「クリエイターズファイル」は、メビック扇町の周辺・大阪市内各地で活動している「この街のクリエイター」を、クリエイターの視点で紹介するインタビュー記事です。

ヤマモトさん
リバーサイドの開放感あふれるオフィスに、長い木製のテーブルや柳宗理の椅子、DJブース────。お洒落!オフィスに通されてまずそう思った。ここは天神橋の袂にあるデザイン会社、キネトスコープ社。この会社のカメラマン、ヤマモトタカシさんが今回紹介するクリエイターだ。
半袖の白シャツ姿で現れたヤマモトさんは、「ちょうど最近雑誌にも紹介されちゃって」と爽やかな笑顔で一冊の週刊誌を手渡してくれた。「思ったより気さくな人でよかった」。僕は内心ほっとしながら、指差された記事に目をやる。瞬間、安堵は戦慄に変わった。「脳幹脳炎」という見出しの記事に写っている車椅子の男性が、紛れもなく今の今目の前に座っているヤマモトさんだったからだ。
2004年2月。当時28歳だったヤマモトさんは、フリーのカメラマンとして独立した矢先、たまたま帰省していた実家で突然身体が動かなくなり、そのまま搬送される救急車の中で意識をなくした。診断の結果は難病と言われる脳幹脳炎。意識が戻ったのは2ヶ月後のことだった。全身麻痺で顔はゆがみ、手足は硬直して言うことをきかない。リハビリにさらに数ヶ月の期間が必要とされた。高額な治療費のためにヤマモトさんは東京のマンションや商売道具のカメラ機材を売り払わなければならなかった。突然の病は、命の代償として、命の次に大切なものを奪っていった。
大阪・天王寺で生まれ育ったヤマモトさんが写真の世界に魅了されたのは中学生の時。「報道カメラマンに憧れてね」とヤマモトさんは語る。その口調は確信に満ちていて、“少年の夢”というような青臭い印象はまったく受けなかった。実際、ヤマモトさんはその頃からかなり具体的な将来像を描いていたという。
高校を卒業後、未体験の世界を求めて単身渡英。アート系の学校で写真や絵画などの素養を培った。「高校を出て25、26までは野心むきだしでしたね。他人を蹴落としてでも俺が前に出てやるって思ってました」。その言葉はブラフではない。帰国後も、より高みを求めて業界を渡り歩き、ついには東京で、世界的にも有名な写真家・篠山紀信氏に師事する。
「まぁ正直、打算もあったんですけどね。こうやって有名な先生についとけば、海外で失敗して戻ってきても食うには困らないだろうっていう(笑)」。冗談まじりに話すヤマモトさんだが、でもね、と続ける。「でもね、やっぱり世の中に認められる人っていうのはそれだけのことはあるんですよ。ずっと篠山先生に張り付いてて、そう感じることが何度もあって。言うことは言うし、もちろん口だけじゃなくて写真もすごいし。それでいて、撮ってる時は子供みたいに喜ぶしね。いろいろ教わることが多かったですよ」。

キネトスコープ社オフィス
超一流の写真家の下で研鑽を積んだヤマモトさんは、28歳にして独立。視線の先にあったのは、ロンドン、パリ、ニューヨーク。すでに太平洋を飛び越えていた野心は順風満帆のはずだった。
ところが、そんなヤマモトさんを嘲笑うかのように襲いかかった病魔。そして長期に亘る入院生活。リハビリを終えて、体重は30キロ台にまで痩せ細ったという。しかし本当に痩せ細ったのは、体重よりも気持ちの方だった。「2年ぐらいはニートでしたね(笑)。何か撮ろうと思っても気持ちがついてこなくて。今から思うと逃げてたところもあったと思うけど」。
ようやく活動が再開できたのは昨年の10月。地元・大阪で以前から知り合いだった廣瀬さん率いるキネトスコープ社が新しい拠点だ。一度は折れかけた気持ちを、再び前に向かわせたものは何だったのだろうか?その疑問をぶつけてみると、ヤマモトさんは少しはにかみながら「やっぱり好きなんですよ、写真が」と即答。「みんなそうなんじゃないですか?長くやってれば気持ちが萎えて、もう辞めてしまいたいって思うこともあるでしょ。でも、そこで続けられるのは、やっぱり好きだからですよ。普段は照れるからこんなこと言わないけどね(笑)」。
今回のインタビューを通して、「環境」という言葉が何度もヤマモトさんの口を衝いた。そのことを最後に訊ねてみると、ヤマモトさんは「そんなに口にしたっけ?」という顔をしてから、訴えるように話す。「いや、趣味でサーフィンやっててね。この前モルディブに行ったんだけど、そこで環境問題の話を耳にして。5年間で水位が目に見えて上がってるって。で、たった5年で変わるんだったら、あと5年経ったらどうなっちゃうんだって思って。サーフィンやってる人はみんな感じてると思うんだけど、環境破壊が、世界規模で本当に深刻に進んでるんですよ。写真家として、この危機に少しでも役立ちたいっていう思いがあって。環境をテーマにした作品を個人的につくろうかなって構想もあるんですよ」。
そういうヤマモトさんの目下の目標は、アメリカの雑誌『Sports Illustrated』の写真を撮ることだ。「『Sports Illustrated』はね、すばらしいモデルとすばらしい景色、それだけで構成されてる。余計なものは一切ないっていうね。自分が撮った写真があれに載ったら最高だね」。
2年間のインターバルを経て、ヤマモトさんの野心は再び走り出した。道はまだ始まったばかりだ。
文: 水野 稔氏
クリエイターズファイル Vol.15 公開:2007年06月27日

大阪市北区天神橋1-12-15 ノースタワー3F
TEL:06-6242-8761
営業:営業:12時〜18時 土・日・祝休み
扇町から天神橋筋を南へ下がっていくと、左手に大きな鳥居が見える。その鳥居をくぐってすぐのビルの3階に、ヤマモトさん行きつけのバーがある。
ただし、バーはバーでも酸素バーだ。実はこの酸素バー「ウイング・オキシーバー 大阪ショウルーム」は、全国で直営店だけでも15店舗の酸素バーを展開する、株式会社ウイングの第1号店。あの一大ブームを巻き起こした火付け役の店なのだ。
「ショウルーム」という名前が付いているが、商用向けの機器販売も扱っているという以外は他店とまったく変わらない。また酸素バーというと女性客が多いイメージがあるかもしれないが、この大阪ショウルームはその立地から仕事帰りの男性客も少なくないという。
酸素バーがクセになるわけは何と言ってもその香り。クランベリーやミントといった、フルーツ系・ハーブ系2系統の全24種類もある香りは、本当に爽快で、わずかな時間でも十分に気持ちをリフレッシュさせてくれる。さらに複数をミックスさせることもできるから、いろいろなバリエーションの香りが楽しめるのも魅力。
料金は10分600円、20分1,200円、30分1,800円の3コースあり、300円の入会金で会員になればそれぞれ10%引きになる。なお初回のみノーズチューブ代として300円が別途必要となる。


ヤマモトさんは才気みなぎるエネルギッシュな方で、「これほどの人が大阪にもいるんだ」と嬉しくなりました。同じクリエイティブに携わる者としてかなりの刺激に。俺も安穏としてる場合じゃねぇ!
〒530-0046
大阪市北区菅原町1-22
大平ビル4F
06-6363-5537
06-6364-3866
http://www.kinetoscope.jp/
廣瀬 圭治
ウェブ, Flash, 映像, プロモーション, 撮影
「キネトスコープ社」