自分のエゴを出さない空間づくり。それが自分のスタイル。
河上 友信氏:グラン ファブリック インク.

JR茨木駅にほど近い住宅街に、居心地のよさそうな古民家が佇む。築100年以上のこの建物をリノベーションし、ここに居を構える空間デザイン事務所を訪ねた。
事務所に併設されたカフェでこだわりのコーヒーを味わいながら、数々のアートに出会えるアートギャラリーや雑貨ショップを楽しむ。
こんなユニークな空間を創り、さらには茨木の町にアートで心地よい世界を創りあげていく空間デザイナーの河上友信さんにお話を伺った。

ターニングポイント

河上氏

「社会に出るのがいやだったから大学に進んだんですよ(笑)」と、河上さんは学生時代の頃を語った。
目標などなかった彼が選んだのは、京都精華大学に新設されたばかりの人文学部。「とにかく大学に入れば、4年間は自由でいられる」からだ。入学後はカフェバーでのアルバイトとクラブ通いに明け暮れていたと苦笑する。
そんな河上さんだったが、元々ギャラリーや美術館なども頻繁に巡っていたことや、美術学部の友人のほうが多かったということもあり、次第にアートやデザインに興味を持つようになっていく。また、バックパッカーの流行の煽りも受けて、旅に出ようと思い立つ。
「イギリスの音楽やアーティスト、デザイナーが好きだったんです。だから3回生の夏に学校にも相談せず、“住む”を目的にロンドンへ渡りました。ギャラリーや美術館を巡ったり、ブックショップでアート本を物色したり、休日になればマーケットをまわったりしていましたね。かっこいい店舗デザインが溢れていて、毎日が刺激的でした。もちろん、ナイト・クラブ通いもしていましたよ」
そんなある日のこと。街を散策していた彼の前にとてつもない建物が現れる。
ロイズ本社ビル——。
建築家リチャード・ロジャース氏が手がけた最高傑作の一つだ。
水道管や電気線、階段やエレベーターまでも外に露出させた形状で、鉄やステンレス、ガラスで構成された銀色のハイテク建築。
「衝撃が走りました。こんな建築を人間が考え、作ってしまえるんだと」
いまにも轟音を上げて動き出しそうな巨大なビルを前にして、河上さんは建築の世界へと大きく舵を取る。
「なんのアテもなくロンドンで暮らしていましたが、無意識のうちに自分の進む道を探していたのかもしれませんね。ロイズ本社ビルに出会ったのも、今から考えれば必然だったのかもしれません」
こうして彼は半年間住んでいたロンドンを離れ、帰国する。

対話こそがデザインのはじまり

ロンドンで受けた衝撃が転機となり、「建築設計を学びたい!」と強い欲求に駆られた河上さんは、帰国してすぐに専門学校をWスクールで通うことを決め、大学卒業後も専門学校で建築の勉強を続けた。そして2年後、念願の建築設計事務所で働くことになった。
仕事は思っていた以上に過酷だった。
「休む暇もなく、与えられた仕事を必死にこなしていましたね。この世界は師弟関係みたいなもので、毎日が修業でした。もちろん、ほとんどお金なんてもらえませんでしたし」
それでもなんとか持ちこたえながら、気が付くと5年が経っていた。
それ以降もいくつかのデザイン事務所に所属しながら、数々の仕事をこなし、キャリアを積んでいくことで、次第に自分自身が“すべきこと”と“大事にすること”が見えてきたという。
「デザインをしていくうえで、本当に大切なことは対話です。だから僕は自分のエゴを出さない。お客さんの本音に触れて、想いや建物の状況、つまり“其処にある”コンセプトをひとつずつ拾い上げていく。お客さんがその空間でどんなふうに過ごしたいのかを想像しながら、一緒にカタチを作っていきます」
社会に出て10年が過ぎた頃だった。河上さんは新たなステップを踏み出す。

