デザインだけでなく、企画立案、スケジューリングまで、総合的な仕事が評価されています
板倉康裕氏:KURAFUKU
2012年4月に独立し、先輩デザイナーのアドバイスで、南港の大阪デザイン振興プラザ(ODP)に事務所を構えて今年で2年目になる板倉さん。
ODPでは仕事だけではなく、さまざまな分野で活躍するデザイナーやクリエイターたちと交流し、イベントなども主催。
しっかりとした眼差しを持ち、チャーミングで心配りのある丁寧な話し方が印象的でした。
グラフィックデザイナーになったきっかけや、現在の活動、そしてこれからの目標などについて伺いました。
有名デザイナーに触発されデザインの道へ
「コピーライターやスポーツライターになりたくて、大学生の時に宣伝会議の『編集・ライター養成講座』を受講したんです。でも自分より年下の受講生にとても優秀な人がいて、これは敵わないなーと挫折しちゃったんです。そんな矢先、特別授業でグラフィックデザイナーの岡本一宣さんの講義を受け、ピーンとくるものがあってグラフィックデザイナーになりたいと思ったんです」
もともと美術が得意で、高校時代は常に1番だったほど。大学進学は美大を薦められていたが、ピンとこず、普通の大学に進学した。ところが、数多くの出版物のデザインを手掛け活躍する岡本一宣氏の講義を受けたことで、板倉さんの感性が目覚めた。
『編集・ライター養成講座』修了後、早くデザインを習得するため専門学校ではなく、半年でこなせるパソコンスクールに通い、イラストレーターやフォトショップといったアプリケーションをマスターした。そして自分で課題を設定し、デザインソフトで作品を作って、就職面接に持参した。
50社もの面接を受け腕を磨く
「どの面接でも失笑されました。世間知らず、業界知らずで、作品とはどういうものか分かっていなくて、ソフトが使えたらいいと思っていたんです。憐れに思われたのか、他の人の作品を参考に見せてくれることもありました」
デザインの現場というものをまったく知らなかった。約50社面接に行き、すべて落ちた。
しかしその都度アドバイスを受け、腕もレベルも上げていった。それなりに自分の作品として磨きが掛ってきた。
そしてようやくミュージックCDのジャケットを制作するデザイン会社に就職。大学を卒業して1年半が経っていた。
「面接の最終選考でアートディレクターに作品を気に入ってもらえたんです」
約50回の挫折とアドバイスによって、やっと作品が認められ、採用を手にすることが出来た。
今、デザイナーとしてあるのは、厳しかった師匠のおかげ
就職したデザイン会社は、大手音楽事務所のグループ会社で、エンターテインメントのど真ん中に携わっていた。そのため仕事も多忙で、スタッフはプロ意識が高く、上司のアートディレクターは職人気質のプロ中のプロ。
「ダメ出しがとても多く非常に厳しい人でした。真夜中でもデザインのやり直しは平気で、そのまま徹夜はあたりまえ。朝、スズメのチュンチュン鳴く声を聞くのはいつものことでした。休みも月2回あればいい方。歯を食いしばって頑張りました」
しかし体力の限界で、1年半で退社。退職時も上司に厳しく叱咤された。
「仮に僕が上司でも、激怒すると思います。スパルタでしたが仕事をびっしり教えてもらえたんです。師匠と弟子という濃い繋がりでした。デザイナーを辞めず、独立までできたのも、その時の経験があったからです。本当に感謝の気持ちでいっぱいです」
いくつもの会社を経験し実績を重ねて独立
その後体力も回復し、不動産関係の広告代理店や、飲食関係の制作会社などで経験を積む。そして、飲食関係の制作会社を先に退社していた先輩に声を掛けられ、大型ショッピングモールなどを手掛ける総合広告会社へ。
「どの会社も長続きしないことを反省しましたが、それなら一層のこといろんな会社を経験しようと思っていたんです。ところがちょうどそんな時に、先輩が社長に僕を売り込んでくれたんです。だからせめて3年は、その会社で頑張ろうと覚悟を決めました」
相手の立場を優先したアイデアでさまざまなコンペに勝ち抜き、自分なりにも結果を出した。3年が経ち、意を決して独立。
「先輩も認めてくれました。頑張ったおかげかクライアントさんが指名してくれ、担当していた仕事をもらって独立できたんです」
独立にあたり、食べていけるか、やっていけるか不安は?
「怖さはあって、ビビってもいましたが、早く始めたら失敗しても取り返せると思って独立しました。クライアントがいる状態でスタートできたのがラッキーでした」
イベントを通してさまざまな人たちと交流
そして現在、従来から担当していた商業施設のビジュアルや販促関係のほかに、紹介などを通じて多彩に仕事が広がっている。また若手クリエイター交流会『デザテン』を、6、7人のクリエイター仲間で主催、運営。
「ODPの10階のギャラリーを利用して、クリエイターやアーティストといった、そのフィールドで活躍しているゲストを招き、トークライブと交流会を年2回開催しています。コミュニケーションの場として気軽に参加してもらえることが目的です」
独立後、「イベントを通して、また自らがさまざまなイベントに出向くことで、多くの人との出会いがあり、とても充実しています」という板倉さん。
その中でブランディングプロデューサーのエサキヨシノリ氏との出会いがあり、仕事面などでしっかりタッグを組むビジネスパートナーとなった。
“お客さんとお客さんを結ぶ役割”になりたい
さて、今後の目標は?
「もともとスポーツライターになりたかったので、スポーツに関わる仕事がしたいです」
子どもの頃からサッカーが好きで、高校時代の友人たちとフットサルチームを組み、月1、2回のペースで楽しんでいる。
「サッカーやフットサルをキーワードに、スポーツの仕事に繋がればうれしいですね」
また「グラフィックだけでなく、その前段階のディレクションからスケジューリングまで全体を通した仕事がデザイナーとして評価されています」と自負する。
「なので今後は“お客さんとお客さんを結ぶ役割”になり、プロデュースしていきたいんです」
さまざまな経験が自信となって出る、本気の本音だ。板倉さんの顔がパッと輝いた瞬間だった。
独立3年目の来年にかけて、屋号を変更するなどブランディングに関して、エサキ氏と新たなチャレンジを計画中とのこと。今後の活躍に期待!