得意ジャンルは、あえて持たずに、何でもできるのが得意技。
吉田透氏:graphic design studio Einsatz

吉田氏

がっしりとした体躯に髭面、ご自身もバンドでドラムを演奏するというほどのヘヴィメタル好き…と、いささかハードな雰囲気が漂うアインザッツの吉田透さん。話しはじめると印象は一転。こちらからの問いかけの一つひとつに、腕を組み、自分の臍と繋がった実のある言葉を見つけていく様子は、不器用で繊細な職人のよう。二十代の頃、「プロなら何でもできなきゃダメ」という師匠のもとで培ったセンスと技術が詰まった、幅広い仕事の作品集を拝見しながらお話を伺った。

監督が描く映像の世界観を、文字の姿で表現。

吉田さんの話は、「ネオ・ウルトラQ」の映像鑑賞から始まった。「ネオ・ウルトラQ」は、昭和30年代後半の人気番組「ウルトラQ」の続編として、2013年の1月から3月に、WOWOWで放送された円谷プロダクション製作の特撮ドラマ。舞台を今の時代に移しながらも、オープニングの映像は昭和30年代当時の「Q」を彷彿とさせる演出で、その大きな決め手となる各話のタイトルと出演者などを紹介するクレジットの文字のデザインを担当したのが吉田さんだった。各話それぞれの世界観に合わせて文字のスタイルを変えるという企画で、吉田さんが手がけたのは、全12話のうちの9話。手渡された脚本とイメージ写真、無効果音の仮編集フィルムから、イメージを育て、文字をデザインしていった。なかには、タイトルから、クレジットの名前の文字すべてを手書きでつくった回もあった。「全員分、漢字も一つひとつ全部作って、あれは時間もなくほんとに大変でした」と語りながら、そのクレジットが流れるモニターを見つめる横顔には、イメージした世界観を表現しきった達成感が伺えた。
吉田さんが担当したのは4監督のうちの3監督による9話。出演者には映画や舞台で活躍する俳優陣を配し、渡された仮編集フィルムはどれも、30分の短編映画を観ているかのようだった。物語の世界へと、観る人を引きこんでいくタイトルに求められるものも大きかった。何度も手を入れながら連日夜中まで続く電話での打合せに、向こうが、「私たちも今日はもう切り上げますから、吉田さんも休んでください」ということもあったという。弾けた感じ、切なくロマンティックな雰囲気、不気味な予感 ―― どんなテイストやイメージにも、求められる期待に応える「何でもできるのが得意技」というグラフィックデザイナーとしての姿勢で、「ネオ・ウルトラQ」が描こうとする、無限に広がる摩訶不思議な世界観に応えた。


各話ごとに繰り広げられる摩訶不思議な世界観を表現した「ネオ・ウルトラQ」タイトル集。

求められれば必ず応えるのがプロの仕事。

「何でもできるのが得意技」という吉田さんのグラフィックデザイナーとしての姿勢は、20代の頃に勤めていたデザイン会社の上司から学んだものだ。「プロなら何でもできなきゃダメ」という上司の持論で、受ける案件は実に様々だった。会社案内のように堅実なイメージを大切にするものから、女性用化粧品のようなやわらかなイメージが好まれるものまで、求められるものをひたすら創り続けるなかで、デザインとイラストレーションの力量が上がっていった。「ネオ・ウルトラQ」のタイトル集、ミュージシャンのCDジャケット、競艇選手の優勝記念オリジナルグッズ、サラダドレッシングのパンフレット、さらにはかわいいキャラクターイラストまで、一見すると一人の人の作品集とは思えない仕事の幅の広さは、この頃の経験に培われたものだ。
今になって振り返ると、吉田透というグラフィックデザイナーの基礎を育ててくれた、師匠ともいえる上司だったが、正直、最初は素直にその言葉を受けいれられなかった。若さの特権ともいえる生意気さも手伝って、こだわりを持たず、何でも引き受ける上司の姿に密かな反抗心があった。そして入社から1年半ほど経ったある日、上司の仕事の幅の広さと力量に、「この人には敵わない」と白旗をあげた。仕事への理解が一歩深まった瞬間であったのかもしれない、26歳の頃だった。それからは真綿が水を吸うように、師匠から教えられることを吸収していった。最初は受け入れられなかった師匠の「何でもできなきゃダメ」という教えは、今では、あえて得意ジャンルを持たず、「何でもできるのが得意技」という吉田さんの持論となって受け継がれている。そんな吉田さんに、これからグラフィックデザイナーを目指そうとする若い人たちにかけるとしたら、どんな言葉ですかと尋ねると、「捨ててはいけないプライドと、捨てなければいけないプライドがある…ということじゃないかなあ」という答えが返ってきた。深くてあたたかな言葉には、自分にはこれ以外考えられないというグラフィックデザインの道を歩んできた吉田さんの、経験や記憶が詰まっているようだった。

「何でもできるのが得意技」を信条にする吉田さんの仕事の幅の広さが見える作品集。
上:グラフィックデザイン集 左下:イラスト集 右下:ロゴデザイン集

人にも、仕事にも、嘘のない自分で向き合う。

30歳を前に、その師匠のもとを離れ、レコード会社の制作室、飲食チェーン店を経営する会社のデザイン室、化粧品系の会社の広告やSPツールの制作部門、クリエイターのコラボレーショングループを経験し、2009年9月、「アインザッツ(Einsatz)」を立ち上げた。様々な人と仕事をする中で、様々な経験があり、思いがあった。常に順風満帆だったわけではなかったが、どんな時も吉田さんという人のもとに仕事がやってきた。「どの仕事も、しているうちに絶対好きなところができるんです。たとえば、ここに使ったこの曲線がかわいいな、このデザインにしてよかったなという具合に」という、手がけた仕事への愛情が、クライアントとの絆や人との繋がりを育ててきたのだろう。
「ネオ・ウルトラQ」の各話のタイトルとクレジットの仕事をきっかけに、映像関係の仕事も来はじめている。またアートディレクションや、WEBサイトのグラフィック表現についての依頼も増えはじめ、吉田さん自身ももっともっと力量を大きくするために、新たな仕事にどんどん挑戦していきたいという。
さて、「アインザッツ」とは、音楽用語に用いられるドイツ語で、アタックを意味する。
仕事にかかる時には、精神的支えというほど溺愛するヘヴィメタルを聴き、すべてにぶつかってぶっ壊してやれ!というくらい気持ちを高めて、出あしの勢いをつけるという。取材の結びに趣味を尋ねたら、そんな吉田さん、腕組みをして、うーんと唸りはじめた。なくてはならないヘヴィメタルだが、ここ最近は、昨年末に生まれた愛娘が何よりで、少しばかり音楽への打ち込みようが足りていず、趣味というには不十分だそう。他にもプロレスや服など好きなことを思いだしては、違うなあと首を捻り、「今は決められない…ということで」となった。
自分自身としっかり結びついているかどうか、仕事に対し、人に対し、言葉に対し、生真面目に、丸ごとの自分で向き合って行こうとする吉田さんの人となりを見るような一言だった。

作業中の吉田さん
吉田さんのイマジネーションを支える仕事部屋。
溢れかえる資料の山のどこに何があるか、目を閉じれば探し当てられるという。
記憶と時間が詰まった宝箱だ。

公開日:2013年10月30日(水)
取材・文:フランセ 井上 昌子氏
取材班:株式会社ファイコム 浅野 由裕氏、UNDERLINE 徳田 優一氏、クイール 松本 幸氏