出会いの場となった『GLAN FABRIQUE』

独立してから2年が経った2003年に、茨木市の住宅街に空間デザイン事務所『GLAN FABRIQUE inc. DESIGN WORKS』を立ちあげる。
これが彼にとって第二のターニングポイントとなる。
「事務所の物件を探しているとき、偶然にも築100年の、しかも20年間空き家のままで放ったらかされた古民家を借りることになったんです。事務所だけでは広すぎる。それで、地元の仲間や大学時代の友人たちと相談して、じゃあ皆が集まれる場所を作ろう! ということになり、2階を事務所、1階にカフェを併設することにしたんです。デザイナーやアーティストの仲間も多かったし、それで友だちの輪がこの場所で広がっていけば、またなにか新しい出会いや出来事が生まれるんじゃないかと思って」
プロジェクトを実現させるために、クリエイターの友人たちに協力してもらい、この古民家を半年かけてリノベーション・コンバージョンすることにした。もちろん、設計は河上さんがすべて考え、木造建築の美しさを残しながら、交流と創造の空間を創り上げた。
そこにはカフェ『cafe 百花 moka』の他にアートギャラリー『la galerie』も併設した。河上さんが「これは!」と思った作家をセレクトし、アートからデザインまでジャンルを問わず、年間15名ほどの新進クリエイターを紹介する。さらに、アートギャラリーで紹介した作家と一緒に作品について語り合うギャラリートークショーや音楽イベントなども開催している。


築100年の古民家をリノベーションした「GLAN FABRIQUE」

「はじめはクリエイターの仲間が集まって、作品を発表するためのカフェやアートギャラリーでしたが、一般の人にもアートに触れることで、今の暮らしをもっと感性豊かなものにできる喜びを知ってほしいという想いが強くなっていきましたね」
アーティストたちが作品とは別に作っているグッズを販売する『mougins』の展開はそこから生まれた。これまで敷居の高いギャラリーに足を踏み入れることがなかった人たちが、この場所でアートに出会う。
アーティストのステップアップの場として、そして茨木市を盛り上げる新しいスポットとして『GLAN FABRIQUE』はアートを伝え続けている。
ちなみに『GLAN FABRIQUE』とは、この建物に付けられた名前である。
「フランス語で『大工場』という意味を持つのですが、産業革命時代の勢いに沸くフランスの首都パリに対して周辺各国が憧れを込めて付けたニックネームでもあります。一方、近代ニューヨークでは時代の寵児アンディ・ウォーホルが自身のアトリエを『ファクトリー』と名付け、そこには新進アーティストからミュージシャン、ハリウッド俳優に果ては政治家、文化人までさまざまな人々が出入りしていたそうです。この場所もそんな空間になっていってほしい、ウォーホルが『工場』ならウチは『大工場』と名付けよう! と、付けた名前です」

茨木市の町づくりに励む


「サン・チャイルド」が南茨木駅前に恒久設置された日に開催した歓迎イベント

空間デザイナーとカフェのオーナー、ギャラリーのキュレーターを掛け持ちしながら、河上さんはコミュニティの活性化にも力を入れている。毎年5月5日に開催される『茨木音楽祭』では、会場のひとつである茨木神社のディレクションを担当。
「境内をまるごと鑑賞してもらおうというコンセプトで、茨木神社という境内を利用し、音楽だけでなくアートやデザインの展示、野点などを展示しています。」それは、五感で神社と音楽祭を楽しんでもらおうという試みである。
老若男女が楽しめるイベントとなり、茨木だけでなく、市外からも毎年多くの人が訪れるという。
一方で、日本を代表するキュレーターの長谷川祐子氏を招いた講演会や、震災復興のためのアートイベントとして、現代美術作家のヤノベケンジ氏やgrafの服部滋樹氏、哲学者の鞍田崇氏で行ったトークショーなどを企画した。
「どのイベントも熱気を帯びていましたね」
追い風に乗った河上さんの活動はますますそのスピードを増していく。
「もっとコミュニティの人々と密着しながら、新たな町づくりのチャンネルを作れないだろうかと考えたんです。そこで『茨木芸術中心』という市民団体を結成しました」
東日本大震災からちょうど1年が経った今年3月11日、南茨木駅前に恒久設置された、茨木市出身・ヤノベケンジ氏の6.2mにも及ぶ巨大なモニュメント『サン・チャイルド』。
「震災が起きた地へ希望の光りを届けたい。そして、再生と復興に取り組む人々の心に夢と勇気を与えたい」巨大な子どもの像はそんな強い願いを込めて誕生した。
この『サン・チャイルド』設置を茨木市民全員で歓迎するために『茨木芸術中心』はさまざまな形で広報活動や歓迎イベントを行った。
またこの夏、福島県で開催された『福島現代美術ビエンナーレ』へこのモニュメントを運ぶための募金活動をするなど、精力的な活動は留まることを知らない。
「オンでもオフでも、人との繋がりを大切にしながら茨木の地で、芸術文化が根を広げる豊かな町を目指して、これからも活動していきたいです」


2009年より毎年5月5日に開催されている「茨木音楽祭」

公開日:2012年10月03日(水)
取材・文:坂本 博美氏
取材班:株式会社ファイコム 浅野 由裕氏、辻 美穂氏