どんなものでも喜んでもらえるものであれば制作したい。
川口 二朗氏:ju-Lab.
日本橋から歩いて10分。ウェブ制作会社ju-Lab.の川口氏を尋ねると、オフィスのいたるところにプロレスグッズがあふれていた。これは趣味ではなく、れっきとした川口氏が制作した商品なのだという。会社のホームページにはウェブ制作とあったが、どういうことだろう? そのあたりのお話を訊かせていただきました。
銀行員からデザイナーへの道へ。
ちょうどバブルの時期で、大阪の地方銀行にぱっと就職が決まってしまったという川口氏。内勤業務では一日の出入りを集計するためにソロバンをはじき、外回りでは企業やご家庭に集金に回る日々を経験した。営業は苦手だったが、貸し付けの融資係を担当した際に転機が訪れた。
「それまで自分は落ちこぼれだったのですが、当時の支店長が面倒見の良い方で、すごく押し上げてくださったんです。気がつけば成績が一番になっていました。ただ、転勤や出世したことで本来の自分の仕事ができる時間が減ったこともあり、自分のやりたいことをしようと思いなおして退職しました」。
デザインの仕事を志し、通った専門学校の授業でFlashの面白さにのめり込んだ。その後、webプロデュースコースを卒業し、web制作会社に就職。制作で入ったものの、営業職のスタッフがちょうどやめたばかりで飛び込み営業をさせられた。
縁は友だちからやってきた。
友だちからの紹介でエステのお店のサイトをつくってほしいという依頼があり、それが会社をやめるタイミングとなった。
「それからずっとフリーでやっています。その後もスクールで知り合った友だちからいろいろ仕事を紹介してもらったのもあり、なぜかうまく仕事がつながっていっていますね」。
当時30代半ばの川口氏を誘いだしたのは同級生だった20代の若者たちだった。お話をうかがいするに連れて感じるのは、川口氏の壁のない雰囲気。きっと年下でも話しやすい雰囲気をつくっているに違いない。
その後、学生の頃の友だちの紹介でフリーペーパーを創刊する仕事が舞い込んだ。これも銀行員時代に一度飲んだ程度の間柄の方からの依頼だった。
「人見知りで、あんまりしゃべるほうでもないんですが、とにかく誘われたら行きますね」。川口氏の縁が広がる法則には彼の存在感の大きさによるものかもしれない。
プロレスラーのTシャツをデザイン。
数珠つなぎに縁が広がっていった。
川口氏の事務所をシェアしている人がきっかけで、Tシャツのデザインも手掛けるようになり、「壱張羅」というTシャツブランドを立ち上げることになった。
「心斎橋でバーをされているプロレスラーのお店に普通に飲みに通っていたら、はじめて彼がTシャツをつくるというときにデザインを頼んでくださったんです」。
その依頼が縁で、プロレスグッズなどを製作している企業と親しくなった。
「そこの社長さんがプロレス団体のスポンサーをされている関係で、よく飲みにつれて行ってくださって。選手のTシャツをつくったら、また別の選手から依頼がきて、という感じで数珠つなぎ的に広がっていきました。もともとプロレスが好きなので、好きな仕事をやらせてもらえているのはうれしいですね」。
web制作にこだわっていたら廃業していたかもしれないと語る。現在はTシャツやタオルの制作が多く、ストラップやキーホルダーなど、どんなものでも喜んでもらえるものであれば制作する。今ではプロレスだけでなくボクシングなどほかの格闘技にも依頼が広がり、飲食業など他の業界からの依頼も増えている。
最後にこれからやっていきたいことをお聞きした。
「年末にプロレスのTシャツに特化したイベントを企画しています。プロレスラーを読んでトークショーを開催したり、サイン会などをしたら面白いかもしれない」。
最初に口下手だと言っていた川口氏だったが、自分が面白いと思うことを語る際の彼は非常に饒舌だ。縁を広げている理由が垣間見れた気がした。