“交わり”がパワーを生み、街をつくる
西村 剛氏:(株)TMコミュニケーションズ

腰の低い、元気な社長


西村さん

「いやぁ?すんません! 今日はよろしくお願いします」両手いっぱいに抱えた資料をボトボトとこぼしながら、腰の低い社長が現れた。西村剛さんが取り仕切るのは、ショッピングセンターの販売促進をおこなうTMコミュニケーションズ。消費者に優しいだけじゃなく、店側の人の声を聞き、広告の反響を調査して次への改善策を導き出す独自のサービスで、個店の活性化をはかっている。
「西村さん、今日なんか髪の毛ウェットですね」「むくんでるんちゃいます?」写真用に身だしなみを整える姿を見て、スタッフのみなさんが口々につっこみを入れた。「昨日お風呂入ってへんねん」どうやら、忙しい彼の住処は“会社”のよう。私はペンを走らせながら、意外な共通点に親近感を覚えて頬が緩んだ。

“生きるための結束”がヒントに

旅行中の写真

かつて、神戸の商業施設のイベントに携わる仕事をしていた西村さん。1997年1月17日に起こった阪神大震災により、仕事はすべて頓挫してしまった。「会社から1年の休暇をもらい、むかしから夢やった世界旅行に出たんです。あれは確か25歳の時やったな」アジアからアフリカまで、旅した先ではいろんな人と出会い、互いに助けあいながら生きる様を目の当たりにした。「ほんまに、素敵な人たちばっかりでしたよ」瞳を爛々と輝かせ、西村さんは現地での写真を見せてくれた。
帰国してしばらく経ち、震災の被害が大きかった長田の復興事業に携わることに。「ほとんどが“ゼロ”の状態にもかかわらず、人々が一丸となって街の復興に力を注いでいる。アジアやアフリカで出会った人たちと同じパワーを、長田の人たちからも感じたんです」この2つの経験と出会いにより、人々が交わることの素晴らしさを身にしみて感じとった。「イベントの仕事は一見華やかだけど、“創っては壊す”世界でした。どうせなら、創りあげたものを繋げていけないかな、と思ったんですよね」

長田の復興、そして新たな一歩

西村さんの名刺

コミュニケーションをカタチにしたい。その想いで、2000年の春に『株式会社 TMコミュニケーションズ』を起業。西村さんは、まるで昨日のことを思い出すように、滑らかな口調で当時のことを振り返った。「長田の商業者を対象に、パソコン塾を開いたんです。参加者のほとんどが年長者ですから、正直言って大変でした。でも、講習で使ってるパソコンと一緒のものを揃えてくれたり、補習を受けてくれたりと、みなさんの行動力にはこっちが驚かされましたよ」
一人ひとりのがんばりが実を結び、街は活気を取り戻した。同社は2004年3月のイベントをもって長田の復興事業から引きあげることに。「最後の仕事は、長田の街に新しく桜並木をつくることでした。木を植えたはいいものの、イベントは3月の初旬。桜が咲く時期じゃないし、その年は特別に寒くて蕾すら危うい状態でね。電気ストーブやらカイロやらいっぱい使って、必死に幹を温めましたよ! 結局ほんのちょっとしか咲かなかったんですけど。今も会社の倉庫に電気ストーブとカイロが大量に眠ってますわ(笑)」寒空の下、汗をぬぐいながら走り回る光景がまざまざと浮かぶのは、西村さんだから、だろうか。

交わりをコーディネートしていく


西村さんとスタッフの方々

「梅田から近いし、この辺はクリエイターが多いって聞いてたから。これほど多いとは思わんかったけどね」5年前に西天満に会社を移し、現在の事業にスポットを当てた。「広告を打ち、その後『どんな効果があったか』、また『なぜそうなったのか』を調査すれば、次へと確実に繋がっていきます。小さなことだけど、一店一店の小さな積み重ねが、施設の繁栄、そして街づくりに繋がっていく。海外で出会った人や長田の人たちに、そのことを教わったんですよ」
行動派の西村社長の夢は、これだけで尽きない。「今積み上げてる実績を基に、3年後には商業施設を運営したい。この街のクリエイターたちが、人々と交わりながら力を発揮できる場を“コーディネート”できればいいですね」“3年後”という具体的な数字を聞き、意外に計画的なのかと問うと、「実は以前、新しい事業に手をつけようとして失敗して、それが後遺症になってるんですわ。そろそろ脱却できるはずなんやけどね」と、頭をかきながら豪快に笑った。
彼が視線を向ける先には、“街を元気にしたい”という本懐が必ずある。その屈曲のない真っ直ぐな気持ちこそ、クリエイターである証なのだろう。

大久保 由紀氏

公開日:2007年03月20日(火)
取材・文:大久保 由紀氏