやる、トータルプロデュース。動画はマイブランドの商品として売り出す予定だ。
さらに今後の展望を聞いた。「撮影の現場に関わっていたい。ただ写真を撮るだけじゃなくて、主体的に関わっていきたい。現場で間近に接することによって問題が見えるんです。そして問題と向き合って初めて良い写真が撮れるということです」。また、仕事のスキルはもちろん、心身ともに自己成長することによって人の役に立てる人間になり、人を幸せにできる、というのが竹内さんの考えだ。「だからもっと深くお客さんと付き合える人間になります。相手の心に深く入っていくことで、ダイレクトにその方の思いがわかる。そのことによって、どうしたらいいかが見つかる。感動をとらまえたい、という思いが写真のはじまり。その人の感動を自分の感動とマッチングしてお返ししたい。感動できる自分がいてこそ、形にして伝えることができると思います」

取材風景

公開日:2015年09月18日(金)
取材・文:塚本愛子 塚本愛子氏
取材班:CA-RIN WORKS カツミ氏、メイクイットプロジェクト 白波瀬博文氏