ストイックな関西人気質を、独特の面白おかしいタッチで昇華
かわぐちまさみ氏:

かわぐち氏

雑誌、書籍、WEBなどでイラストやマンガを描いているイラストレーターのかわぐちまさみさん。取材準備のため彼女についてネット検索してみると、ブログやSNSは出てくるが、プロフィールにご本人の写真はない。あるのは似顔絵と思わしきイラストのみ。その作風からはチャキチャキとした(元気で明るいというニュアンス)「大阪のオカン」を勝手にイメージしていたのだが、お会いしてみると、良い意味で裏切られてしまった。なんとも可憐で「オカン」とはほど遠いビジュアルだったせいである。「この人があの爆笑コミックエッセイを?」。そんな驚きすら覚えた。この外見はきっとまやかしに違いない。一皮めくれば、どんな面白おかしい要素が詰まっているのだろう。そんなおかしな期待感たっぷりに取材は始まった。

落ち武者先生との運命的な出会い

普通、イラストレーターさんと言えば、当然のように小さい頃から描くことが好きで、その先の進路としては芸術系やクリエイター養成系の大学なり専門学校なりへと進むものではないだろうか。しかし、かわぐちさんはちょっと違う。クリエイターと呼ばれる人たちにありがちな「自分の好きなことに一目散」型のヤミクモ人生ではなく、もちろん好きなことは決まっているのだが、非常に計画的な歩みだ。ただ、ターニングポイントというべき人生を左右する大事な地点では、トリックスターと言えそうな、かわぐちさんの計画をくつがえすほどに強烈なインパクトを与える人物が登場し、好きなことからは逃れられないようにうまく誘導されている。たとえば、大学時代。似顔絵を描くのが好きで(しかも「みんなが傷つくような似顔絵が(笑)」とはかわぐちさん)、個性際立つ人物を見かけると描かずにはいられないかわぐちさんは強烈な人物に出会う。のちに恩師となる先生がまるで「落ち武者」だったのだ。かわぐちさんは授業もそっちのけでノートの片隅などに嬉々として「落ち武者」を描きまくっていたところ、先生に見つかってしまった。「怒られる!」。ところが、先生がかわぐちさんにかけたのは予想外の言葉だった。

かわぐちさんの身に降り掛かった「予言」

「これからはもう課題も提出せんでいいから、もっとマンガを描け」。かわぐちさんは耳を疑ったが、先生はもちろん、ふざけてなどいなかった。ガラケーが浸透し始めた当時にスマホの台頭を予言するなど、何かと先見の明があった先生らしく、彼女の似顔絵に、何か「未来」を感じ取ったのだろう。かわぐちさんが当時、在籍していたのはマスコミ学科だ。繰り返しになるが、芸術系ではない。生涯イラストで食べていきたいからこそ「進学も進路もイラストの道へ直行ダーッ!」。そんな夢見がちな人生は描いてはいなかった。もっと堅実に、「イラストで食べていくには、まずはコネだ。なんとしてもマスコミに就職しなくては」。そんなルートを考えていた位なのだ。そんな彼女に、この先生の言葉は強烈だった。にわかに現実味を帯びてきたイラストレーターへの道。先生の勧めに従い、必要な技能を得るために、かわぐちさんは大学とグラフィック系専門学校とのダブルスクールを決意した。


主婦をメインターゲットとした週刊誌での実績が豊富。分かりやすくて面白い、インパクトのある絵が1コマで表現されている。読者が共感できて面白い、そんなストーリーを描く土台を4コマ漫画の連載で培った。(主婦と生活社「週刊女性」より)

イラストレーターかわぐちまさみ誕生への道

のちに、かわぐちさんは先生に聞いたことがあると言う。私のどこに才能を感じたのか、と。すると先生は「おまえのようなヤツは、絶対に、普通の会社では勤まらない」。もしかすると、その言葉も予言だったのかもしれない。かわぐちさんは大学卒業後、一度は「普通の」会社に就職をする。それも広告事業部という花形部署だ。しかし、「一ヶ月で退職しました(笑)」。家族の勧めに従って人並みな社会人としてスタートを切ろうとはしたものの、「好きなことで食べていく」という道からそれることにやはり耐えられなかった。フワフワと妖精のような容姿とはウラハラに、かわぐちさんの切り替えは素早かった。即、デザイン事務所に転職。最初はデザイナーとして、そのうちにイラストも描かせてもらいながら、グラフィック業界で3年、着実に実績を重ねていく。次なる転機は、独立だった。「イラストレーターとして独り立ちするには、どうしても東京で認められたい。でも、食べていけるか不安で、なかなか決心がつかずにいました」。そんなかわぐちさんの背中を押したのが、大学時代の仲間だったダンナさん。当時すでに東京で就職していた彼が「だったら結婚しようよ。こっちで絵を描けばいいよ」と誘ったのだ。まるで飲みのお誘いのような、なんとも気軽に聞こえるプロポーズだが、かわぐちさんにとっては最高にハッピーな決めセリフとなった。

