ナンバーワンを目指して進み続ける。
市川 允也氏:MONJU市

市川氏

西区阿波座にあるクリエイター集積ビル『ACDC』にあるMONJU市。グラフィックを中心に広告物や販促物の制作のほか、商品開発やブランディングにも携わるデザインオフィスだ。今回は代表の市川氏に、デザイナーになったきっかけや過去のエピソード、さらにはロンドン滞在時代のことなどについて話をうかがった。

突然の覚醒に両親も驚いた、絵の才能。


幼稚園時代の授賞式

子どもの頃は絵ばかり描いていて、絵画コンクールの賞を数多く受賞していたという。
「2歳の時、描いた絵に両親が驚いて近所の絵画教室に連れて行くと、先生に『この子には油彩を描かせなさい』と言われたそうで、3歳から水彩・油絵を始めたんです。絵画コンクールに出展すれば何か賞を獲っていましたね。時には絵画コンクールの表彰式のために、小学校を公欠していました」

もちろん将来の夢は画家や漫画家など、絵に関わる仕事だった。だが、中学生になると一切絵を描かなくなってしまう。
「思春期は目立ちたい、モテたい一辺倒で(笑)。中学生の時、あり余るパワーは違う方向に向けられていました。それでも美術部員の10倍ぐらい絵が上手でしたし、美術の成績も上の上でした。でも高校生になると少々旗色が変わってきて、自分と同じぐらい上手な絵を描く同級生が現れてきた。そいつに負けたくない気持ちが湧いて、芸大に行きたいと。それで画塾に通い始めました」
画塾は芸大を目指す絵が上手な人だけが集まる場所。市川氏には刺激的だった。
「誰にも負けたくない想いで、それから3年間は絵を描くことに夢中でした」
無事、芸大の洋画科に入学した市川氏。だが、彼を待っていたのはとんでもないフィールドだった。

自分のやりたい事を見つけてくれたMac。

芸大の洋画科には市川氏が理解できない人々であふれていた。
「芸術とは絵を描く技術云々ではない、と。マヨネーズで絵を描いたり、白い絵の具だけで雲の絵だけを描いたり……絵画技術を磨いてきた自分自身の価値観は吹き飛び、大学がつまらなくなったんです」

次第に授業を欠席しはじめた2年生の時に転機が訪れる。
「違う大学の友人からフライヤーの制作を頼まれたんですが、洋画科なのでフライヤーという言葉はもちろん、Macなんて知りませんでした。そこでデザイン学科の友人に聞くと、Macで作るのがいいと教えてくれました。結局、デザイン学科の友人の家で泊まり込みで作ってみたんですが楽しくて楽しくて。『自分がやりたいのは芸術ではなくコレだ!』と確信しました。あの時Macに出会っていなかったら、今の私はいませんね」

さらにMacでのデザインを学ぼうと、市川氏が選んだのは“学ぶ”ではなく“働く”という選択肢だった。
「大学では違う学科に編入ができない制度だったので、日雇いバイトで行ったデザイン事務所に『デザインを教えて欲しい』とお願いしました。すると、ほぼ無給で良ければ教えるという条件でOKをもらえたんです。大手メーカーのカタログなどをデザインしました。朝、大学で出席を取ったらすぐデザイン会社に行って仕事。家に帰れば親のPCを使わせてもらって仕事。これを卒業までの2年間続けました。本当に楽しかった」

就職活動も強かった。他の学生は授業で作った課題を提出するところ、市川氏はすでに世の中に出回っている商品。勝敗は明確だった。就職先も『CDジャケットをデザインしたい』という希望通り、デザイナーとして音楽レーベルに就職した。

自分を成長させてくれた、ロンドンでの出会い。


ロンドン時代

就職後、人気アーティストのCDジャケットや販促物をデザインして充実していたが、さらにステップアップするため、携帯電話会社のデザイン部門で働いた後、独立して知人とデザイン会社を立ち上げた。

そして、ロンドン芸術大学の日本人スタッフに誘われてタイポグラフィを学ぶために留学。
そこで世界的なシューズデザイナー・Jimmy Choo氏と関わることに。しかも、デザインを認められ、日本でのビジネスを一緒に展開する約束まで取り付けることができた。
市川氏はJimmy Choo氏を日本に招いてパーティーを開催したが、ビジネスについては多方面から圧力がかかり失敗。結果的に会社も解散してしまった。
「Jimmy Choo氏との出会いは最高に興奮しましたね。ビジネスは失敗しましたが、それ以上の貴重な経験ができました」

市川氏は再びロンドンへ向かうと、ふとした出会いからイギリス人オーナーの家具会社で、新しい家具ブランドのロゴマークを作る機会を掴んだ。
「ヨーロッパやニューヨークで販売する家具なのに、あえて日本人の私に仕事を依頼してくれたオーナーの心意気、さらにはデザインを認めてくれたことは、大きな自信になりました」
市川氏が生み出したロゴは見事にオーナーから一発OKを勝ち取り、家具ブランドはミラノコレクションにも出展された。

誰も考えない切り口の提案を。


Jimmy Choo couture販促デザイン

ロンドンから戻った市川氏は、改めてデザイン事務所を立ち上げた。相棒や出資者など、誰かに頼るのではなく、自分の力のみでやる決意ができたという。
「今はゴールもハッキリと見えているし、ゴールに向かうための道筋も見えています。あとはどこまでやれるかだけ。目標にチャレンジできる環境が整いましたから、ここで一発勝負したいですね。オンリーワンじゃない、あくまでナンバーワンを目指す気持ちを失わずに進み続けたい」

ナンバーワンを目指すために自分を客観的に観察し、分析することも忘れない。
「グラフィックデザインには『図形やアイコン、タイポなどを用いてゼロから生み出すタイプ』と『写真画像や絵画など主役となる素材を決めて、それをグラフィックによって料理するタイプ』という2つのタイプがあります。私自身は素材を上手に料理する方が好きだし得意。その素材を作り上げる事も含めてデザインだと思っています。それは自分のグラフィックのバックボーンが、“絵を描くこと”だからなんでしょう。これからの目標は、誰も考えないような角度からのエッジーなデザインをひとつでも多く実現していきたいですね。来年は個展もやりたい。構想も全部できていて、あとは行動するだけなんですよ」

公開日:2011年08月17日(水)
取材・文:株式会社ショートカプチーノ 中 直照氏