「全員野球」の気持ちで、成果を積み重ねていきたい
中西 順己氏:(有)タイムリー

中西氏

カメラマンや音声といった、TV番組制作の技術スタッフが集う有限会社タイムリー。ドキュメンタリーからスポーツ、バラエティまで幅広いジャンルの番組に携わり、スタジオ、中継、ロケといったさまざまな放送形態に対応できることで業界から高い評価を得ている。さらに、TV業界で培ったノウハウを武器に、企業向けの映像制作にも進出している。代表取締役社長の中西順己氏は、現在も現場の最前線で活躍するカメラマン。クリエイターであり、経営者でもある中西氏の想いとは……。

野球少年がカメラマンになるまで


アーティストのライブを
撮影中の中西氏

多くのTV番組は放送局が外部ブレーンに発注して作られる。プロデューサーやディレクターが所属する制作会社や、カメラマンや音声が所属する技術会社が「外部ブレーン」だ。タイムリーのホームページには、技術協力実績として関西の人気番組はもちろん、東京キー局の番組も数多く名を連ねている。現在、タイムリーのスタッフは3名のカメラマンをはじめ、音声1名、ビデオエンジニア1名、グラフィックデザイナー1名、カメラアシスタント1名、そしてアルバイトスタッフ21名。設立6年目の若い会社だが、代表取締役社長の中西氏はキャリア15年、まさに“今、脂の乗った”カメラマンである。
「『どんな現場に行っても、必ず結果を残せる集団』であることがモットー。技術者としては当然のことですよね。そして、大切にしていることがもう一つ。会社の一体感です。僕ら、それぞれが別の現場に行ってることが多いですから」
それぞれの持ち場で腕を磨きつつ、ひとつになる——それは、氏が青春を懸けた野球にどこか似ている。

小学校から高校まで、中西氏にとって野球がすべてだった。スポーツ推薦で地元・兵庫の私立高校に進学、1番・センターのポジションをつかみ、甲子園を目指して汗を流す毎日。2年生の夏には全国レベルの強豪がひしめく県の地方大会でベスト4に入り、大学への推薦入学の話も来るほどだった。しかし、事態は一変する。ボールを投げるときに痛みが走る「野球肘」が悪化してしまったのだ。大学の推薦入学の話もなくなり、進路を考え直した結果、出した答えはなんと「吉本興業」。じつは中西氏、小学生のころから「おもろい奴」と評判だったのだ。
「みんなの前でおもろいことをするのが好きだったし、野球のチーム内でもヤジなんかで盛り上げる役をやってたんですよ」
“クラスのおもろい奴”なら、誰もが一度は言われたことのある「オマエ、吉本に行ったらええねん」という言葉。氏もまた、小・中・高校のいずれの担任からもそう言われていた。高校卒業後、友人を誘い、NSC大阪に13期生として10倍の競争率をくぐりぬけて入学。しかし、またしても方向転換を余儀なくされる。事情あって、2年通うべきNSCを1年で中退しなければならなくなったのだ。
「吉本の社員さんには、いつか戻って来いって言ってもらいました。僕、ずっと野球一筋で資格とか何もないし、手に職をつけたいって思ったんですが、その社員さんの一言で連想ゲームのように『TV業界で“手に職系”ってないかな』と考えたんです」


野球中継のイメージ

そうして選んだ仕事が「カメラマン」だった。カメラや放送業界のイロハを学ぶため、放送芸術学院に入学。在学中は授業よりバイトに精を出した。研修に訪れた技術会社からアルバイトをしないかと誘われたのだ。卒業後はアルバイト先にカメラマンとして正式採用。大手TV制作会社の子会社だった。
転機は三たび訪れる。入社して10年。会社が親会社に吸収されることになったのだ。親会社の社員になる道もあったが、選択しなかった。
「カメラマンってずっとできる仕事ではないんです。体力が必要ですからね。じゃあ、親会社のサラリーマンになったとして、年齢を重ねるといずれは現場から退いて管理職になる。吸収された身の上の人間が、親会社の中でそんなに出世できるとは思えない。それなら、現場のカメラマンとしても経営者としても勝負をしてみたいと思ったんです」
親会社からの独立を考えていた社長の松田昭一氏に誘われ、会社の解散とともに松田氏と中西氏、後輩の信田将志氏の3名で独立。社名を「タイムリー」として、再出発を果たした。

一体感を得られる仕事がしたい!


