後悔に向き合ったことで大きな躍進をはたすことができた
小田 圭一郎氏:アンバーグラフィックデザイン

小田氏

大阪市西区の立売堀ビルディングの正面玄関にはデザイン事務所の札が並び、その中のひとつにデザイン事務所「アンバーグラフィックデザイン」がある。制作物やお話される際の小田さんのイメージからは予想もしなかったエピソードをお聞きすることができました。

アルバイト先のレコード会社がデザインの入り口となった。

大阪芸大彫刻科卒。在学中からアルバイトしていたレコード屋にそのまま就職したという小田さん。そこは普通のLPやCDの販売だけでなく、ポータブルレコードプレーヤーの商品開発やミュージシャンとコラボをすすめるような会社だった。小田さんはそこでレコードや雑貨の仕入れが主な業務だった。
「社長が面白いことをするのが好きな人で、ライブ会場のアーティストの楽屋にノーアポで入っていって、いきなり直談判で『コラボレーション商品を作ろう!』と声をかけるような無茶苦茶な方だったのですが(笑)、いろんなことをさせてもらえて楽しかったんです。そのときの同僚がグッズをつくったり、雑誌に掲載する広告を自社でデザインしたりする様子を見ていました。その広告やチラシに対するお客さんの反応がビックリするほど早くて…。限定品のレコードプレーヤーだったんですが、広告が掲載された日から電話がジャンジャン。限定1万台が3日ほどで完売してしましました。その時「こんなに影響力があるものなんだなぁ、面白いなぁ、こんな世界もあるんだなぁ」と気づきました。

取材風景

それがキッカケでデザインを仕事にしたいという思いが大きくなり、会社が東京に進出をしてゆくタイミングで仕事を辞め、就職活動をはじめた。未経験ながら主にファッション系の広告やカタログを制作する会社で働くことになる。オーディションでモデルを選び、師匠がスタイリストやカメラマンと仕事をすすめていく様子を見ることができた。しかし一ヶ月で辞めることになる。
「デザインというものをぜんぜんわかってなかったんです。写真もイラストも全部やるのがデザインだと思っていました。全て自分でつくっていないからこれはデザインではない。と、とんだ勘違いをしました」。

そう考えてあっさりデザイン事務所を辞め、次に訪れたデザイン事務所ではルーチンワークに近い日々。そこではじめてクリエイティブとは何か、デザインとは何かを知ったという。
「恥を承知で最初に雇っていただいた事務所に頭を下げに行きました。もう一度チャンスがほしいと伝えると、幸運にもまた雇っていただけることになったのです」。

転職するたびにデザインの領域が広がっていった。

師匠の器の広さでもう一度働くことができ、意識が変わった小田さんはそこからがむしゃらに仕事を覚えていった。デザイン制作の一連の流れを学び、会社が親会社に吸収されることを機にたまたまショップのブランディングや雑誌のエディトリアルデザインを手掛ける会社に転職。ショップのグラフィックを手がける面白さはここで知った。さらに次の転職先ではブランディングやタイポグラフィーの得意な場所を選んだ。小田さんは常に少人数の集団に身を置いてきた。
「常に即戦力が求められたため、毎日吸収しなければいけない状況でした。余裕無しです」。


有機野菜専門の八百屋&デリカフェ ベジキッチンやまつじの外観

転機は予想外なところから訪れた。
「本当は最後に働いていた会社でずっと働きたかったんですが、会社の経営的に難しかったようで急に“1ヶ月後に解散だから”と言われて。それじゃあ1人でやってみようかと」。様々な方の助けもあり2003年に独立をした。

ショップグラフィックの奥深さ。

お店をつくる仕事は、商品を提供するお店のオーナーと空間を作るインテリアデザイナー、そしてヴィジュアルや販促を担当するグラフィックデザイナーがそれぞれ担当する。この三者がイメージを共有することがとても大切だという。
「同じ目標に向かっていますが、個々に持っている少しずつ違う感性の隙間をじっくり話し合って、埋めていくことでより強い物になると思います。そしてオープンの日、オーナーやスタッフ、お祝いに駆けつけた知り合いの方やお客さん、お店づくりに関わった人々、みんな楽しそうに笑顔なんですね。その雰囲気が好きですしうれしくなります」。

お店のお仕事はダイレクトに反応が分かる面白さがあり、街を歩いているときに関わったお店のショッピングバックを持っている人を続けざまに見た時がうれしいと語る。
「以前にインテリアショップのロゴから販促ツールまでブランディング一式をお手伝いさせていただいたときに、普段は寡黙なオーナーからホント小さな声だったのですがはっきりと“満足しています。まさに僕のイメージどおり、あとは僕ら次第ですね。これからも宜しく”と言ってもらったことが心に響きました、小さな声でしたけど(笑)」


有機野菜専門の八百屋&デリカフェ ベジキッチンやまつじの外観



ロゴ、販促用のツール

最後に仕事の取り組み方についてお聞きした。
「できれば常に何かを作りだすという作業に関わっていたいんです。つくる人というポジションにはこだわりますが、絶対にグラフィックじゃないと、とは思っていません。将来的にはいろんなジャンルの“つくり手”の方と何かをカタチにしていきたい。いろんな縁で知り合った異業種の方と、僕が関わる事によってさらに違うモノを生み出してみたいです」。

脳科学者の茂木健一郎先生が、後悔は人を大きく前進させる、とおっしゃっていたが、まさに小田さんは最初の仕事を一ヶ月で辞めた後悔に向き合ったことで大きな躍進をはたすことができたと感じました。小田さんから沸き起こる情熱の源を知ったインタビューとなりました。

※2014年3月に社名を「アンバー」に変更されました。

公開日:2012年01月11日(水)
取材・文:狩野哲也事務所 狩野 哲也氏
取材班:株式会社ジーグラフィックス 池田 敦氏