苦しくも楽しい?東京ブックオフ時代

結婚と独立。どちらも手に入れた東京暮らしだったが「コネも友達もなし、最初はただただヒマでした。『コールセンターか!』と思うほど、出版社を中心に電話をかけまくる毎日でした」。イラストレーターとして実績のない彼女に東京の風は冷たかった。最初は冷遇に傷つくこともあったというが、なかなか取り合ってもらえない現状にも、そのうちマヒしてくる。それでも彼女を奮起させたのは「主婦系のコミックエッセイがやりたい!」という強い思いと、東京では自分と同じように背水の陣で頑張っている人が多いということだった。「『東京に行って1年仕事がもらえなかったら諦めた方がいいよ』と言われていました。当時の癒やしは、ブックオフ。一日中電話をかけた後はブックオフに出かけて、大好きなマンガを読みあさる。暗黒の日々の中での唯一の希望の光でしたね」。そんな彼女にチャンスがやってきたのは、約半年後。大手企業のWebキャンペーンでイラストを描くお仕事が舞い込んだ。かわぐちさん曰く「えげつない量(笑)」の仕事だったにも関わらず、がむしゃらに描き上げ、ついに迎えたWebページ公開日。「3.11、東日本大震災が起きてしまいました」。かわぐちさんに求められたイラストは、彼女が得意とする面白系。世の中が大変な時に、公開できるものではないとペンディング。その後、期間を置いてキャンペーンが動くときには、またイチから書き直し…。誰もがへこたれそうな状況で、実際「逃げ出した」イラストレーターさんもいたそうだが、かわぐちさんはめげなかった。「その後もきつい仕事は多々ありましたが、このとき乗りこえた経験が自信になっています」。


東京に進出したばかりの頃、毎日のようにかけた営業の電話。そんな活動が初めて実を結んだのがこのイラスト。掲載された雑誌は廃刊となっているが、その出版社との付き合いは今でも続いている。(主婦と生活社「すてきな奥さん」より)

大阪で始めた新米かーちゃんの育児

震災を機に、拠点を地元・大阪へと戻したかわぐちさん。地道な営業活動も実を結び、「大阪へ戻ってもイラストレーターとしてやっていける」。そんな自信もあってのことだ。プライベートでも妊娠、出産とまさに順風満帆(妊娠中も産後も、仕事をほぼ途絶えさせることなく続けていたと言うからビックリ!)。昨年発売されたコミックエッセイ「新米かーちゃんが『テケトー料理』をはじめたら、どエライことになりました」にも登場する・そーちゃん(2才)の子育てと仕事の両立について尋ねると、「妊娠中がとにかく大変でした。安静にしていないとダメ!とお医者さんに言われた時期もあったのですが、とにかく、仕事を断るのが怖い。しんどい身体で仕事を続けることではなく、仕事を断らざるを得ない状況にブルーでしたね。そんなわけで、産後も1ヶ月後が経った頃には仕事を再開していましたが、忙しすぎて、記憶が…どうやって乗りこえたんでしょうね、頭の中がまっ白。ただ、それまで家事の経験のないダンナさんの負担が大きかったであろうことは想像できます(笑)」。初めての子育てに翻弄される中、得意とは言えない家事や料理も待ってはくれない。そんな過酷な状況の中で、友人知人から時短料理の知恵やレシピを募り、フリーライターとタッグを組んで完成させたコミックエッセイ。リアルなドタバタ感やテケトー感が満載で、主婦や新米ママたちの共感をかっさらうのも当然。面白くないわけがないだろう。

すべらないマンガを描き続けたい!

「ほんまはね、コミックエッセイって好きじゃないんですよ。確かに面白いですけど、『なんか内容が軽ないか?』と思ったり、『その話オチないやん!』ってツッコミたくなったりして。だからこそ、面白くてタメになる——オトクなコミックエッセイを自分が出したかったんです」。今後はコミックエッセイともう1つ、広告マンガを軸足に活動の幅を広げていきたいそうだ。アートか商用かでタッチの自由度は違えども、どちらでも、自分が「めっちゃ面白い!」と自信のあるものを世に出したい——「自分が100点満点、全力を出してやっと読者の評価は70点」だと語る彼女。「すべりたくないんですよ」。関西人の愛すべき気質を発揮して、この先も多くの読者をとことん笑かせていただきたい。記者もその1人である。


2014年、目標だったコミックエッセイの出版を果たす。赤裸裸なエピソードとテケトー過ぎる料理レシピがママたちの笑いを誘う。「つかの間、笑いで家事や育児の疲れが吹っ飛べば」とかわぐちさん。(主婦の友社「新米かーちゃんが『テケトー料理』をはじめたら、どエライことになりました。」より)

公開日:2015年07月16日(木)
取材・文:西村ゆきこ 西村ゆきこ氏
取材班:yellowgroove サトウノリコ*氏、株式会社ファイコム 前田敏幸氏