企業イベント撮影

独立して苦労の連続と思いきや……「いや、1年目から順調だったんですよ。親会社からの仕事のおかげもあるんですが、営業をかけにTV局をまわるととても歓迎された」という。スポーツロケや中継ができるということで、「解散するって話を聞いてて、チャンスと思ったよ。今までは親会社さんとお付き合いの深い局に遠慮して、なかなかお仕事をお願いできなかったけれど、これからはウチでもお仕事してもらえるね!」と“逆営業”をかけられることもあった。
VP(ビデオパッケージ)と呼ばれる、企業が営業ツールや企業PRとして使う映像制作の仕事を始めたのは設立3年目のころ。
「スタッフが増えてきたころですね。みんなバラバラに現場に入って動いている様子が人材派遣会社みたいやなって思えてきたんですよ」
会社という集団の体をなしてきたからこそ、感じたことだと中西氏は言う。
「技術会社としては、ふつうのことなんですけどね。でも、僕は会社としての一体感がほしかった」
ちょうど、各TV局とも不況の影響などで制作費が頭打ちになり、市場全体の縮小が懸念されていた。TV番組の仕事だけでは今後の成長は見込めない。そこで目をつけたのが企業向けVPだった。
「“タイムリーの仕事”として受けるわけですから、スタッフみんなで一緒に仕事ができる。ビジネスとしての可能性よりも、会社の一体感が得られることにメリットを感じて、みんなに提案しました。全員に反対されましたよ。でも、『必ず結果を出す。2年経っても結果が出なければ進退をかける!』って啖呵切って、スタートさせましたけどね」

新たな“武器”を手に入れて

ここで1人、新たな戦力が加わる。カメラアシスタントの募集を見てやって来た、眞井優花氏だ。映像業界は経験ゼロだったが、前職はグラフィックデザイナーである彼女の入社をきっかけに、販促ツールや広告物などのグラフィックデザインを受注できるようになる。彼女の持つブレーンの他、大阪デザインセンターを活用し、グラフィックデザイン制作の仕事から新たなクライアントを開拓。「グラフィックだけでなく、映像も制作できる」と“本職”を付加価値としてアピールすることで仕事の幅を広げ、グラフィックデザインとVPを融合した企業向けサービスは大きな事業の柱に育った。当時、TV番組を制作するスタッフがVPを手がけることが多くはなかったため、タイムリーのスタッフが持つスキルはそのまま強みだった。
中西氏にも変化が起きた。VPの仕事でディレクターとしての役割も果たすようになったのだ。映像の世界はディレクター、カメラマン、音声、照明と多くの職人たちが自分のテリトリーに誇りを持って仕事をしている。当初、外部のディレクターに頼んでいたが、「タイムリーとして仕事をするのなら社内で一貫して制作したいと思って」、ディレクションもするようになったという。
「グラフィックデザイナーという今までにない人材を得たことで会社が発展したんですから、これからも“会社の武器”を増やさなくてはね。他のカメラマンにも、ディレクションや営業ができるようになってほしいですね」


社員集合写真(左端が眞井氏)

一人ひとりの“ヒット”を大切に

中西氏

創業5年目を迎えた昨年、中西氏は松田氏から社長を引き継いだ。現在の課題はズバリ「価格競争」。業界問わず、クリエイターが共通して抱える悩みだ。
「TV番組の制作に関しては、僕らの力ではどうしようもない部分があるのですが、クライアントさんから直接仕事をいただくVPの仕事においてもつきまとう問題です」
いいものを作るには、それ相応の機材と人件費がかかる。こんなシンプルでまっとうな論理に対して「そこまでのクオリティ求めてないよ。だから安くして」と言われてしまうと、返す言葉が出ない。
「クオリティの良し悪しが、企業の売上やイメージアップにかかわるということを伝えるのに、とても時間がかかりますね。価格競争に呑まれることなく、『やっぱりタイムリーに頼まなきゃダメだね』と言ってもらえる価値をどう創造するかを考えていかないと……」
とは言え、中西氏独りで悩んでいるわけではない。それぞれが自分の現場で走り回る多忙な日々の合間を縫って、タイムリーでは社員全員参加の会議を定期的に開く。「会社を動かすのは社員。どんなことでもいいので提案してほしいんです。先日も、20名ほどいるアルバイトを社員全員で評価するアイデアが出ましたね」
「他の技術会社にはない一体感」は確実に育っていると、中西氏は手ごたえを感じている。「僕もみんなに負けずに意見を出しますよ。一カメラマンとして、社員とはフラットな関係でいたいんです。実際、社長って呼ぶ社員はいないですしね」
「タイムリー」という社名には、野球でいう「タイムリーヒット」の意味が込められている。独りでホームランをかっとばすのではなく、一人ひとりがヒットを積み重ねてチームで点を取りに行く、そんな企業像に向かってタイムリーは着実に前進している。

公開日:2011年08月01日(月)
取材・文:細山田 章子氏
取材班:株式会社マチック・デザイン 松村 裕史氏